近鉄12000系電車

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近鉄12000系電車(きんてつ12000けいでんしゃ)は、1967年に登場した近畿日本鉄道特急形車両である。

12200系電車(12200けいでんしゃ)は12000系の改良増備系列で、1969年から1976年まで大量に製造され、2012年現在に至るまで近鉄特急の最大勢力となっている。本項では12200系のほか、12200系を改造した団体専用車の15200系電車(15200けいでんしゃ)・15400系電車(15400けいでんしゃ)も含めて記述する。12200系の狭幅車体版で「ミニスナックカー」と呼ばれた18400系電車については近鉄18200系電車#18400系を参照

解説の便宜上、本項では大阪難波寄り先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ12001以下2両編成=12001F)。また、12200系の中間車2形式(モ12020形とサ12120形)は末尾番号2ケタとSを組合わせた表記を用いる(モ12052とサ12152であればS52)。なお、12200系先頭車(モ12200形とク12300形)については、モ12255以下2連であれば、12255FとN55のどちらかの表記を用いるが、中間車のS55と先頭車のN55が紛らわしいため、優先的に12255Fを用いて解説する。また、12000系解説用の画像は、外観、性能面で概ね同一の12200系の画像を適時用いる。ほか、大阪上本町に向かって右側を「山側」・左側を「海側」と記述する[注釈 1]

目次

12000系

テンプレート:鉄道車両

概要

1967年12月に近畿車輛で2両編成10本が製造された。その後の増備は12200系に移行したため、1ロット20両の製造で終了した。1967年12月20日ダイヤ変更から営業運転を開始した[1]

当初は上本町(現・大阪上本町)[注釈 2] - 近畿日本名古屋(現・近鉄名古屋)間の名阪特急に集中的に投入された。車内でビュフェ営業を行なうための調理コーナーを設けたことから「スナックカー」の名称を与えられ、リクライニングシートの採用と合わせてサービスグレードの向上を目指した。後年は名阪特急に限らず、様々な線区で運用された[1]

本系列は、30000系ビスタカー」や21000系「アーバンライナー」、および量産型の12200系の影に隠れて地味な存在であったが、これらの車両も基本システムは12000系の仕様を踏襲しており[2]、その意味で本系列の影響力は大きく、1970 - 1980年代における近鉄特急車両のスタンダードを確立した車両であった[注釈 3]。本系列の走行系機器は18200系を、車体については11400系「エースカー」を設計の基本としつつ[3]、運用線区や時代の要請に見合うよう一部を設計変更した仕様とされた。このため、標準軌線区ならばどの線にも乗入れ可能で、どの特急車両とも連結可能な高い汎用性と居住性を兼ね備えた車両となった。そして12000系で確立された内外装のデザイン・座席構造・走行機器の基本設計はその後の12600系26000系「さくらライナー」に至るまで約20年間に渡って継承された[2]。本系列以後、近鉄特急車両の設計思想が全面的に見直されたのは1992年製造の22000系「ACE」においてである[注釈 4]

電算記号

Sを使用する[4]

登場の背景

東海道新幹線の開業後、新幹線を乗り継いで近鉄沿線の観光地に足を運ぶ旅客が急増し[5]、また1965年9月には5年後を目途に日本万国博覧会(大阪万博)の開催が決定され[6]、さらに近距離移動でも特急を利用する旅客が増えつつある時代背景があり[7]、今後予想される特急旅客需要の増加に対応するため、地上設備と特急車両を増強して[注釈 5]特急大増発を行なうことになった。

このような流れの中で迎えた1967年12月ダイヤ変更では、名阪乙特急(大和八木四日市桑名の中核都市に停車する名阪特急)が7倍増しの14.5往復まで増発された[8](名阪ノンストップ特急は本数据置)。そして、この名阪特急倍増に備えて新造されたのが12000系である[注釈 6]。名阪ノンストップ特急と乙特急の双方に投入され[9]、近鉄特急のサービスレベル向上の一翼を担うことになった。

外観・車体構造

ファイル:KINTETSう12200 7.JPG
幌カバーを開いた状態
(12200系更新車)

車体は10100系「新ビスタカー」で確立された従来のデザインから大きく変更され、前面は丸みを帯びた形状とし、前照灯は埋め込みタイプとなった。

また、需要変動による編成の増減や、運用上大和八木駅などで列車の分割併合が頻繁に実施される近鉄特急だが、従来は剥き出しであった貫通幌を観音開きのカバーで隠すことにした。前面の特急標識は、分割併合時の作業時間短縮を重視するため、従来の逆三角形の特急表示装置の設置を取りやめ、新たに貫通扉に円形の電照標識(縦書きで「特急」と入る)の両側に翼を付けた形の特急標識を採用した[注釈 7]。翼と中央部を分割して左右の幌カバーと貫通扉に固定方式としたため、作業員の負荷が低減された。

また、電照式の行先表示板差しと一体となった標識灯尾灯が採用された。標識灯は、列車接近をいち早く発見するため[注釈 8]、および球切れによる不点灯が踏切・駅通過時の危険をともなうため、当系列より左右2灯ずつとなった[10]。この標識灯、表示板差しのセットは左右に各1基設置されたが、一方は行先、もう一方は「ノンストップ」「臨時」「吉野連絡」の表示あるいは親子列車の別の行先表示などが入るようになっていた。側面は行先表示板差しが設置されているが、方向幕は装備されなかった。また、「Snack Car」のロゴを入れている。窓下の腰板部の裾絞りは、新開発のリクライニングシートの幅を最大限有効活用するために、この部分の車体断面形状を11400系までの窓下で内側に折れ曲がる直線的なものから緩やかな曲線を描いて車体幅が絞られるものに変更している[11]。また、側窓の幅は従来の1,620mm(16000系の数値。11400系は1,600mm)から1,700mmに拡大された[12]

踏切事故による乗務員・乗客・車両への損傷を最小限に抑えるために、近鉄特急車としてはじめて前面にスカート(排障器)が取り付けられた[注釈 9]。登場当初は密着式連結器の下に電気連結器が装備されていなかったため、スカート中央に切り欠きがなかった[13]。モ12000形では、このスカートと台枠の間に挟まるように連結アダプター箱が設置された。これは、当系列製造時点ではまだ大勢を占めていた柴田式自動連結器を備える旧型車との緊急時における連結を考慮したものである。

これらの観音開き型幌カバーをはじめ、埋め込み式の前照灯、正面排障器など特徴的な先頭形状は1970年代の近鉄特急の顔となり、また下ぶくれした車体断面形状や側窓寸法も含めて、そのほとんどが12600系まで継承された。 テンプレート:-

車両性能

主要機器

本系列のシステム面での基本となった18200系は、京都線橿原線直流600V電化であったため、大阪線・山田線の直流1,500Vと京都線・橿原線の直流600Vの双方に対応する複電圧車であったが、12000系はそれらへの乗り入れを行わないため、直流1,500V専用となり、機器構成が簡素化されている。

MT比は1:1(2両編成で1両ずつ電動車付随車を連結)で18200系と同様であり、経済性重視の編成とされた。

制御器
ファイル:Kintesu12200 controller ABFM-254-15-MDHA.JPG
ABFM-254-15MDHA
主制御器(右は断流器)
ファイル:Kintetsu12200 air.JPG
C-1000形空気圧縮機
(左は供給空気溜)
ファイル:電動発電機.JPG
HG-584-Cr電動発電機

制御器三菱電機ABFM-254-15MDHA電動カム軸式抵抗制御器をモ12000形の進行方向向かって右側の台車間に搭載し[11]、18200系に採用されたABFM-214-15MDHを単電圧仕様に簡素化して改良したものである。

この制御器は、2基のパイロットモーターを搭載し、2軸のカム軸を個別に駆動することで大電流の大出力電動機による1C4M制御に対応する。

なお、大阪線に存在する連続33パーミル下り勾配区間で抑速発電ブレーキ機能を確実に使用可能とするため、モ12000形の進行方向向かって左側の台車間に、大容量抵抗器を搭載している。

