基隆市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年5月21日 (水) 14:54時点におけるそらみみ (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:台湾行政区 基隆市(キールンし、中国語:基隆市、英語:Keelung)は台湾北部にある省轄市である。台湾で2番目の貨物取扱量を誇る基隆港を抱え、台湾の貿易・物流の重要拠点である。観光では奠済宮を中心に栄えた夜市(廟口小吃)が特に有名。

地理

歴史

基隆はもともと同地一帯に住んでいた台湾原住民平埔族ケタガラン族の族名がなまってケランとなり、それに台湾語音によって漢字が宛てられ、鶏籠(雞籠, ケーラン)と呼ばれていた。今日でも台湾語での呼称はこれで呼ばれる。

1626年スペイン人が社寮島(現在の和平島)を占領しサン・サルバドル城を築き、その頃には先住民や漢人の町が形成された。1642年オランダ人がスペイン人に代わって社寮島を占領し、石炭の採掘に着手したが、1668年鄭成功がオランダ人を駆逐し拠点とした港町である。その後1683年朝が鄭成功一派を撃破した後に清国の支配下に入る。これにより入植する漢人が増えたが、イギリスの軍船による侵犯事件が起こる。清朝統治時代の1863年、対外的に正式に開港した。さらに1875年に清朝政府がここに台北分防通判を置いたことから、ケーランと近い音でさらに「基地昇隆」の意味を込めて、鶏籠から基隆(キールン)に改変した。

1884年フランス軍が基隆に上陸し劉銘伝率いる部隊と8ヶ月に渡り対峙する清仏戦争が起こった。1886年に劉銘伝は台湾巡撫に就任し、基隆の重要性を認識していたので、鉄道の施設、港湾砲台の修復を積極的に進め、台湾初となる鉄道トンネルとなる獅球嶺トンネルを完成させた。

1895年日本馬関条約により台湾を接収、澳底に上陸ののち基隆に入った。基隆は日本統治時代以前から対外貿易の拠点となっていたが港湾の水深が浅く岩礁も多かったため大型船の停泊には適さず、近代的な港としての発展には限界があった。日本政府は台湾統治を開始した4年後の1899年より港湾周囲の浚渫(しゅんせつ)工事と防波堤の建設などを進め、1万トン級の船舶が停泊可能な近代港湾として整備した。同時に基隆は台湾縦貫鉄道の北側の起点とされ、その経済的な重要性はさらに高まった。また軍事面でも基隆は日本海軍が駐留する軍港とされ要塞地帯(基隆要塞)にも指定されていた。

基隆は台湾北部に位置し日本に最も近い立地より日本内地との貿易港としても繁栄した。また内地から移住する多くの日本人により急速に都市化が進展、1925年には市制が施行され人口は約7万(内地人が25%)の都市へと発展した。太平洋戦争大東亜戦争)中は、その重要性から米軍の攻撃も受けている。

現在、基隆は台湾北部の港湾都市として、そして台北衛星都市として発展している。1984年には、コンテナ業務の取扱量世界第7位を記録し、輸出入取扱総額台湾一の港湾として現在に至る。このために外省人が多く、国民党の強い土地柄となっている。近年は基隆港周辺の整備による観光化が行われている。

行政区画

年表

  • 1920年 - 行政区域改革により、台北庁基隆支庁基隆区が台北州基隆郡基隆街となる。
  • 1924年10月 - 基隆郡基隆街が市制施行し、基隆市が発足。
  • 1945年 - 国民党政府が台湾を接収後、基隆市は省轄市となり台湾省に帰属するようになった。(5区)
    • 堀川町・双葉町・天神町・高砂町・旭町・滝川町・福徳町・元町・玉田町の地域をもって、一区を設置。
    • 寿町・幸町・東町・緑町・田寮町・曙町、大字大水窟・深澳坑の地域をもって、二区を設置。
    • 義重町・日新町・真砂町・社寮町・浜町・入船町、大字八斗子・基隆嶼・花瓶嶼・綿花嶼・彭佳嶼の地域をもって、三区を設置。
    • 観音町・宝町・西町の一部、大字大武崙の地域をもって、四区を設置。
    • 明治町・大正町・昭和町・仙洞町・西町の一部、大字外木山・内木山・大竿林の地域をもって、五区を設置。
  • 1946年 (5区)
  • 1947年1月18日 - 台北県基隆区七堵郷を編入。(6区)
    • 七堵郷が区制施行し、七堵区となる。
  • 1949年2月1日 - 七堵区の一部が分立し、暖暖区が発足。(7区)
  • 1988年 - 七堵区の一部が安楽区に編入。(7区)

