「さいたま市浦和駒場スタジアム」の版間の差分
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2014年8月20日 (水) 21:12時点における最新版
テンプレート:出典の明記 テンプレート:スタジアム情報ボックス さいたま市浦和駒場スタジアム(さいたまし うらわこまばスタジアム)は、埼玉県さいたま市浦和区の駒場運動公園内にある陸上競技場である。球技場としても使用される。施設はさいたま市が所有し、さいたま市公園緑地協会が指定管理者として運営管理を行っている。なお、「駒場運動公園競技場及び補助競技場」とも称される[1]。
なお、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟の浦和レッドダイヤモンズ(以下「レッズ」)の運営会社である浦和レッドダイヤモンズ株式会社が命名権を取得しており、2012年5月から「浦和駒場スタジアム」の呼称を用いている(詳細は後述)。なお、2010年まで(登録上は2012年まで)レッズがホームスタジアムとして使用していたスタジアムである。
目次
施設概要
- 陸上トラックは日本陸上競技連盟第3種公認。2002年まで日本陸上競技連盟第2種公認だったが、その後は公認を取り消され、非公認の状態になっていた。2010年からの改修工事により再度公認化。
- 収容人員 21,500人(メインスタンドに屋根を架設 バックスタンドは2層式)
- 座席の配置についてはレッズ公式サイトの座席配置図参照
- ナイター照明設備 4基
- 電光掲示板(映像取り込み可 アウェー側のゴール裏)
- トラック:400m×8レーン
- 天然芝ピッチ
- 補助グラウンド(球技のみ対応)
主な開催試合
- Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ本拠地(1993-2010<除・1993ナビスコカップ、1994Nicosシリーズ〜1995サントリーシリーズ> 当初はメインとして年10試合以上開催。その後は試合数を段階的に減らし、最終的には年1-2試合開催 2011年以後は本拠地登録される[2]も開催なし)
- 同・大宮アルディージャ準本拠地(2006年 - 2007年10月までは暫定メイン、現在は使用せず)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会(浦和レッズが出場する試合)
- 全国高等学校サッカー選手権大会埼玉大会、同全国大会(通常は1回戦から準々決勝まで)
- 日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)・浦和レッズ・レディース主催試合(埼玉県内の複数の競技場と併用)
- 2012 FIFA U-20女子ワールドカップ日本大会(予選リーグ・決勝トーナメントの一部)
- 市民大会レベルの陸上競技・サッカー・ラグビー大会
アクセス
- JR東日本浦和駅東口・北浦和駅東口から、徒歩15 - 20分程度。
- 路線バス:国際興業バス
- (浦51)浦和駅東口 - 北浦和駅東口にて「駒場運動公園入口」、または「宇宙科学館入口」下車。
- (浦08)浦和駅東口 - 南台、(美01)浦和駅東口 - 浦和美園駅にて「駒場運動公園入口」下車。
- Jリーグ開催時: 浦和駅東口より、直通シャトルバス運行。(復路は浦和駅西口着)
- ちなみに、当スタジアムのそばを国道463号越谷浦和バイパスが通っているが、この道路は埼玉スタジアム2002での開催時の浦和駅発着シャトルバスのルートでもあるため、来場者は当スタジアムを望みながら埼玉スタジアム2002へ行き来する。
- 埼玉スタジアムでの浦和レッズの試合後、北浦和行のシャトルバスが停車する。
- 浦和レッズのレディースチームが駒場スタジアムで、トップ(男子)チームが埼玉スタジアムで同日にホームゲームを開催した場合、駒場スタジアムから埼玉スタジアムへの無料バスを運行して両試合の「はしご観戦客」に便宜を図ることもあった[3]。
歴史
- 1967年 - 第22回埼玉国体(清新国体)のサッカー会場として「浦和市駒場サッカー場」(5,000人収容)がオープン。
- 1982年 - 陸上トラックを増設し、「浦和市駒場陸上競技場」(8,000人収容)となる。
- 1993年 - Jリーグ規格に合わせるためナイター設備とバックスタンドの一部座席化を施し、10,000人収容となる。4月24日にこけら落としとなる浦和国際親善サッカーが開催された(浦和0-2マンチェスター・シティ)。5月18日には、初のJリーグ公式戦が開催された(第1ステージ第2節、浦和0-3名古屋グランパスエイト)。
