外省人

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テンプレート:Amboxテンプレート:DMC テンプレート:中華圏の事物 外省人(がいしょうじん)とは、自らの所属する省の人以外の人のことを指す中国語外国人は一般に含まれない。台湾では、特別な意味が付加されている。

台湾における定義

台湾において外省人とは、1945年日本統治時代が終了した後、中国から台湾に移民した人とその子孫を指す。一方、日本統治時代から住む人と子孫は本省人と呼ばれる。1995年の調査では、台湾人口2100万人の内、本省人は1645万人、外省人は124万人(人口の僅か5.8%)、本省人と外省人の混血が358万人と公表されている。

支配と融和

外省人の第一世代の多くは、中国国民党政府および中国国民党軍、学校で雇用されていた人々と家族である。そして第一世代は、政府機関や国営企業、メディアの要職を占めて本省人を抑圧した。その頂点が二・二八事件という虐殺である。同事件後も中国国民党政府は、戒厳令に基づき政治活動を取り締まった。その期間は実に38年に及んだ。

ただし外省人の一部は民主化運動を主導したし、特権を必ず享受したわけでもなかった。雷震胡適らは『自由中国』を発刊した。台湾大学教授の陳師孟は、学生の前で国民党の党員証を引き破り、後に国民党資産の問題を指摘した。中国大陸で支配階級でなかった外省人は、旧日本人住宅ではなくバラックに住んだ。

自らを中国人とみなした蒋介石が死去し、本省人である李登輝が総統になると、本省人と外省人の区別自体が無意味という意識が台湾で一般的になった。李登輝はかつて馬英九に対する応援演説で「500年前だろうが50年前だろうが、台湾に渡ってきた人はみんな新台湾人だ。これからはみんな21世紀に向かって、この土地で生きるものとして力を合わせて頑張ろう」と訴えた。近年は、選挙時期や歴史に関する議論を除けば、まれにしか両者は対立しない。

外省人と産業、職業

本省人が伝統的な産業で先行して事業を展開していたことから、外省人インテリ層は勃興しつつあったコンピュータ産業に身を投じた。アメリカ留学に積極的だったことも、コンピュータ関連企業の成長を後押しした。外省人は、台湾の食文化を豊かにした。外省人は自らの出身地の料理法を伝え、台湾を舞台に競争したので、各々の料理が大幅に洗練された。小籠包、牛肉麺、涼麺といった料理は、外省人の流入なしには発展し得なかった。外省人は、竹聯幇などのヤクザ組織も作った。この一因には、中国国民党による台湾統治から間もない時期、多くの仕事で台湾語(ホーロー語)が欠かせなかったことがある。

外省人と反日思想

外省人が反日思想を持っているわけでは、決してない。ただし靖国神社を参拝した台湾の議員団に卵を投げつけた台湾団結連盟靖国神社参拝事件を起こしたり、日本の国連常任理事国入りに反対したりしている人は、外省人である。

新世代の外省人

近年中台関係が改善する中で、台湾の国際結婚は圧倒的に中国人配偶者が多いのが特徴である。これらの者は新世代台湾人とも言われている。一説には40万人の内25万人の中国大陸の花嫁の「大陸新娘」がいるといわれ、台湾の人口比からみれば高い。ただし台湾政府はこれを防ぐため、外国人配偶者には結婚から3年間は身分証(公民権)を与えないとする規定を強化し、中国人に対してだけは8年間とした。台湾行政院大陸委員会(陸委会)の頼幸媛主任委員は、本土配偶者に対する規制緩和を求めた「台湾地区と本土地区人民の関係に関する条例」を行政院会(閣議に相当)に提出し、可決もされている。本土配偶者に対する差別撤廃に尽力し、修正後は、本土配偶者に就労許可が与えられ、永住権獲得までの期間も8年から6年に短縮された。これと似たように香港では2006年に4割が中国人配偶者という現象が起きている。2011年2月5日、北京晩報によると、現在台湾には約30万人の中国大陸出身の配偶者が生活しているという。

著名な台湾外省人

日本でも比較的よく知られている台湾外省人の例としては、高金素梅(国会議員)、郝龍斌(台北市長)、胡志強(台中市長)、レイニー・ヤン(歌手)、テレサ・テン(歌手)、馬英九中華民国総統)、朱立倫(国民党副主席)、劉兆玄(行政院長)、侯孝賢アン・リー(映画監督)、郭台銘(実業家)、任家萱S.H.Eのメンバー)、朱孝天F4のメンバー)、徐熙媛「大S」(女優)、徐熙娣「小S」(司会者)、陳建州(司会者)などを挙げることができる。中国系アメリカ人アイリス・チャンの両親も台湾へ移住した外省人である。

著名な二、三世外省人の一覧

浙江と上海から
山東から
広東から
福建から
四川から

江蘇から

北方から
その他

関連項目