神奈月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox お笑い芸人 神奈月(かんなづき、1965年11月3日 - )は、日本ものまねタレントである。本名、奥村 聡司(おくむら さとし)。「神無月」の表記は誤り。

岐阜県土岐市駄知町出身。太田プロダクション所属。

スポーツ選手のものまねを得意分野とするが、歌手アニメキャラまでレパートリーは幅広い。どちらかというと形態模写寄りで、さらに本人よりもしぐさや特徴を誇張して演じることで、「似ている・似ていない」よりも、笑いに比重を置いている。女性をまねるネタも多い。

プロフィール

略歴

多治見北高校在学時から、文化祭などで教師や芸能人のものまねを披露しており、生徒から人気があった。中京テレビの番組『5時SATマガジン』の「ローカルスターベストテン」コーナーに連続でランクインし、第1位になったこともある。

1987年にデビュー。「師匠がないのでは仕事がとれぬから」といわれ関東の形態模写のベテランであった佐々木つとむに師事したが、同年9月、佐々木は愛人関係にあった女性に殺害される(加害者も2日後に自殺)という形で師匠を突然失うことになった。佐々木没後はしばらくの間芸能事務所に属さずフリーとして活動していた。フリーで活動中の頃、インチキ芸能プロダクションに騙されかけたこともあった。2000年頃より太田プロに所属している。『ものまねバトル』には1995年春の第2回から毎回出場し、『ものまねグランプリ』にリニューアルされた現在も出演を続けている。

長らく「長嶋茂雄のものまねしかしない人」のイメージが根付いていたものの、2000年に『ものまねバトル』大賞で萩原流行のものまね「りゅうこうと書いて、ながれと読むんです」を披露したところ絶賛される。以降、「長嶋茂雄のものまねの人」のイメージは消え、さらに石橋貴明SMAPなどに気に入られ『うたばん』への出演機会が多くなるなど、テレビ出演なども増え知名度を上げている。

ものまねの評価

神奈月と武藤敬司

現在の神奈月の代名詞ともいえる武藤敬司のものまねに関しては、本人はもちろん、蝶野正洋からも「本物そっくり」とのお墨付きを得ている。武藤とともに握手会イベントなどに参加することもある。武藤のものまねをする時は、武藤の口癖「差し当たって、」を連発する。

2006年3月21日には全日本プロレスのファン感謝デー興行で、武藤に扮して本物の武藤とタッグを結成。小島聡イジリー岡田組(イジリーは三沢光晴に扮して登場)と、本物のプロレスの試合を行った。さらに同年12月15日のファン感謝デー興行では「F-1タッグ選手権(Fはフェイクの頭文字)」なる王座を賭けて再び武藤と「二人とも武藤」のタッグを組み、天山広吉原口あきまさ組(原口は蝶野正洋に扮して登場)と対戦し勝利、同王座の初代王者となった。以降もF-1タッグには2012年までレギュラー参戦し[1]、当時の全日本の感謝祭興行では欠かせない人物となっていた。2013年に武藤が全日本を離脱後に旗揚げしたWRESTLE-1では、9月8日のオープニングセレモニーにて武藤のものまねを披露した。

2005年8月20日に放送された『リングの魂橋本真也追悼スペシャル』には蝶野とともに武藤の扮装で登場。蝶野が神奈月に「じゃあ武藤さん! 橋本の追悼興行、やりますからね」と言ったところ神奈月は武藤の真似で「俺はもうさ、蝶野がちゃんとやってくれるなら、そりゃやるよ!」と返した。すると蝶野は「いっつもそうなんだよ! 自分は何にもやんないで全部他人にまかすんだから!」と呆れ、司会の南原清隆から「お前そんな所まで似てるのかよ!」と大爆笑された。アドリブの一言まで本人に似ているという稀有なモノマネ芸である。なお、生前の橋本真也とは、同郷ということもあり親交があった。

長州小力長州力の関係のように、神奈月が武藤のものまねをすることにより、それまでプロレスに全く興味もない者(特に女性など)にも、実際の武藤の戦う姿は見ないにせよ、武藤敬司というプロレスラーとしての知名度を広く知らしめた貢献者とも言える。なお、長州も神奈月のものまねレパートリーの中に入っており、F-1タッグの試合でも披露したことがある。

神奈月の他のプロレスラーのものまねとしては、馳浩を披露することが多い。こちらも、武藤や馳夫人の高見恭子などから高い評価を受けている[2]。馳のものまねをする際には、デビュー当時の長髪のかつらをつけ、「元気出せよー!」と甲高い声で叫ぶネタを多用している。