- 1994年 - Jリーグから規定収容人員下限の15,000人に満たないことで勧告を受けたため、浦和市が再改装を決定した。メインスタンド・バックスタンドを増築し、21,500人収容のスタジアムとするため、約1年間の閉鎖となった。浦和はこの間、埼玉県営大宮公園サッカー場を仮本拠地とする。
- 1995年 - 改装工事が完了し、浦和の主催試合が再開された(第2ステージ第2節、浦和1-2清水エスパルス)。また、名称が「浦和市駒場スタジアム」に変更される。9月9日、当スタジアムで史上最多の観客数となる2万2150人を記録(ニコスステージ第8節、浦和1-0磐田)。
- 1997年 - 5月17日の浦和と横浜フリューゲルス戦(1stステージ第9節)が落雷のため一時中断となり、その後豪雨によりグラウンドが冠水し前半終了時点で打ち切られ、Jリーグのリーグ戦での初の試合中止となる(7月2日に当スタジアムで再試合、浦和1-3横浜F)。8月28日、1998 FIFAワールドカップフランス大会アジア地区最終予選に臨むサッカー日本代表の壮行強化試合として、日本代表とJリーグ外国籍選手選抜が対戦するJOMO CUP Jリーグドリームマッチが開催された(日本代表 0-0 Jリーグ外国籍選手選抜)。
- 2001年 - さいたま市の発足に伴い、名称を「さいたま市浦和駒場スタジアム」に変更。4月14日のFC東京戦後に出島事件が起こる(後述)。10月13日、埼玉スタジアム2002が完成し利用開始。浦和は、従来通り当スタジアムを本拠地とし、埼玉スタジアムは補助的に使うと発表した。
- 2002年 - 2002 FIFAワールドカップ(日韓大会)開催に伴い、サッカー日本代表試合に関してパブリックビューイングを実施。その際、一部の観客がピッチに乱入し、芝を踏み荒らすなどの事件が発生した。また、9月21日、大宮アルディージャのホームゲームが1試合開催された(J2第32節 大宮1-1福岡)。
- 2004年 - 浦和のJ1主催試合開催数で、当スタジアム(6試合)が初めて埼玉スタジアム(9試合、他にJリーグチャンピオンシップも開催)に抜かれる。以後、浦和は当スタジアムを事実上の準本拠地として扱う。9月、彩の国まごころ国体で使用(サッカー少年男子)。
- 2005年 - 大宮がJ1に昇格し、2002年のJ2(1試合)以来、当スタジアムで主催試合を2試合開催。浦和(J1を5試合、ナビスコ杯予選リーグを2試合)と共用。
- 2006年 - さいたま市に移管された大宮公園サッカー場の全面改装に伴い、大宮の暫定本拠地としての利用を受け入れる。大宮は埼玉スタジアムでの試合数を減らし、当スタジアム(J1・10試合、ナビスコ杯予選リーグ3試合)を中心に試合を開催した。
- 2007年 - 大宮公園サッカー場の改装工事完了・再開場に伴い、大宮による当スタジアムの暫定本拠地利用が終了。
- 2010年 - 陸上競技場としての再整備を主目的とした改装を着工(詳細は後述)。
- 2012年 - 改装工事完了。浦和レッズが当スタジアムの命名権を取得。Jリーグクラブが命名権を獲得するのは史上初。通称は「浦和駒場スタジアム」に決定。また、運動公園内に併設されている補助競技場の通称は「レッズハートフルフィールド駒場」となり、いずれの愛称も同年6月1日より使用開始(契約は2015年3月31日まで)[1]。8月、FIFA U-20女子ワールドカップでも使用された。
- 2013年 - Jリーグ届出の浦和レッズ本拠地登録指定を外れる
- 2014年 - Jリーグ届出の浦和レッズ本拠地登録指定に復帰。[4]
Jリーグでの使用状況
浦和レッズ主催試合
「埼玉スタジアム2002」の完成後も2002年まではW杯日韓大会開催に伴う芝生管理の観点から試合数を制限していたが、2003年以後は収容人数などの理由により浦和はリーグ戦において、もう一つのホームスタジアムとなった埼玉スタジアムを主に使用するようになってきている(事実上、メインから準本拠に降格)。しかし、依然として当スタジアムは浦和のサポーターに「聖地」と称されている(J2降格、J1復帰、初のステージ優勝などチームの節目となる試合は当スタジアムでの試合が多い。また、試合ではないが、2003年にナビスコカップで優勝した際にも、地元に残ったサポーターに対する優勝報告会が当スタジアムで開かれた)。