主電動機

主電動機は18200系と同じ三菱電機MB-3127-A[注釈 10][11]で、駆動方式にはWNドライブを採用している。歯数比は80:21で、これは11400系や18200系と同一である。

台車

台車は近畿車輛KD-68(モ12000形)・KD-68A(ク12100形)で、18200系で採用されたKD-63・KD-63Aを基本としつつ部品構成を見直して簡素化したシュリーレン式軸箱支持機構を備える、ダイレクトマウント式空気ばね台車である[11]

ブレーキ

設計当時の近鉄で標準であった、HSC-D発電ブレーキ付き電磁直通ブレーキを搭載する[11]

なお、電動車・制御車ともに基礎ブレーキ装置は台車シリンダー式の両抱き式踏面ブレーキとなっている。

補機

電動発電機空気圧縮機はク12100形に搭載されている。電動発電機は日立製作所HG-584-Crで、2両分の冷房、暖房、照明、スナックコーナー用調理機器等の電源を賄うために50KVAの発電容量を確保している。空気圧縮機は低周波振動の少ない三菱電機製C-1000形が採用された[11]

パンタグラフ

パンタグラフは当初、複電圧で集電容量確保の必要から1編成で2基搭載であった18200系とは異なり、モ12000形の連結面寄りに東洋電機製造PT-4203-A菱枠パンタグラフを1基のみ搭載していたが[11]、のちに運転台側にも増設し2基搭載となった。

この際、既設の冷房装置との干渉を避けて台車中心よりも大きく前進した位置にパンタグラフを搭載したため[注釈 11]、後述する12200系と比較して勇壮な印象の外観となっている。

編成

本系列は以下の2形式で構成される。

  テンプレート:TrainDirection
形式 モ12000形(Mc) ク12100形(Tc)
搭載機器 CON,◇ MG, CP
自重 40.0t 35.0t
定員 64名 64名
車内設備 スナックコーナー 洗面室・トイレ
  • 搭載機器欄のCONは制御装置、MGは補助電源装置、CPは電動空気圧縮機、◇はパンタグラフ(営業開始当初は1基搭載)。
  • 編成定員は128名。

編成はこれら2両を背中合わせに連結した2両編成を基本とし、固定編成の21000系・23000系・21020系を除く近鉄の標準軌間線区用特急車各系列と組み合わせて2両から10両編成の範囲で運用される。

車内設備

スナックコーナー

モ12000形の運転席寄りにスナックコーナーと称する、軽食サービス基地を設置した。レザー張りのカウンターがあり、ここで調理した軽食を座席に運ぶサービスを実施していた。デッキは設置されていないためにスナックコーナーは客室から素通しであった。カウンター内にはシンク電子レンジ、小型冷蔵庫、ウォータークーラー等が設置され、またカウンターの向かい側のスペースには中央に大型冷蔵庫、両側に材料置場、上部に食器棚が設置された[13]。このスペースには客席から見えるように洋酒飾り窓を設け、その下には翼をはばたかせた鳥のレリーフがワンポイントで設置された[14]。なお、スナックコーナーは営業列車の増加を見越し、10100系の一部にも設置された[13]

座席

座席は従来の回転クロス構造とは異なり、近鉄特急車として初採用となる回転式リクライニング構造(同心回転)[15][注釈 12]で、2段式(中間なし)簡易タイプである[3][11]。リクライニングをさせると座面が前にスライドするのが特徴である。11400系と同定員を確保しつつ、リクライニング機構を採用することは容易ではなかったが、ジェット旅客機が950mmのシートピッチでリクライニングしていることに着目し、検討を重ねてようやく採用となったものである[16]。座席モケットの色はエンジである。

座席テーブルは国鉄の在来線タイプとは異なり、新幹線車両(0系初期タイプ)と同様のひじ掛けにテーブルを内蔵する方式である。支柱を引出して同一平面で180°回転して支柱上に倒す構造で、座席が窓際に位置する場合でもテーブルセットが可能となるよう考案された[3]。当時の近鉄特急の座席は前席背面に格納した折りたたみ式テーブルが主流であったが、肘掛内蔵型のテーブルの出現によって利便性が大きく向上し、スナックコーナーで調理した食事をここに載せて食べることが可能となった[11]

シートピッチは11400系比でプラス30mm拡大されて980mmとなった。このシートピッチは当時の新幹線0系の940mm[17]と比較しても、なお40mmのアドバンテージを有した。座席の一人分の有効幅は455mm、座面高さは440mmで、リクライニング角度は通常20度、リクライニング時は38度まで倒れ、座面のスライド寸法は95mmである[11]

この座席形体は、様々な改良を加えつつも21000系まで継承された[注釈 13]

内装

客室内装は木目のデコラを基調として、床材は近鉄特急の当時の標準であった市松模様とした。天井は木目とのバランスを考慮のうえ白系の色調とした[11]。窓柱には4柱おきにガラスの花瓶を設置して飾り造花を差し込み、客室内のアクセントとした。連結面側ドアは横縞の入ったアクリル製のタッチ式マジックドアが設置された。他のドアは一般的な化粧板を貼り付けたマジックドアである[11]。化粧室寄りドアはトイレの構造上、客室から見てやや右側にオフセットしており、連絡する乗務員室用ドアも同様にオフセットしている。

天井照明は10100系以来の逆三角形アクリル製カバー付の蛍光灯照明である。なお、スナックコーナーの天井は白熱灯のスポットライト式である[18]。また、ク12100形トイレ寄り妻壁の左側にもデザイン処理をした円形の間接照明を設けた。サークラインが背面にセットされており、左半分が銀色、右半分が金色の反射板がついており、点灯すると柔らかい光が溢れる[3]

空調

空調装置は、11400系以来実績のある冷凍能力4,500kcal/hの東芝RPU-1103分散式ユニットクーラーを1両に6台設置し、各台ごとに強弱を切り替える押しボタンが天井に設置されている[11]。暖房はシーズワイヤー式ヒーターが座席下に設けられている。座席下のヒーターは蹴込板を傾斜させて、足置きとしても使えるようにしたため、シートピッチの数値以上に広々とした足元スペースを実現した。また、側壁内にはパネルヒーターが内蔵され、客室窓のペアガラス化ともあいまって車内暖房性能の向上が図られている[11]

化粧室・トイレ

ク12100形の運転席直後に、和式を1か所設けている。ク12100形は乗降扉を2か所設置しており、かつ定員をモ12000形と同一の64名とするため、トイレを運転席直後に設置することでスペースを確保した。便器は進行方向斜めに向けて設置されている。トイレのドアは開くと排水する仕掛けである。また洗面台は手をかざすだけで蛇口から水が出る電子オートコック式である[11]。製造時は垂れ流し式であったが、後にタンク式に改修された。台車と干渉するためタンクは台車の後方に設置されている。汚物が配管を流れるようにするため、鉄道車両では珍しくフラッシュバルブが採用されていた。

運転台

18200系に準じたレイアウトとされた。大きな違いは、貫通扉に装備されている特急マーク裏側のサークラインに繋げる電線が運転台からのびている点と、デザイン上、幌を格納する必要から扉の厚みが大きいことである。また、背後の客室と連絡する扉は車掌室側にオフセットされている。

改造・車体更新

前述のように、1969年から集電能力向上のため、モ12000形に従来1基搭載だったパンタグラフを運転台側にもう1基増設して2基搭載とした。この工事は1970年3月までに完了した[19]

黄害対策として1969年より床下に汚物タンクを取り付ける工事が施工された[20]

1973年の列車無線[注釈 14]の運用を前に[21]、列車無線アンテナの設置が行われた[4]。その他、密着式連結器の下に電器連結器が増設され、合わせて排障器中央に切り欠きが設けられた[20]

