台湾省

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テンプレート:台湾行政区 台湾省(たいわんしょう)は、中華民国の一つ。福建省台湾海峡を隔てた場所に位置する台湾島及び周辺の島々を領域とする。

1945年以降は、中国国民党が政権を握る中華民国政府が一党独裁の統治を行ってきたが、1990年代になると政治の民主化が進み、2000年には、初の政権交代によって民主進歩党政権が誕生した。しかし、中国大陸を統治する中華人民共和国政府も台湾省の領有権を主張しており、並存する二つの「中国」政府が互いに台湾省の領有を主張するという政治問題(台湾問題)を生み出している。

なお、現在の中華民国政府は、台湾省だけでなく福建省の一部(金門島馬祖島)も実効支配しており、これらは中華民国政府の行政区分上も福建省とされているため、厳密には「台湾省=政治実体としての台湾」ではない。

歴史

当初、台湾の行政区分は福建省であったが、19世紀後半になると朝は日本などに対する国防上の観点から台湾の必要性を認識し、1885年に台湾省を台湾に新設した。しかし、1895年に締結された下関条約によって、清朝は台湾と澎湖諸島を日本に割譲することが取り組められ、台湾省は設置からわずか10年で廃止された。その後、日本政府は台湾を台湾総督府の統治下に置いたが、1945年に日本が第二次世界大戦に敗北したことによって、台湾は連合軍の委託を受けて台湾に進駐してきた中華民国軍の統治下に入り、50年にわたる台湾総督府の統治が終焉した。

台湾に軍を進駐させた中華民国政府は、1943年のカイロ宣言における取り決めを基にして台湾を自国領に編入し、台湾行政長官公署を設置して統治に当たらせていた。しかし、行政長官公署の統治に対して台湾住民は反発を募らせていき、1947年には 二・二八事件が勃発するまでになった。その為、中華民国政府は事件鎮圧後に行政長官公署を廃止し、1947年5月17日に台湾省を設置することで台湾の統治体制をより強固なものとしていった。だが、 国共内戦における中華民国軍の敗北によって、 1949年中国共産党が中華人民共和国政府を建国すると、中華民国政府は中央政府機構を全て台湾省に移して共産党との内戦を続け、同時に冷戦における共産主義の防波堤という役割も果たしていった。

一方の中華人民共和国政府は、台湾省を実際に統治したことは建国以来一度としてなかったが、自国が中華民国を継承する中国の唯一の政権(下記の※参照)であるという公式的立場から、台湾省もまた自国の1省であると主張し続けてきた。この主張は、1971年に中華人民共和国政府が「中国 (China)」を代表する政府として国連総会に承認された為、現在では中華人民共和国を承認する世界各国から支持を取り付けている。しかしながら、現実的に台湾省は今なお中華民国政府の統治下にある為、中華人民共和国政府の施政権は及んでいない。

  • 中華人民共和国政府は、中華民国は1949年の首都南京陥落によって中央府が崩壊し、中華人民共和国が成立したと同時に完全消滅したとしており、それ以降に台湾・金門・馬祖での施政権を有し続けている中華民国政府は、国共内戦に敗れた中国国民党内の一派が勝手に作り出した「自称政府」に過ぎない、という公式見解を持っている。

中華民国時期

中華民国の台湾省は、1947年の設置時点では朝時代の台湾省と所轄区域が同一であり、省都も台北市に置かれていた。しかし、1949年12月に国共内戦に敗れた中華民国政府が首都を台北市に移転し、1955年までに現在の実効統治区域以外の地域を中国人民解放軍に制圧されると、中華民国政府の統治区域と台湾省の統治区域がほぼ同一の区域として重複するようになり、台湾省政府が本来行うべき地方自治業務に支障を来すようになった(省の役割については中華民国の行政区分を参照)。中華民国政府は地方行政の円滑化を目的として、1957年には省政府を台北市から台湾中部にある南投県南投市中興新村に移転した。1967年に台北市を、1979年高雄市をそれぞれ政府直轄市に格上げすることで台湾省から分離した。

中央政府と台湾省の所轄区域がほぼ一致して非効率であるにもかかわらず、中華民国政府が台湾省を設置し続けたのは「中国全土を代表する政府」という立場を政府が取り続け、将来中国大陸の領土を奪還することを想定していたためである。その後1990年代になると李登輝中華民国総統(任期:1988年2000年)による民主化により、1994年に台湾省省長が、1996年に中華民国総統が相次いで民選化された。しかし、これにより国土の97%、人口の85%(1997年[1])から選出される台湾省省長の得票数が総統のものを上回る可能性が生じた。

政府は、1997年憲法増修条文第四次改憲によって、1998年12月20日をもって台湾省の省としての機能を「凍結」した。その結果、省政府は行政院の出先機関となり、省政府の首長である省長は省主席に置き換えられ、省議会も省諮議会に改組された。省主席や諮議会議員は行政院長が指名し、総統が任命する。なお失職する省議員への救済策として、立法院の定数は台湾省議会の定数分増加し、164名から225名となった。これは2004年の第七次改憲によって立法委員定数が半数に削減されるまで続いた。

台湾省の下にあった16県5省轄市は、「凍結」以降は中央政府(内政部)が直接監督することになった。ただし、省レベルの税収や業務は中央政府に移管され、県や省轄市の機能や財政に大きな変化はない。

その後も、行政機関の名称等に残っていたが、現在、「台湾省」を名乗っていた一部機関等も徐々に改名されており、2007年5月、上水道事業を行う台湾省自来水公司(臺灣省自來水公司)が、2013年1月、台湾省北(中、南)区国税局(臺灣省北(中、南)區國稅局)が、それぞれ台湾省の名が外された。また、自動車ナンバーからも、登録地名が削除され、台湾省ナンバーが消滅した。

脚注

  1. 若林正丈『台湾の政治』219p(東京大学出版会 2008年)

関連項目

外部リンク

テンプレート:Navbox テンプレート:中華民国の行政区分 (統治区域外)