このため、当スタジアムでのホームゲームのチケットはすぐ完売してしまい、非常に手に入りにくいことで有名である。2005年からは、Aゴール裏自由席とAビジター席=アウェーゴール裏自由席を除く、全ての座席がシーズンチケットによる販売となり、チケットの入手は更に困難になった。現在では、シーズンチケットのキャンセル待ち登録も中止している状態であり、日本一のプラチナチケットである[5]。また、レッズ主催試合もリーグ戦4試合+ナビスコカップ予選2試合・決勝トーナメント1試合の計7試合しか開かれなくなった。
2007年は、リーグ戦2試合、天皇杯全日本サッカー選手権大会(天皇杯)1試合の計3試合(AFCチャンピオンズリーグ全試合、ナビスコ杯準々決勝・ガンバ大阪戦は全て埼玉スタジアムで開催)と、その数は更に減った。2010年のJリーグのリーグ戦では1試合も行われず(全て埼玉スタジアムで実施)、2010年のJリーグカップの予選ラウンドの1試合(天皇杯2試合を入れると3試合)だけとなり、更に上述改修工事によりリーグ戦・リーグカップは2011年以後は1試合も開催されなくなった。(但し2012年の改修後、天皇杯の浦和主管相当の試合は主に2-3回戦で開催されている)
大宮アルディージャ主催試合
2005年から2007年は大宮アルディージャのホームスタジアムであるさいたま市大宮公園サッカー場がスタンド増築工事を実施するため、アルディージャのホームゲームの一部試合を開催している(2005年は埼玉スタジアムを事実上の準メインとして行ったため2試合のみだったが、2006年以後は暫定ホームとして過半数の試合を行った)。
出島
当スタジアムでの出島とは「アウェイ応援席」を指す[6]。 出島はメインスタンドから向かって右側で収容人数は21500人中約400人弱で日本一のアウェイ[7]でホームの応援席とは隔離されるブロックになっている。「出島」の由来はこの隔離された扱いや扇型の形状が、江戸時代に鎖国をしていた時代の長崎・出島と似ていることから。
隔離は浦和レッズの熱狂的サポーターとアウェーチームサポーターとの間での暴動を避けることが目的とされ、暴動が少ない大宮アルディージャ戦や高校サッカー選手権などでは隔離が解除される。浦和のホームゲームの際は、出島以外でのアウェーサポーターの応援、出入は、禁止にはなっていないが、出島以外は基本的に全てレッズサポーターに囲まれており、出島以外にアウェイサポーターが入り込むことはありえないと浦和サポーターなどに認識される程の、アウェイサポーターにとっては「日本で一番、アウェイを体感出来るスタジアム」となる。
当スタジアムでの試合の対戦相手は京都サンガやヴィッセル神戸といったガンバ大阪以外の近畿勢かアビスパ福岡・大分トリニータといった九州勢など、アウェイサポーターの来場が少ないことが予想されるチーム、あるいは平日開催のナビスコカップの試合に限られている。ただし、2006年に行われた浦和対福岡の試合では、前売りの段階でアウェイ自由席が完売したため、当日券は発売されなかった。
2001年4月14日の浦和対FC東京戦後、挑発的な態度に出ていたFC東京サポーターに対して浦和サポーターがゲートを塞いで3時間近くに渡り監禁状態となる通称「出島事件」が発生した。[8]
スピーカー直下の位置にあるので音が流れると一番近くにいるゴールキーパーにすら声援が届きにくくなる。[9]
なおアルディージャ主催試合が行われた場合は、アウェイサポーターは出島以外にも入ることが可能である。なお、試合により2階席を開放しない場合もある。
過去の改修工事
Jリーグ開幕に際して
1993年のJリーグ開幕に際して、当時の浦和市からは三菱自工浦和サッカー部の参入が決定。それに併せて駒場陸上競技場の大規模改修工事が行われ、芝生席だったバックスタンドの座席化(ゴール裏は改修せず)、ナイター照明4基の設置、得点表示専用の電光掲示板の設置などを行った。収容人員は約1万人だった。
その後Jリーグより、本拠地として開催する場合の収容数が規定の15000人に満たないと指摘され、それを受け浦和市はスタジアムの全面改修を再開することを決定。1994年NICOSシリーズ(年間の第3・4回戦)と1995年サントリーシリーズ(年間の第1・2回戦)については暫定的に大宮公園サッカー場を本拠地とすることにし、メイン・バックスタンドの増築(メインスタンドを屋根付きにする、バックスタンドを二層スタンドにする)ゴール裏の立見席への変更、得点掲示板のオーロラビジョン化を行い、21500人収容のJリーグ開催基準を満たしたスタジアムに生まれ変わることになった。
2010年の改装工事
2009年に改修工事の予算がさいたま市によって付けられ、2010年夏から2011年末にかけて実施される事になった。
