慶應義塾幼稚舎

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テンプレート:Pathnav テンプレート:日本の小学校 慶應義塾幼稚舎(けいおうぎじゅくようちしゃ)は、東京都渋谷区恵比寿にある私立小学校である。運営者は、学校法人慶應義塾

概要

ファイル:KeioUniversity Athleticmeet 1894.jpg
明治27年(1894年)5月26日の慶應義塾運動会競走の図。図上部左重荷競走の図、右盲目珠拾競走の図。

日本で最も古い私立小学校の一つであり、1874年(明治7年)、福澤諭吉の門下生であった和田義郎が年少者を集めて教育を行ったのが始まりである。そのため、初期には「和田塾」と呼ばれていた。1880年(明治13年)頃から「慶應義塾幼稚舎」と称するようになり、1898年(明治31年)には正式に慶應義塾の一員となって初等教育から大学に至る慶應義塾の一貫教育が確立した。

「幼稚舎」という名称であるが、小学校であり幼稚園ではない。幼稚舎出身の南博旧制東京高校尋常科に入ったとき、修身の時間に教育勅語を暗誦できなかったため、「君は教育勅語を知らんのか、いったいどこの小学校からきた」と教師から怒られ、「慶應義塾の幼稚舎です」と答えたが、「幼稚園のことをきいているのではない、小学校はどこだ」と怒鳴られたという[1]

1999年に、日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選ばれている。

設備・教育

校舎には冷暖房が完備されている。また、各教室にそれぞれ1台ずつプラズマテレビとパソコンが設置してある。制服の着用義務がある。最寄り駅は東京メトロ広尾駅。各学年にK組、E組、I組、O組の4つのクラスがあり、計144人である。K組から、それぞれK組は青、E組は黄、I組は緑、O組は白というクラスカラーがあり、運動会のクラス対抗リレーなどではそれぞれのクラスカラーのはちまきをする。また、6年間クラス替え、担任変更のない教育編成が特徴。在籍する男子児童は女子の2倍であり、1クラス36人の在籍、男子24人、女子12人の内訳になる。I組は2002年(平成14年)度に新設され、2002年度 - 2006年(平成18年)度までは1学年3クラス(K、E、O)と4クラス(K、E、I、O)が混合していた。

教育の一環として児童全員に1000m完泳を義務付けている。また、福澤諭吉の誕生日記念会では幼稚舎生が『福澤諭吉ここにあり』を歌う。校歌は多数あるが、『若き血』、『福澤諭吉ここにあり』、『幼稚舎マーチ』が有名。給食はホテルニューオータニの食事が採用されている。テンプレート:要出典、数多くの社長や芸能人の子息が在籍する。入学試験は学力ではなく行動観察、運動、制作、口頭試問などで行われるため、お受験塾に通わせる親がほとんどである。慶應義塾大学まで無試験でそのまま進級できるエスカレーター式を採用している。

幼稚舎出身の著名人

戦前

戦後

周辺

慶應義塾幼稚舎や外苑西通りを挟んで向かいにある東京都立広尾病院の一帯は江戸時代には「広尾の原」と呼ばれており、徳川家光の時代以降にはしばしば鷹狩鶉狩に利用されていた[2]。その後、明治時代からは砂利採り場となっていたこともあった[2]

古川の流れるこの辺りの海抜は約9メートルで、渋谷区内では最も高度が低い場所となっている[2]

関連項目


脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:学校法人慶應義塾
  1. テンプレート:Cite book
  2. 2.0 2.1 2.2 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p284-5