その他のものまね

香取慎吾が神奈月に会ってからは彼の萩原流行のものまねをしている。『おネプ!』や2005年9月15日放送の『うたばん』で萩原流行本人と共演した。

内村プロデュース』でジャッキー・チェンがゲスト出演した際は、映画賞コントのプレゼンター役として石原良純井上陽水などのものまねを披露した。その際、神奈月の芸達者ぶりにジャッキーが感心し、本来は審査対象外なのにジャッキーから優勝トロフィーを授与される名誉にあずかった。

井上陽水のものまねは、実際に井上とユニットを組んだ奥田民生や、長女の依布サラサからは「非常に似ている」との評価をもらい、二人とも陽水風のかつらとサングラスをつけた神奈月との2ショットの写真を頼んだほどであった。ただし井上本人からは何のコメントももらっていない、とのことである[3]

『ぷっ』すま」で披露した松坂大輔のものまねも、その細かすぎる絶妙の描写はレベルが高かったが、スタジオに女性が多かったせいか笑い声は少なかった。共演していた土田晃之は「神奈月さんは男受けするものまねしかやらないんですよ」と感心するやら呆れるやらの様子であった。このものまねははなわが演ずる松井稼頭央に敗退している。

テンプレート:要出典範囲

エピソード

同じ土岐市出身であるフリーアナウンサー近藤サトと出身高校は同一である。なお、学年は3つ離れていたため同時に在籍はしていない。俳優酒井敏也は同じ駄知町の先輩であり同じ中学校の先輩である。

プロ野球読売ジャイアンツのファンである。岐阜県出身のため、周囲は中日ドラゴンズファンが多かったが、少年野球の監督が巨人ファンであったことが理由で巨人ファンになった[4]

「神奈月」の芸名は松稔(元・松竹梅)が名付け親である。『ものまねバトル』に出演が決まった神奈月が、急遽芸名を付けなければと松に相談した。その際、名字は三文字にしようということになり、松が「ボンちゃん(神奈月のあだ名)、出身は?」と聞くと「岐阜です」、「生まれ月は?」「神無月です」と答え、候補に挙がった「五十嵐」「長良川」「神無月」の三つのうち本人の希望で「神無月」に決まった。しかし、彼の生まれ月は「神無月」の10月ではなく、「霜月」の11月だった。制作局の日本テレビには「神無月」で提出したが、生まれ月とは異なるため「無」を「奈」に変えて「神奈月」に決定した。

2006年10月に公開された映画『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』に本人役で出演している。

発掘!あるある大事典II』が終了するきっかけとなった、納豆ダイエットの回に出演していた。納豆ダイエットに挑み2週間で3.1kg減量しているが、これは納豆の成分のためではなく納豆をご飯にかけず食事前に食べることにより普段の7 - 8分目で食事を済ませるようにしていたことが原因とされる。データ捏造問題が発覚し、番組は翌々週までに打ち切りとなっている。

第7回『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』では、圧倒的な歌唱力で決勝まで進出したが、ますだおかだ増田英彦に敗れ優勝を逃している。

Yahoo! 動画(現・GyaO!)で配信されている『NO KEIRIN, NO LIFE』では、取材した選手がいずれもその特集の開催で優勝を果たしていることから、「競輪界のあげちん」と呼ばれている[5]

日産車好きでセレナオーテックジャパン特装車である「Rider」のブラックを所有している。その前に所有していたのはエルグランドであった。このことが縁で2008年11月1日に大磯ロングビーチにて開催されたオーテックジャパン主催の「AUTECH OWNERS GROUP 湘南里帰りミーティング2008」にゲストとして出演、持ちネタである武藤敬司や萩原流行などのものまねを披露した。

地元番組『スタイルプラス』(東海テレビ)に出演する時のテロップは奥村聡司(神奈月)と本名も表示され、共演者から「奥村さん」と呼ばれている。また、モノマネ時の格好をせずに素の姿で出演しているが、当番組のロケや生中継ではなじみのあるモノマネを披露している。

2011年11月にはテレビドラマ『ここが噂のエル・パラシオ』(テレビ東京)第8話に本人役で出演している。

ものまねレパートリー

テンプレート:出典の明記 あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

わ行

など

関連項目

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:太田プロダクション
  1. 8回の防衛を重ねたが、2010年12年12日の全日本ファン感謝デー興行にて長州小力、浜亮太組に敗れ王座陥落した。2011年のF-1タッグでは、馳浩のものまねでコミッショナー役として参加。2012年は再び選手として大森隆男とタッグを組み勝利、第4代のF-1王座に就いた。
  2. 「ものまねプロレス祭『まねんのか!』」での実況コメントにて高見からの評価が解説されていた。
  3. 行列のできる法律相談所』2012年7月1日放送より
  4. 週刊ベースボール』 2011年5月23日号より
  5. 第61回日本選手権競輪では渡邉晴智大垣競輪場開設56周年記念競輪では山田裕仁がそれぞれ優勝した。