駒場スタジアムは沼地に建設されたために地盤が弱いとされ、2002年には日本陸上競技連盟からの公認を取り消されている。2008年の計測では陸上トラックの高低差が最大で19.5cmと報じられ、埼玉県陸上競技連盟などからの改修要望が続いていた。この改修工事では地下5-10mに存在する固い地盤まで多数の杭を打つ「柱状改良」の手法を取って地盤改良と経費節減を両立させ、他に芝生面やトラックの改修なども実施する。さいたま市は、改修工事完成後は第3種陸上競技場としての公認が受けられて県レベルでの各種陸上競技大会の開催が可能になるとし、アマチュアサッカーなどでの活用も見込まれるとしている[10]。
一方、総額16億円以上と見込まれる改修費用に対し、大規模な集客が見込まれるJリーグの試合開催はほとんど見込めなくなったため、プロサッカー関係者や市議の間からは投資に見合う収益の確保への不安も指摘されていると報じられている[11]。
このため、1992年のJリーグカップを除いて1993年のJリーグ発足以後続けられた駒場でのJリーグ開催はリーグ・カップ戦を含めて初めて1試合も組まれないことになった。これに付随して、2010年まで「浦和レッズ本拠地」としてJリーグ発行のファンズガイドに掲載されていた当競技場の紹介が2011年は削除されたが、2014年発行の「ぴあJリーグ観戦ガイド<ファンズガイドの後継公認誌>」では、試合開催こそないがレッズのホームスタジアムとして記載されている。Jリーグへの本拠地登録の届け出も2013年に一旦解除されたが、2014年に再登録されている。
命名権
さいたま市は行財政改革推進の一環として、駒場スタジアムの命名権を売却する方針を固め、同市からレッズの運営会社である浦和レッドダイヤモンズ株式会社に取得の打診が行われた。レッズは創設当初から本拠地として使用し、数々のドラマが生まれたことから「サッカーの街・浦和」における過去と未来をつなぐ架け橋、また市民スポーツとプロスポーツの融合と、サッカーの街の更なる発展に寄与することを目指して、レッズが命名権を取得することになった。
これに際し、2012年4月「浦和」または「駒場」の文言を必ず用いるという条件でスタジアムの命名権取得後の名称を募集し、「浦和」「駒場」、またはこの両方を用いた名称がほぼ均等の数だった。更に「レッズ・レッドダイヤモンズ」といったチーム名についてもわずかながら記載なしが多かったものの、ほぼ半数だったが、最終的な選考の結果、「命名権を取得するに当たり、その考え方を実現させるためにレッズが駒場に対する姿勢や具体的な取組みを示し、実現させることが大切である」とし、また「スタジアムにレッズのエンブレムを掲出することがサッカークラブの命名権取得には重要である」として、旧来から使われてきた「浦和駒場スタジアム」の名称を継続することになった。
また補助グラウンドについても、「駒場は誕生以来子供たちを育む場であり、現在も浦和レッズハートフルクラブが子供たちの心を育てる場としていること」を踏まえ、「レッズハートフルフィールド駒場」という名称を使用することになった。
今後は「浦和とサッカー」の更なる融合の実現を目指し、レッズレディースの主本拠地として使用することを中心に、下部組織でも可能な限り試合や練習に活用する、男子トップチームもJリーグの開催条件により開催許可が下りれば可能な限り毎年数試合程度開催する、地域住民や各種競技団体に幅広く利用できるようにイベントを展開するなどの取組みを進めていく。[12][1]
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite pressrelease
- ↑ 2013年一時抹消
- ↑ 直近では2008年4月29日に実施。駒場スタジアムで12時00分開始の浦和レッズレディース対東京電力マリーゼ戦の終了後(浦和 1-0 東京電力)、16時00分開始予定の浦和レッズ対コンサドーレ札幌戦(浦和 4-2 札幌)が行われる埼玉スタジアムへ「Join号」が運行された。[1]
- ↑ 浦和レッズ クラブプロフィール Jリーグ公式サイト 2014年5月10日閲覧
- ↑ J'sサッカー Vol.3(2007年5月販売)P68
- ↑ J'sサッカー Vol.3(2007年5月販売)P66・P69
- ↑ J'sサッカー Vol.3(2007年5月販売)P69
- ↑ J'sサッカー Vol.3(2007年5月販売)P69
- ↑ J'sサッカー Vol.3(2007年5月販売)P69
- ↑ さいたま市公式ホームページ「さいたま市長9月定例記者会見」(2009年9月16日実施分、14-16ページ) [2]
- ↑ 読売新聞埼玉版、2009年(平成21年)9月3日付
- ↑ 2012年(平成24年)5月24日 さいたま市駒場運動公園競技場の通称が決定