1983年から車体更新工事を施工した。車内設備の老朽化による取り替えのほか、営業を既に取りやめていたスナックコーナーの撤去(車内販売準備室の設置)などを行った。この際、「Snack Car」の側面ロゴも撤去されている。フロントマスクは、前年に更新された11400系ク11520形[注釈 15]と同形状で、30000系と同じく行き先表示が方向幕式化のうえ、標識灯兼尾灯カバーも変更となり、側面にも方向幕が設置された。運転台の窓は熱線入りガラスに交換された。車内内装も同系に準じた明るいカラーリングとし、座席モケットもオレンジ色に変更するなど面目を一新した。この工事は1986年1月竣工の12008Fをもって全車完了した[12]。この工事による定員の変更はない[22]

客室内の換気は当初は行なわれていなかったが、後年、たばこの煙やそれに伴う車内の臭気の除去を行なうために換気扇が設置された[4]

当系列は後述の12200系とは異なり、将来の120km/h運転を見越したブレーキ制御圧切替装置を搭載していなかった関係上、1988年3月から名阪甲特急に限って実施された120km/hへのスピードアップ対応工事から外され、もっぱら名伊特急で運用されていた。ところが、その後山田線の改良による速度向上が可能となったことで、1990年から1991年にかけて当系列にもブレーキ制御圧切替装置を搭載の上、最高速度120km/h対応工事が行なわれた[23]

運用

新幹線開業によりダメージを被った名阪ノンストップ特急と、大増発された名阪乙特急を対象に1967年12月20日ダイヤ変更時から投入された[1]

しかし、実際運用してみると、名阪ノンストップ特急は多客期をのぞけば成績が振るわず、この特急最大のアピールポイントであったビュフェサービスの売上も同様のあり様であった[2]。一方、名阪乙特急は、最初の内こそ振るわなかったものの、運行開始1年後より少しずつ乗客が増え始め、前者は本系列1編成(2両)でも充分で、後者は他編成と併結して4両の運用と、両者はまったくの好対照をなした[24]。なお、スナックコーナーの営業は名阪ノンストップ特急のみ実施されたが、利用が少ないのは如何ともし難く、昭和40年代の終わりまでに営業が中止され、以後は車内販売基地として活用された[12]

車両運用は、編成単独の運転や10100系、10400系、11400系、12200系等と併結された。特に1970年代の名阪ノンストップ特急は、本系列をはじめ12200系などが1編成単独で走行する姿が定番となった。1978年以降は10100系の代わりに30000系「ビスタカーIII世」12400系などの「サニーカー」との編成も組まれた。運用線区は当初こそ名阪特急主体であったが、その後は標準軌線各線で運用され、汎用車両としての立場をいかんなく発揮した。

1988年以降は120km/h対応工事から外されたこともあって名伊特急主体に運用された[1]

2000年8月20日に12003Fと18400系18408Fの併結によるさよなら運転が貸切列車として近鉄名古屋 - 五位堂間で運転された[25]

廃車

製造後早くも1969年に伊勢中川駅構内の脱線事故で12007Fが、また1971年には総谷トンネル事故で12001Fがそれぞれ廃車となっている[12]

その他の8編成16両は30年以上にわたって使用されたが、老朽化が進行したことから1999年から2000年までに全車が廃車となり、形式消滅した[26]

12200系

テンプレート:鉄道車両

概要

1970年に開催される日本万国博覧会(大阪万博)に歩調を合わせて「伊勢・志摩を万博第2会場に」という合言葉のもと[27]、万博輸送の便を図るべく難波線の建設を推進するのと並行して、万博来場客を伊勢志摩に誘致させるべく鳥羽線の建設を行ない、また志摩線では改軌工事が完成することに合わせて、難波・名古屋の両駅と賢島駅の間に直通特急が運転されることになった[28]。この時の輸送量増加を見越して特急車両を大量増備する名目で製造されたのが12200系である[29]。1969年3月に18400系とほぼ同時に竣功した[30]。本系列は12000系を基本としながらも、化粧室レイアウトの見直しとスナックコーナー拡大、保安度向上を盛り込んだ車両となった。また、万博終了後も特急利用客が引き続いて増加したことで1976年までに中間車も含め168両(事故廃車された2両を含む)[4][注釈 16]、56編成が製造された。

12000系の車内構成を見直した本系列は、適正な化粧室と客室の配置となり、特にスナックコーナー省略型編成の車内レイアウトは以後の汎用特急車両の基本形となった。

基本的な仕様・性能は12000系に準じているので、改良された点を中心に記述する。

電算記号

2両編成がN、4・6両編成がNS、中間車がSである[4]

外観・車体構造

前面形状は概ね同様だが[注釈 17]、側面には方向幕が設置された。また、スナックコーナーの拡大により、コーナー部分にも窓が設置され、窓の上部または下部に「Snack Car」のロゴが入っている。海側は資材の出し入れのため開閉式となり[31]、山側は立食の乗客が景色を見られるように窓位置が他の客用窓と比べて200mm高くなっている。なお、初期車は不燃基準がA基準であったが、増備途中(末尾16以降と中間車)[32]から地下線走行を考慮しA-A基準に変更されている。

特急列車同士の増解結によるさらなる時間短縮を目的として、電気連結器が新たに設置され、あわせて正面スカートに切り欠きが設けられた。ただし、電気連結器を持たない10100系との連結を考慮し、ジャンパ栓および車体にジャンパ栓受けの設置が継続して行なわれた。また、12000系から引き続いて制御電動車のスカート上に連結アダプター箱が設置された。アダプター箱はスカートの取り付け台を兼ねるために撤去が困難で、柴田式自動連結器を有する旧型車両が淘汰された後も設置されたままとなっている[4]

車両性能

主要機器

おおむね12000系の仕様を踏襲するが、将来の120km/h運転を念頭に置いて機器の追加や仕様の変更が行われた。

制御器・主電動機

制御器は三菱電機ABFM-254-15MDHA電動カム軸式抵抗制御器を、主電動機は三菱電機MB-3127-Aを、それぞれ搭載する。

いずれも12000系の仕様をそのまま踏襲する。

台車

12000系のKD-68・KD-68Aを改良した近畿車輛KD-71(モ12200形)・KD-71A(ク12300形)を装着する[33]

当該系列は、18400系とほぼ同時期に製造されたものの、厳密には半月ほど早く18400系が竣工している[33]。スペックにおいては両系列ともほぼ同一で、電動車の台車も同仕様の両抱き式踏面ブレーキだが、付随車については明確に違いが存在する。先行する18400系は、18200系や12000系と同様の両抱き式踏面ブレーキだが、当該系列は、10000系以来の制動力の高いディスクブレーキを採用した[33]。電動車を両抱き式踏面ブレーキ、付随車・制御車をディスクブレーキとするこの組み合わせは、これ以降、近鉄特急では標準となっている。

ブレーキ

HSC-D電磁直通ブレーキを搭載する。

ただし、120km/h運転対応として高速域からの非常制動距離を短縮させる制御圧切替装置が追加搭載されている。これはブレーキをかけた際に発生する粘着力は各速度域に応じて変化するが、この粘着力を有効利用するためにブレーキシリンダー圧力を速度によって段階的に変化させる機構である[34]

集電装置・その他

パンタグラフは2台に増設された。33‰上り勾配においても均衡速度100km/hを確保している。

その他、空気圧縮機・主抵抗器・電動発電機等は12000系と同仕様である。

車内設備

車内ではモ12200形のスナックコーナーのカウンターが、12000系と比較して倍以上の面積の2,355mm×1,770mmに拡大され(モ12000形のカウンターは1,595mm×1,200mm)[35]、この関係で運転室との仕切扉は、客室から見て右側の車掌台側に寄せられている。このため、12000系にあった物置スペースは廃止され、山側に窓が設けられた。客室とコーナーの間は乗降扉が設置されているがデッキはないため素通しであるが、乗降扉と客席の間にパーティションが設けられ、この部分には補助席(4人分)が設置された[35]。スナックコーナーは第20編成まで設置されたが、営業上の問題が多く、12221F以降は設置されなくなり、モ12200形の定員は60名から68名に増加した[35]

座席構造は概ね同様であるが、製造途中から18400系において新規採用された偏心回転構造を採用した[36]。これによりテーブルをセットした状態でも回転可能となった。