交通

ファイル:Keelung station2.JPG
基隆駅(台湾鉄路管理局最北端の駅)

鉄道

台湾鉄路管理局

線区名 駅数 駅名称
縦貫線 5 基隆駅(縦貫線起点) 三坑駅 八堵駅 七堵駅 百福駅
東部幹線 4 八堵駅 暖暖駅(無人駅)
深澳線 貨物線 (旅客扱い復活計画あり)
基隆臨港線 貨物線 (部分廃止)

ライトレール

現在、基隆市政府は市内を連絡する交通手段としてライトレール方式の基隆軽軌が計画中である。全部の計画路線は下記の通り。

捷運

地元には台北捷運板南線の延伸を求める声があるが、現在のところ具体的な計画はない。

バス

  • 路線バス
    • 基隆市公共汽車管理処(基隆市営バス) - 市内路線を経営。均一料金制。
    • 基隆汽車客運
    • 福和客運
  • 高速バス

道路

高速道路

省道

水上交通

教育

大学

技術学院

高級中学

高級職業学校

国民中学、国民小学については下部行政区の項目を参照

施設

ホール

図書館

  • 基隆市文化局図書館
  • 周氏図書館

なお、各区に区立図書館がある。

スポーツ

  • 基隆市立體育場
  • 基隆市立体育館
  • 暖暖運動公園

その他

歴代市長

日本統治時代

テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

基隆市尹(1924年

テンプレート:Col-2

基隆市長(1940年

テンプレート:Col-end

中華民国時代

官選市長
氏名 就任 退任 備考
初代 石延漢 1945年 1947年
第2代 梁劼誠 1947年 1948年
第3代 鄧伯粹 1948年 1949年
第4代 謝貫一 1949年 1950年
第5代 高大経 1950年 1951年
民選市長
氏名 就任 退任 政党
初代 謝貫一 1951年 1954年 テンプレート:Color
第2代 謝貫一 1954年 1957年 テンプレート:Color
第3代 謝貫一 1957年 1960年 テンプレート:Color
第4代 林番王 1960年 1964年 中国民主社会党
第5代 林番王 1964年 1965年 中国民主社会党
補選 蘇徳良 1965年 1968年 テンプレート:Color
第6代 蘇徳良 1968年 1972年 テンプレート:Color
第7代 陳正雄 1972年 1977年 テンプレート:Color
第8代 陳正雄 1977年 1981年 テンプレート:Color
第9代 張春熙 1981年 1985年 テンプレート:Color
第10代 張春熙 1985年 1989年 テンプレート:Color
第11代 林水木 1989年 1993年 テンプレート:Color
第12代 林水木 1993年 1997年 テンプレート:Color
第13代 李進勇 1997年 2001年 テンプレート:Color
第14代 許財利 2001年 2005年 テンプレート:Color
第15代 許財利 2005年 2007年 (元・中国国民党)
代理 陳重光 2007年 2007年 中央政府派任)
補選 張通栄 2007年 2009年 テンプレート:Color
第16代 張通栄 2009年 - テンプレート:Color

観光

ファイル:Dian ji gong.jpg
奠濟宮(奠済宮)

名所

祭り

毎年、鬼月(亡霊の月)と称される旧暦7月頃に盛大な普度活動(盂蘭盆)が行われる。台湾の十二大文化祭りの1つとして有名。
  • 基隆鎖管節
  • 基隆芸宣文化節

姉妹都市

出身有名人

関連項目

出典

  • 基隆 海のもうし子(2002年基隆市政府刊)

外部リンク

テンプレート:Commons&cat テンプレート:ウィキプロジェクトリンク

テンプレート:基隆市の行政区分 テンプレート:Navbox