トイレは付随車に設置されている点は同様であるが、運転台側から連結面側に移動した。12000系ではシートピッチの拡大とリクライニング機構の新採用を図りつつ、定員をシートピッチ950mmの11400系と同数の64名としたために、そのしわ寄せとしてトイレのレイアウトに無理が生じた。12200系では定員を60名として車内レイアウトに余裕を持たせ、トイレについては和式の個室と近鉄特急車として初採用となる洋式の個室を1つずつ設置した[35]。また洗面所はデッキ部に設置した。処理方式は垂れ流し式から貯蔵タンク式になった。

乗務員室の前後寸法は12000系の1,180mmに対して1,210mmと30mm拡大された[35]

編成

12200系は全56編成の内、スナックコーナー付の12201F - 12220Fと、製造当初からスナックコーナーを省略した12221F - 12256Fの2つのグループに大別される。本系列は2両で1編成を組むスタイルを基本とする。しかし後年、需要増によって中間車が増備され、スナックコーナーなしで製造された一部の編成を対象として中間車を組込み、4両固定編成や6両固定編成が組成された。以下の編成表はそれに対応するものであるが、定員は新製当初のものを記載している。後年のスナックコーナー撤去と車体更新工事によって変更された定員は「改造・車体更新・編成替え」節で解説する。

大阪・京都発着編成
名古屋発着編成
テンプレート:TrainDirection
テンプレート:TrainDirection
12201F - 12220F
2両固定編成
電算記号:N
形式 モ12200形 (Mc) ク12300形 (Tc)  
自重 40.0t 35.0t
搭載機器 ◇,CON,◇ MG, CP
定員 60 60
車内設備 スナックコーナー 洗面室・トイレ
12221F - 12230F
2両固定編成
電算記号:N
形式 モ12200形 (Mc) ク12300形 (Tc)  
自重 40.0t 35.0t
搭載機器 ◇,CON,◇ MG, CP
定員 68 60
車内設備 洗面室・トイレ
12231F - 12256F
(12249F・12250Fを除く)
4両固定編成
電算記号:NS
形式 モ12200形 (Mc) サ12120形 (T) モ12020形 (M) ク12300形 (Tc)
車両写真 120px 120px 120px 120px
自重 40.0t 35.0t 40.0t 35.0t
搭載機器 ◇,CON,◇ MG, CP ◇,CON,◇ MG, CP
定員 68 64 68 60
車内設備 洗面室・トイレ 車内販売準備室 洗面室・トイレ
  • 12249Fと12250F(6両固定編成)の組成内容については編成替えの節を参照のこと。
  • 搭載機器欄のCONは制御装置、MGは補助電源装置、CPは電動空気圧縮機、◇はパンタグラフ。
  • 編成定員は6両編成が392名・4両編成が260名・2両編成が128名(スナックコーナー付は120名)。

増備車

1969年3月に6編成12両が12200系グループの先陣を切って竣功した[35]。これ以後先頭車は56ユニット112両、また後述の中間車は28ユニット56両に渡って製造され、近鉄が保有する特急用車両各系列においては最多両数となる、計168両にのぼるマスプロ生産が行なわれた。

1969年12月竣工の12221Fから、モ12200形のスナックコーナーを省略して製造され、当車両の定員は8名増加した[35]。同年3月に12201Fが竣功してから僅か8か月足らずでスナックコーナーを廃止した車両の竣功となった。

12246Fまでは先頭車単独で製造されたが、それ以降は中間車も並行して製造され、1971年12月に竣功した[35]。これは当時の国内の商用、観光面の人の動きが活発化し、また20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮による需要の増加が見込まれていたための対応であった(1971年12月に宇治山田駅 - 五十鈴川駅間の複線化の完成も観光需要増を見込んだ路線強化策であり、中間車もこのタイミングで製造された)[37][注釈 18]また、需要増による編成両数増加で、中間車に運転台付車両が多く含まれることは製造コストの観点からしても好ましいことではないため、今後は需要増に対して、運転台付車両の増備と並行しながら中間車も製造してコスト低減を押し進めることになった[38]

こうして増結用中間車2形式、モ12050形 (M) とサ12150形 (T)が竣功した(末尾51 - 53の3ユニット6両)。

モ12050形(M)
定員68名の中間電動車。大阪寄り車端部に車内販売準備室を備える。台車はKD-71D。屋上にパンタグラフ2基を備える。
サ12150形(T)
定員64名の中間付随車。大阪寄り車端部にトイレ・洗面台を備える。出入台は2か所ある。台車はKD-71E。
ファイル:KINTETSU12200 SA12120.JPG
最初に製造された中間車グループのサ12152号車

近鉄電車の付番方法は複雑であるが、10400系以降12600系以前の特急車では概ね制御電動車を基準として、ペアを組む制御車に100を、中間電動車は50を、中間付随車には150を足す付番方法がとられた(12400系の場合は モ12400[基準車両] - サ12550[基準+150] - モ12450[基準+50] - ク12500[基準+100] )[注釈 19]。しかし12200系の場合、中間車の形式番号がモ12250形(基準+50)とサ12350形(基準+150)とならなかったのは、このとき既に両先頭車の末尾番号が50番台(12250F)まで達していたからである。このため10編成で製造を終えていた12000系の形式番号ならば重複しないため、12050と12150を中間車の形式番号として採用した(後述の12020と12120に繰上げ変更しても、なお12000系の番号とは被らない)[39]

これにより一部の編成が4両編成となった。この中間3ユニットは同日竣功[35]の12247F - 12249F(12250Fも同日竣功)に組込まれ、末尾不揃いの4連デビューとなった(この時点で12251F以降の先頭車はまだ存在していなかったため、末尾2ケタを一致させようがない)[40][41]。翌1972年12月にS54 - S55の2ユニットが竣功し先頭車も12252Fまでが竣功した。さらに翌1973年3月に12255Fまでが竣功したが、中間車においてはこれ以後、末尾2ケタを先頭車のそれと合わせることになり、特に末尾30-40番台の先頭車に組込んでいくことから中間車の末尾番号が若返っていくことになった[4]

この時、中間車2形式の形式番号よりも若い番号の車両が大量に発生することから形式称号の変更を実施することになり、1973年5月26日付でモ12050形はモ12020形に、サ12150形はサ12120形にそれぞれ形式名が変更された[35][4]。これにより、モ12200形 (Mc) - サ12120形 (T) - モ12020形 (M) - ク12300形 (Tc) の編成とした。また末尾2ケタに関係なくランダムに組込まれた中間車も順次、末尾番号が揃うように組成された。これ以後、例えば12241Fであれば、モ12241 - サ12141 - モ12041 - ク12341という具合に編成の末尾2ケタが綺麗に揃う編成となった。

先頭車は若い番号順に製造されたが、中間車は必ずしもその通りには製造されず、末尾2ケタ51 - 53(1971年12月)が最初に製造され、次に54 - 55(1972年12月)、若返って41 - 50(1973年4月)、56(1974年12月。56のみ末尾番号の一致した先頭車と同時に落成した)、38 - 40(1975年6月)、31 - 37(1975年12月)、29 - 30(1976年12月)の順に製造され、製造順序と番号順序が不一致という結果になった[35]

ファイル:KINTETSU12400 SC.JPG
12200系の実質的な最終増備車は12400系
12401F(もと12257F)

また、38と39は12238Fと12239Fには組込まれず、既に4両編成化されていた12248Fと12249Fに組込まれて6両編成化されたが翌年、組成相手を12238Fと12239Fに変更した[4][注釈 20][39]。また最後の29 - 30の内30は既に4両編成化された12250Fに組込まれて6両編成となった[42]。29は前年に39を組込んで6両化された12249Fから39と入替えとなり、同編成の6両編成は維持された。

このような中間車製造の経緯によって、先に製造された先頭車と後年になって製造された中間車を組合わせることによって、同じ編成でありながら製造年月のずれが生じる結果となった。唯一、一致しているのは12256Fのみで、12231Fでは両先頭車が1970年2月竣功、中間車S31は1975年12月竣功で、他車においても約1年半から5年半のずれが発生している[35]。このことが後年、車体更新時期のずれを生じさせることで先頭車は旧仕様の内装、後年更新された中間車は新仕様の内装であるため編成を組むことが出来ずに、中間車のみ他編成に組換えが行なわれる原因となった。また後年製造された中間車であっても需要減によってB更新されないまま廃車となって短縮された編成も発生した。

こうして1976年から1996年に至るまで、以下の編成が維持された。

2両編成 12201F - 12230F(12202Fを除く) 29編成
4両編成 12231F - 12256F(12249F・12250Fを除く) 24編成
6両編成 12249F・12250F 2編成

増備されるに従い台車も改良が加えられ、形式も変更された。モ12233 - モ12250がKD-71B、モ12251 - モ12256がKD-71D、ク12333 - ク12250がKD-71C、ク12351 - ク12356がKD-71Eとなった[37]

1977年12月には10100系の廃車代替として12257F - 12259Fが製造されたが、翌年登場の30000系を意識した意匠を取り入れたために変更の度合いが大きく、監督官庁からの指摘を受けて竣功届提出の翌日に形式称号変更届を提出して12400系となった[43]。この形式称号変更によって結果的に12200系の約8年に及ぶ製造に終止符が打たれた[35][注釈 21]

改造・車体更新・編成替え

列車無線アンテナ設置とスナックコーナーの撤去

ファイル:KINTETSU12200 12231F WINDOW.JPG
小型化されたトイレのスリガラス
(12231F)
ファイル:KINTETSU 18409F車内.JPG
簡易車内改装後の内装
18400系18409Fの車内

製造当初は先頭車に列車無線アンテナが設置されていなかったが、1971年製の車両から取り付けられ、それ以前に製造された車両にも列車無線の運用を前に取り付けが行なわれた[4]

1977年からは既に営業を停止していたスナックコーナーを一部編成で撤去した。スナックコーナー部分には4座席を増設し、定員は68名に増加した(増設区画のシートピッチは940mm)。側面窓は他の客席と同じ高さ・形状にそろえられている。ただ、車内販売基地が失われるという欠点もあり、12218F・12219F・12220Fの3編成のみにとどまった[35]。これ以降は、スナックコーナーを撤去した跡に車内販売基地を設置し、基地と客室の間には仕切を設けて区分し、客席は4名分増加して定員64名となった。この工事は1982年から開始され、翌1983年までに全車完了した[35]

ほか、電気連結器を持たない10100系が廃車になると、10100系との連結に際して必要だったジャンパ線が不要となるため、1980年より順次撤去が行なわれた[35]。また、12000系同様、客室の換気を行うために換気扇が1両につき2台ずつ設置された[4]。また、1984年からはトイレのスリガラス(白窓)の小型化、ないし撤去作業が開始された[35]

1980年代に入って簡易車内改装が実施された。市松模様の床や木目調化粧板はそのままであるが、カーテンや座席表布を12400系と同じものに交換した[44]

車体更新(A更新)

1985年からは、本格的な車体更新工事が開始され、12000系同様に前面は方向幕を設置し、客室については内装を12400系などの「サニーカー」と同様の白系の明るい色調のものに、座席は未更新車も含め表地をオレンジ色のものに、座席のリクライニング方式は3段式からフリーストップ式に、床敷物も市松模様から長尺タイプに変更した。トイレのスリガラスを小型化、ないし撤去する改造は引き続き行われたが、屋上のベンチレーターの排気口が外向きから中央向きに変更された[4]

1990年からは室温を均一に保つため、および客室の静寂性保持のためク12300形の運転室直後の出入台と客室の間に仕切りを設ける工事が施工された[4]。この際、仕切りのスペースを捻出するために座席を1列分撤去のうえ、その部分の窓も小窓に変更され、併せて衝立を設置のうえ荷物置き場を設けた。これにともなって屋上のユニットクーラー、及び行き先表示器も移設された[45]。これにより定員が変更され、4名減の56名となった。ほか、モ12200形においても出入台と客室の間に仕切りが設けられたが、もともと設置されていたパーテーションを仕切設置のスペースに転用したため、定員の変更はない。ほか、運転台の窓は防曇対策として設置されていた長方形の枠(デフロスタ)と窓が撤去され、EWガラス(熱線入ガラス)に交換された[35]。この更新工事にともない、先のスナックコーナー撤去スペースに8座席を設けた12218F・12219F・12220Fの3編成は、扉を運転台直後に配して仕切りを設け、12221F以降の車内見付と同様となった[注釈 22]。この更新に伴い、仕切り扉をマジックドア方式から光電スイッチ方式(光線の照射により人を感知して開く)に改めたが[4]、モ12020形 - サ12120形間の貫通路や乗務員室入口ドアは手動式が残された。

1985年から1991年4月までの更新は制御車を対象に施行したが、4両編成の12231Fと12232Fは、車齢の若い中間車(S31とS32)を未施行としてやはり制御車のみ更新した[46]。主として12400系の内装に合わせる更新は12227Fと12231F(1991年4月竣功)[46]をもって終了した。

なお、1989年以前の更新車についてはク12300形に仕切りを追設する工事が1990年以降に施工された[47][注釈 23]

1977 - 1996年の期間に施工された改造による定員の変化
編成名 編成両数 モ12200 サ12120 モ12020 サ12120 モ12020 ク12300 備考
12201F - 12217F 2 60 → 64 - - - - 60 → 56 スナックコーナー撤去・ク12300形にデッキ新設
12218F - 12220F 2 60 → 68 - - - - 60 → 56 スナックコーナー撤去・ク12300形にデッキ新設
12221F - 12230F 2 68 - - - - 60 → 56 ク12300形にデッキ新設
12231F - 12248F 4 68 64 68 - - 60 → 56 ク12300形にデッキ新設
12249F - 12250F 6 68 64 68 64 68 60 → 56 ク12300形にデッキ新設
12251F - 12256F 4 68 64 68 - - 60 → 56 ク12300形にデッキ新設

一方で、12227Fと12231Fよりも1か月前に竣功した12252F(1991年3月竣工)は初めて中間車も更新し[46]、同時に21000系に準じたモノトーン調の内装に変更され、以後の更新車は全てこの内装とされた(制御車は末尾33以降。中間車は全車)。これは、従来の更新工事が新造当初の姿に復元させる原状復帰を目的としていたのに対し、この度の更新より21000系に代表される高品質デザインを近鉄特急車両全体のトータルイメージとするべく、インテリアの統一化を図ることにしたものである。インテリアデザインのコンセプトを「ハイクオリティ」としてデザイン展開し、デザイン監修は山内陸平が担当した[48]

主な更新内容は天井照明を間接式に変更(空調吹出し口は従来品を流用)、また荷物棚はネット式のものからアルミ製のスリット状のものとなり、その下に蛍光灯を設置し、カーテンもロイヤルラインからベージュ地に、座席表布はカクテルレッドと呼ばれるピンク中心の混色仕様になったほか、床もストライプタイプのものから濃茶色の敷物に交換された。車内の号車表示も札式からLED式となって、トイレ使用表示灯も併設された。また、出入台と客室の間にも仕切りを設ける工事が行われ、あわせて客室側の妻壁には21000系に準じたドット模様が描かれ、仕切りドアは縦長の細窓が設けられた。デッキも21000系同様で、グレー系の化粧板に交換され、天井はアクリルカバー付の直接照明に代えてダウンライトが取付けられた。トイレ床面も21000系に準じた天然石を採用するなど、従来の更新車とは大きく異なる雰囲気となった[49]

1995年10月には最後まで原形の前面形状を保った12250Fが更新のため工場に入場し、羽根型特急マークのオリジナルスタイルが消滅した[50]。本系列のA更新はS32を最後として1996年4月で完了している[46](この時編成替えが行なわれたが、その件に関しては後述する)。

塗装変更

1991年には、今後の汎用特急車に採用する新しい色味を確認するために、12252F、12243F、12244F、12247Fにおいて試験的に塗装の変更が行われた[51]。塗り分け自体に変化はなかったが色味が変更となり、最初に変更された12252Fではオレンジが黄味がかり、紺色は水色のような色味となって、前述の21000系に準じたアコモデーションの変更と同時に登場した。他の3編成では黄味がかった色味と水色より若干青味がかった色味で登場した。いずれも明るさと透明感を表現したものである[48]

この更新工事の前後に新製された22000系が前記4編成とは異なる色味で落成したが、これが新たな汎用特急車の塗装として全面的に採用された。先の4編成も順次この色味に塗り替えられ、試験塗装は短期間で消滅した。この新塗装は車体更新工事未施工の編成にも採用されたため、ごく短期間ではあったが羽根形特急マークのオリジナル車両と新塗装の組合せが見られた[51]

パンタグラフの変更と最高速度120km/h化対応工事

一部車両についてはパンタグラフを下枠交差式の東洋電機製造PT48系に取り替え、1988年には120km/hへのスピードアップ対応のための改良工事を実施した。具体的には120km/hからの制動距離を600m以内に抑えるためのブレーキシリンダーの圧力変更、パンタグラフ集電すり板部分のばねを架線追従性向上を目的として3元ばねへ交換、ATSの上限速度の変更、下り勾配時の抑速運転速度向上のための抵抗器容量向上の改良工事である[4][52]。この120km/h運転対応化にあたり12203Fがデータ提供のため、1986年10月から12月の間で測定器を載せて夜間に運転された[53]。同車はこの他、1987年にク12303の台車を積層ゴム方式に改造してKD-71Rとして試験され、この結果をもとに5200系の台車が製作された[35]

編成替え

1996年2月、中間車S31が車体更新の際、車内が21000系に準じた仕様に変更されたため、以前に旧仕様で更新された12231Fとは編成が組めなくなり12251Fに組込まれて6両編成化され、同様の内容で12232FとペアのS32が同年4月に12256Fに組込まれて6両編成化された[4][54]。このため、6両固定編成は前回増結分も含め4編成となった。

1996 - 2003年の6両固定編成
  テンプレート:TrainDirection
12249F
12250F
12251F
12256F
モ12249
モ12250
モ12251
モ12256
- サ12149
サ12150
サ12151
サ12156
- モ12029
モ12030
モ12031
モ12032
サ12129
サ12130
サ12131
サ12132
- モ12049
モ12050
モ12051
モ12056
- ク12349
ク12350
ク12351
ク12356
  • グレーの車両が6両化に際して増結された中間ユニット
  • 黄色は4両組成時の中間ユニット
  • 6両編成を組成する場合は4両の中間に1ユニットを挟む。このとき、モとサの位置を入れ替える[注釈 24][54]

車体更新(B更新)

1990年代半ばから特急利用客数が減少に転じ、このために特急車の保有数を暫時減らして対応した。そして車両新造を控えてコストを抑えつつ、適正両数での特急運用を維持するために、従来の特急車については新製後30年程度で廃車としていたものを、再度車体更新を実施し耐用年数を40年程度に延長することとした。更新対象は21000系に準じた車内改装を行なったグループとされ、初期車については対象外とした。こうして1998年から再更新工事(B更新)を施工されることになった[2]

2002年までの更新内容は、まず、乗降扉上部に雨樋を設置し、屋上のクーラーキセを丸みを帯びた形状のものへ取替え、機器の更新も行なわれた[4]

1998年から2002年までに12235F - 12238F・12243F - 12248F・12252Fが更新を完了したが、それ以降は21000系7000系の車体更新を中心に施工されたため、2006年までにB更新が一旦中断している。

廃車の開始(編成両数減車と6両固定編成の消滅)および団体車両への格下げ

ファイル:KINTETSU12200 12249F.JPG
S49廃車によって4両編成化された12249F
集電装置形状が先頭車、中間車で異なる

B更新対象外とされた初期車の廃車が2000年5月より開始され、2003年6月には本来であればB更新対象になりうる中間車S49とS51が需要減によって廃車となり、6両編成の12249Fと12251Fは4両編成となった[46]。さらに2004年8月にはS50が廃車となり[55]、同じく6両編成の12250Fも4両編成化された。この他にも中間車廃車により2両編成に短縮された編成が発生した[46]

2005年11月 - 2006年1月にかけて12217F、12220F、12230F、S32、S41が団体車両化された(15200系の節を参照)[56]。この内、S32が対象に含まれたことで12256Fが4両編成化されて、当該系列から6両固定編成が消滅した。同様にS41が含まれたことで12241Fは2両編成化された(後に15400系となる)。

B更新再開後

2000年から2005年にかけて中間車が減車ないしは廃車となった編成が発生する一方で、2006年からはB更新が再開され、これらの内装更新では座席を従来の簡易リクライニングシートからバケット型リクライニングシートに取替え、近鉄の汎用特急車両では初めて転落防止幌が設置された。車内販売準備室の撤去やTc車への空気清浄機の設置も実施されている。本系列のB更新は2008年の12255Fをもって完了した。

一方で経年の高い12232F以前の初期車両にはこれらの更新は施工されず、2000年から2005年にかけての初期車両および中間車の大量廃車で、この期間に廃車とされなかった12211F・12212F・12217F・12219F - 12222F・12224F - 12232Fは座席モケット張替えのみで、間接照明なし、ひも網棚ありの簡易内装更新に留まっている。

2006年以降に行われた12233F・12234F・12239F - 12242F・12249F - 12251F・12253F - 12256FのB更新時に取り替えられた座席は、22000系や23000系「伊勢志摩ライナー」と同等の固めのウレタン材質を採用したバケット型シートとなり、背ずりは21020系に類似したタイプに変更され、リクライニング機構はレバー作動のメカ式からボタン作動の油圧式に変更、座席の転換も背起こし式から足踏みペダル式に変更された(自動転換には非対応)。モケットは従来よりも赤紫の強いカクテルレッド(紅色系)である。テーブルはひじ掛け引き出し式からひじ掛け内蔵式に変更された。2009年から新型ATS (ATS-SP) 設置・デッドマン装置更新工事が開始され、2011年までに12231F - 12256Fがこの工事を受けている。

ツアー専用車両化改造

2011年12月に近鉄系列のツアー会社向けの専用車両として12241Fと12242Fが転用改造された(15400系の節を参照)。

あおぞらII補充

2013年6月に18400系の代替として、12231Fが15200系に編入された[57]。2014年2月には12243Fが15200系15205Fに、同年3月には12248Fが15206Fにそれぞれ改造された[58][59]

お召し列車

12200系を使用したお召し列車は1971年、1974年、1975年の3回運転された[60]御料車はク12300形(下記編成表の テンプレート:Color の車両)であるが、12400系サ12551のように特定の車両が指定されることはなかった。御料車に指定された車両は、車両中ほどの2窓分16席(席番21- 36)[61]を撤去して御座所を設置、ガラスは防弾ガラスに付け替え、側板の強化、床には絨毯が敷かれ、荷棚は取り外された。また、御料車のみコンプレッサーを停止して振動を抑えた。御料車の通り抜けはできないため、添乗員同士の相互連絡を行なうために電話配線の仮設も実施された[4]。なお、御料車の内装は日本国有鉄道(国鉄)クロ157形を参考にした[61]

1971年の運転は近鉄としては実に39年ぶり[注釈 25]のお召し列車の運転であったが、この時の宮内庁の意向として、御料車はトイレ付の車両であること、および車中で食事をすることから食事の準備をするための場所が欲しいとのことで、12200系の中からその意向に沿う車両を選ぶことになった[61]。御料車は当時の最新鋭のク12343で、その隣りにスナックコーナー付きのモ12214を連結して、スナックコーナーを食事の準備場所とした。車両先頭部には行先と臨時の表示板を掲げた[62]。1974年、1975年の場合もその当時の最新鋭の車両を御料車に選定している[61]

1975年5月11 - 12日の両日、英国女王エリザベス2世エディンバラ公爵フィリップが京都駅 - 五十鈴川駅間、鳥羽駅 -近鉄名古屋駅間を当系列使用のVIP編成に乗車した。この時も天皇皇后乗車の時と同様の内装としたが、御座所の前後に仕切りカーテンが設置された。運行もお召し列車と同等の扱いであった。なお、両日とも目的地到着後、女王は運転士を御料車へ呼んで労いの言葉をかけて記念品を贈呈した[61]

お召し列車編成表(1971年9月6、8日)
  テンプレート:TrainDirection
号車 6 5 4 3 2 1
形式 モ12212 ク12312 - モ12243 ク12343 - モ12214 ク12314
  • 運転区間は6日が近鉄名古屋 - 宇治山田間、8日が鳥羽 - 近鉄名古屋間であった。
お召し列車編成表(1974年11月7、8日および1975年10月24、27、28日)
  テンプレート:TrainDirection
号車 6 5 4 3 2 1
形式 モ12253
モ12256
サ12153
サ12156
モ12053
モ12056
ク12353
ク12356
- モ12214 ク12314
  • 編成表上段が1974年11月、下段が1975年10月の充当形式。12214Fは変更なし。
  • 1975年10月の編成は同年5月のエリザベス女王を乗せたVIP編成と同一である。
  • 運転区間は1974年11月は往復とも近鉄名古屋 - 宇治山田間、1975年10月は24日が近鉄名古屋 - 賢島、27日が宇治山田 - 津、28日が榊原温泉口 - 近鉄四日市 - 近鉄名古屋間であった。

2013年現在の配置と運用

2013年4月時点における在籍本数である[63]

4両編成

ファイル:KINTETU12200 20140412A.svg
12200系同士の併結による阪伊特急運用(12254F+他4連)

4両編成の場合、一部を除いて特定の系統で限定運用されていることが多い。おおまかな運用系統は以下のとおり。

  • 明星検車区 12233F - 12240F・12244F - 12247F[63]
    阪伊乙特急阪奈特急京都線系統の運用が中心で、名阪乙特急でも運用されている。12400系や12410系と共通で運用されている。この内12244F - 12247Fは主に名阪、名伊乙特急に担当されることが多く、富吉検車区所属編成と共通で運用されている。
  • 富吉検車区 12249F - 12252F・12256F[63]
    名伊乙特急や名阪乙特急など名古屋線系統での運用が大半であるが、大阪線系統の阪伊乙特急(主に大阪上本町〜鳥羽間)や阪奈特急での運用も存在する。12600系と共通で運用されている。ラッシュ時は30000系や22000系と連結した8両編成でも運用される。

2両編成

ファイル:KINTETSU12200 20140505A.png
他形式を併結した8連の阪伊特急運用(12253F+22600系)

2両編成は特に限定運用はなく、4両編成である12200系、12400系などの「サニーカー」や30000系「ビスタEX」、22000系「ACE」・22600系「Ace」の増結編成として22000系や22600系の2両編成と共通に運用されている。一部では2本連結の4両編成や3・4本を連結して6・8両編成で運転することもある。また、夏季の臨時列車湯の山線で運用されることもある。ただし、4両編成に増結する車両という関係上、特定の系統で運用されていることが大半となっている。おおまかな運用系統は以下のとおり。

  • 明星検車区 12253F・12254F[63]
    阪伊乙特急を中心に、京都線や一部の名阪乙特急でも運用されている。阪伊乙特急や京都線では同系列をもう1編成、もしくは22000系「ACE」、22600系「Ace」の2両編成のいずれか1本を連結した4両編成での運用が多い。
  • 富吉検車区 12255F[63]
    名伊乙特急を中心に、名阪乙特急でも運用されている。単独編成で湯の山線や天理線(名阪乙特急に連結する列車)に乗り入れる際は、富吉所属編成が充当されることが多い。

廃車

1971年の総谷トンネル事故で、12202Fが廃車となった[注釈 26]

1990年代後半以降は景気後退や乗用車への転移による特急利用者の減少もあり、代替新造のないまま旧系列車両の廃車が進行していたが、2000年以降は本系列についても廃車が開始された[64]。また、6両編成については4両編成に、4両編成の一部は2両編成にそれぞれ減車され、2003年から2005年までに6両編成は消滅した。また、2002年21020系が登場し、以前は汎用特急車で運用されていた奈良・京都線の特急運用に21000系や23000系が充当されるようになったため、一部が後述する団体専用車15200系や15400系に改造され、特急運用から離脱している。なお、廃車となった車両から発生した制御装置の一部は30000系へ転用された。

1971年に事故廃車された12202Fや団体専用車両の15200系に転用改造された12217F・12220F・12230Fと中間車のS32・S41を除き、2000年から2005年までに廃車となったのは、12201F・12203F - 12210F・12213F - 12216F・12218F・12223Fと中間車のS42・S49 - S51・S53 - S55である。2005年以降本系列の廃車はしばらく発生しなかったが、2010年からは22600系の増備投入に伴い、同年に12211Fと12212Fが廃車され、これにより「あおぞらII」を除くと事実上初期車が消滅した。さらに、2011年に12219F・12222F・12224Fが、2012年に12221F・12226F - 12229F・12232F[65]がそれぞれ廃車された。また、2013年に12231Fが「あおぞらII」に転用され[57]、同年7月に最後まで簡易更新のまま現役だった12225Fが廃車され、簡易更新車の営業列車が消滅した。これにより営業用として残る2連車は12253F - 12255Fのみとなった。

15200系

ファイル:KINTETSU15200 異種連結.JPG
15201F車内
先頭車と中間車(手前)のインテリアが異なる

概要

あおぞらII」の名称で、特急車から改造された団体専用車として使われていた18200系が改造から15年以上経過し老朽化が進行したことや、120km/h運転対応ではないこと、中型車体のため定員が少なく、リクライニングシートでないために居住性にも難があることなどから、2005年に12200系を改造・改番して「新あおぞらII」として18200系を代替することとなった。

18200系からの変更点では、運転速度が110km/hから120km/hに向上、座席定員も18200系「あおぞらII」(18400系も含めて)は合計で692人だったが、15200系では756人に増加した。車内設備も洋式トイレやリクライニングシート装備となり、全車禁煙とする以外は現行の特急車に準じたものとなっている。

車両

車体の塗装を18200系同様の白とスカイブルーのツートンカラーに改め、方向幕装置を撤去。車内外も補修を行っている。なお、4両編成車両は種車が先頭車と中間車で異なっていたために、内装も両端2両の先頭車(ピンク系座席のみ取り替えた簡易更新車)と2両の中間車(間接照明付きのフル内装更新車)で異なる。中間車のLED式サインパネルは機能が停止され、従来の札差し込み式の号車表示とされ、そのための枠が妻壁ドア上部に取り付けられた。他の主要諸元は種車と同様である。

2013年6月には、18400系18409Fの置き換えに先立ち、12200系12231F2連を改装のうえ、PN04編成(モ15204-ク15304)編成として15200系に編入された。この編成は20100系 初代「あおぞら号」の塗装(クリーム地に赤)をまとって竣工した[57]

2014年2月には12200系12243F4両編成を塗装変更・改番した15205Fが登場した[58][59]。改造内容は15204Fとほぼ同一であるが[58][59]、更新車の4両編成が種車とされたことから[58]、本系列の4両編成では初の雨樋・転落防止幌取り付け編成であり、編成全てがフル内装更新車でもある。方向幕は残されている[59]

その後も、2014年3月に同様の内容で12200系12248F4両編成を塗装変更・改番した15206Fが登場した[66]

電算記号

PNを使用する[56]

運用

乗客の多寡により、特急車時代同様、2 - 8両編成の範囲で運用される。イベント内容によっては異形式と連結される場合もある[67][68]

編成・配置

改造車両、編成内容は下記の通りである[56]。また、所属は15201Fと15203Fが高安検車区[63]、15202Fは明星検車区である[63]

新旧対照表

編成記号 新番号 旧番号 旧編成記号
PN01 モ15201 モ12220 N20
サ15151 サ12141 S41
モ15251 モ12041
ク15101 ク12320 N20
PN02 モ15202 モ12230 N30
サ15152 サ12132 S32
モ15252 モ12032
ク15102 ク12330 N30
PN03 モ15203 モ12217 N17
ク15103 ク12317
PN04 モ15204 モ12231 N31
ク15104 ク12331

編成表

編成方向 テンプレート:TrainDirection
15201F - 15202F
PN01 - PN02
4両固定編成
形式 モ15200形 (Mc) サ15150形 (T) モ15250形 (M) ク15100形 (Tc)
車両写真 110px 110px 110px 110px
搭載機器 ◇,CON,◇ MG, CP ◇,CON,◇ MG, CP
自重 40.0t 35.0t 40.0t 35.0t
定員 68 64 68 56
車内設備 洗面室・トイレ 洗面室・トイレ
15203F
PN03
2両固定編成
形式 モ15200形 (Mc) ク15100形 (Tc)  
定員 64[注釈 27] 56
車内設備 車内販売準備室 洗面室・トイレ
15204F
PN04
2両固定編成
形式 モ15200形 (Mc) ク15100形 (Tc)  
定員 68 56
車内設備 洗面室・トイレ
  • 搭載機器欄のCONは制御装置、MGは補助電源装置、CPは電動空気圧縮機、◇はパンタグラフ。
  • 大阪線 - 名古屋線を行き来する場合、通常は中川短路線を通らず伊勢中川駅を経由する。このため名古屋線内では通常の特急と逆向きになっている[69]

15400系

概要

ファイル:Kokusaikogyo-kankobus 102 shiki-no-hana.jpg
「ロイヤルクルーザー四季の華」のデザインを踏襲した

2011年、近鉄グループ旅行会社クラブツーリズムのツアー専用車両として12200系を改造して投入することが発表され、それに伴い車両愛称が公募された[70]

旅行会社がツアーのために専用車両を導入して通年で借り切るのは日本国内では初めてである[70]

車両

12200系2両編成のうち12241F(モ12241-ク12341)と12242F(モ12242-ク12342)の2本(計4両)を改造し、車体はクラブツーリズムがツアーに導入している観光バス「ロイヤルクルーザー四季の華」と同じダークグリーンを基調とした塗装に変更された[70]。形式称号も変更され、モ12200形がモ15400形 (Mc) に、ク12300形がク15300形 (Tc) となった[70]

改造に際して、もと喫煙車のク12300形については灰皿撤去と空調機器の交換を行なったうえで全車禁煙化した。なお、座席そのものは2006年のB更新の際に交換された新しいタイプであるため、そのまま流用した[70]。行先表示器については15200系と異なって撤去されず残された。連結部には転落防止幌を装備する。

座席定員はバスツアーに合わせる形で変更され、モ15400形が48名、ク15300形が46名に設定された[70]。このため、座席を撤去した跡地には大きな鞄をおくためのスペースを新設し、さらに、用途によって模様替えのうえ、イベントスペースとしても活用可能とした。当スペースはモ15400形において着脱式のカウンターを設置のうえ、ビールサーバーやシンクを備え付けた。車内は床を全面カーペット敷きとして、客室端部にオーディオ設備も設置した。そのためのスピーカーも荷棚に各車4台ずつ設置された[70]。座席にはクラブツーリズムのロゴが入ったカバーが取付けられた。

トイレは従来の和式個室を洋式化し、既存の洋式個室を含めてリニューアルの上、温水洗浄便座が設置された。全室洋式化によって、片側を女性専用とした。デッキは化粧板を明るめの木目柄に張り替えのうえ、洗面台周りの備品も交換した[70]。便器は床据付けタイプを踏襲し、真空式ではない。

沿革・運用

2011年12月15日に出発式が開催され、合わせて愛称名「かぎろひ」(万葉集でも詠まれ、朝日の美しい空を表す古語に因む)も発表された[70]

クラブツーリズムでは同年12月23日より当該編成を使用したツアーを開始した[70]。ヘッドマーク(従来の前面方向幕装置を改造)は当初クラブツーリズムのロゴマークとしていたが、2012年3月に「かぎろひ」の愛称表示に取り替えられた[71]

基本的には他系列と併結せず、2両単独ないし2本連結の4両編成でしか運転されないが、2012年10月15日には、ほぼ同一行程のツアーが重複したことで、本系列2本と15200系15203Fを連結した6両編成が大阪上本町駅 - 伊勢市駅で運転され[67]、2013年5月12日には本系列1本と18400系18409Fが併結した4両編成が運転された[72]

配置検車区は明星検車区である[63]

編成

大阪発着編成を基準とした場合、大阪側からモ15400形、ク15300形の順で組成される。また、各車の性能、機器配置については12200系と同一である[70]

大阪・京都発着編成
名古屋発着編成
テンプレート:TrainDirection
テンプレート:TrainDirection
形式 モ15400形(Mc) ク15300形(Tc)
車両写真 150px 150px
搭載機器 ◇,CON,◇ MG, CP
自重 39.3t 34.7t
定員 48名 46名
車内設備 荷物置場(バー・カウンター)
音響装置
荷物置場(イベントスペース)
洗面室・トイレ・音響装置

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

書籍・パンフレット

雑誌

関連項目

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外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、110 - 111頁
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 『鉄道ジャーナル』(第505号)2008年11月号、50 - 55頁
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 『鉄道ファン』(第80号)1968年2月号、10 - 14頁
  4. 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 4.15 4.16 4.17 『とれいん』(第409号)2009年1月、58 - 65頁
  5. 『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月臨時増刊号、29頁
  6. 『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月臨時増刊号、12 - 13頁
  7. 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、42頁 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、11頁
  8. 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、124頁
  9. 『近鉄特急 上』JTBキャンブックス、156頁 名阪乙特急に充当されている1968年当時の写真が掲載されている。
  10. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、173頁 『NEW LIMITED EXPRESS 12000』(12000系解説書)近畿日本鉄道、19頁
  11. 11.00 11.01 11.02 11.03 11.04 11.05 11.06 11.07 11.08 11.09 11.10 11.11 11.12 11.13 11.14 『NEW LIMITED EXPRESS 12000』(12000系解説書)近畿日本鉄道
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、110 - 111頁
  13. 13.0 13.1 13.2 『鉄道ファン』(第80号)1968年2月号、10 - 14頁
  14. 『鉄道ファン』(第216号)1979年4月号、41頁
  15. 偏心回転構造の採用は18400系から。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、15頁、89頁
  16. 『鉄道ピクトリアル』(第219号)1969年1月号、35頁
  17. 『国鉄車両形式集6 交流系電車 新幹線・特急編』山と渓谷社、61頁
  18. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月号、94頁
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  20. 20.0 20.1 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、173 - 175頁
  21. 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、8頁 ただし全線の本格運用は1974年8月から(同資料 132頁)。
  22. 『NEW LIMITED EXPRESS 12000』 近畿日本鉄道、2頁(1967年12月当時の諸元表)と『信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車』近畿日本鉄道技術室車両部、72頁(1993年12月当時の諸元表)との比較。
  23. 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、86頁 『とれいん』(第409号)2009年1月、64頁
  24. 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、118頁
  25. 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、96頁
  26. 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、279頁
  27. 『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月臨時増刊号、29頁
  28. 『鉄道ピクトリアル』(第219号)1969年1月号、24頁、71頁、73 - 74頁
  29. 『鉄道ピクトリアル』(第219号)1969年1月号、45頁
  30. 12200系と18400系の竣工は共に1969年3月である。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、179 - 181頁
  31. 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、86頁 『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月、29頁
  32. 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、83頁
  33. 33.0 33.1 33.2 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、175 - 181頁
  34. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、13頁
  35. 35.00 35.01 35.02 35.03 35.04 35.05 35.06 35.07 35.08 35.09 35.10 35.11 35.12 35.13 35.14 35.15 35.16 35.17 35.18 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、175 - 179頁
  36. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、15頁、89 - 90頁
  37. 37.0 37.1 『近鉄特急 上』JTBキャンブックス、166 - 170頁
  38. 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、68頁
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