利尻 (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 テンプレート:列車名 利尻(りしり)とは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌駅 - 稚内駅間を函館本線宗谷本線経由で運行していた夜行特急列車である。

概要

「利尻」は1958年10月、夜行準急列車として札幌駅 - 稚内駅間で運行を開始、1966年3月に急行列車化された。1968年10月に旭川駅 - 稚内駅間で運行されていた昼行急行列車「礼文」を「利尻」に吸収し、昼行を「利尻」1号、従来の夜行を「利尻」2号としたが、1970年10月に昼行を「礼文」に再分離し、「礼文」の名称が復活した。

2000年3月に特急列車化され、「スーパー宗谷」「サロベツ」とともに、道央道北を結ぶ役割を担っていたものの、2006年3月のダイヤ改正により臨時列車化され、同年6月から特急「はなたび利尻」として運転されるようになった。しかし、なおも利用が減少傾向にあることから、2008年4月にJR北海道が廃止を発表し、事実上2007年9月30日の運行を最後に廃止された[1]

列車名は、稚内市の西方の日本海にある利尻島から採られている。

廃止時の運行概況

1日1往復で、6月と9月の金曜週末休日および、7月 - 8月の毎日に運行されていた。札幌駅 - 稚内駅間を下りは約6時間41分、上りは約7時間55分で結んだ。稚内行の下り列車は利尻島礼文島へのハートランドフェリーへの乗り継ぎを考慮したものであった。

この背景には稚内市や利尻島・礼文島への観光客の減少と、航空便の運賃設定の低さと高速化、利便性が向上した夜行高速バス(特急はまなす号(銀嶺バス)や特急わっかない号(宗谷バス))などとの競合があった。

停車駅

札幌駅 - 江別駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅

※定期列車時代の停車駅。臨時列車運行時は江別駅、美唄駅、砂川駅は通過。

使用車両・編成図

2006年廃止当時の編成図
利尻
テンプレート:TrainDirection
お座敷車両が先頭車の場合
1 2 3 4 増21
B 指*
お座敷車両が中間車の場合
1 2 3 増21 4
B
  • 増21号車はお座敷車両
凡例
B=B寝台
指=普通車座席指定席
自=普通車自由席

座席車は、キハ183系気動車を「サロベツ」「利尻」用に改造した専用車が用いられたが、まれに専用車が使用されない場合もあった。専用車で運行の場合は、指定席車である1・2号車のシートピッチは1,040mmで、自由席車の4号車と比べて100mm広くなっていた。

また、キハ183系気動車お座敷改造車を「ゴロ寝カー」として、指定席車1両(増21号車)を6月 - 8月限定で連結される場合があった。ただし、特急券のでの列車名は「利尻お座敷」となり、発売区間は札幌駅 - 南稚内駅・稚内駅間限定となっていた。このお座敷車両は原則として一番札幌側に連結されていたが、上下列車で2両必要なのに対しキハ183形6000番台が2両しかないため運用の都合により中間車のキハ182形6000番台を連結する場合は札幌側から2両目に連結されていた。

寝台車14系客車を使用していた。

なお、指定席・B寝台には女性専用席が設定されていた。

ファイル:JRhokkaido-14-rishiri.jpg
昼間切り離され留置されたスハネフ14形寝台車(2005年5月)

テンプレート:-

沿革

  • 1958年昭和33年)10月1日:札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線経由で運転する夜行準急「利尻」(りしり)として運行開始。
  • 1966年(昭和41年)3月5日:準急列車制度の改変に伴い、急行列車に昇格。
  • 1966年(昭和41年)10月1日:マロネロ38形(1等寝台・1等座席合造車)からオロハネ10形(1等寝台・2等寝台合造車)に置き換え。これによりマロネロ38形が形式消滅。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:旭川駅 - 稚内駅間の昼行急行列車「礼文」を「利尻」に吸収。昼行は「利尻」1号(使用車両はキハ56系気動車)、従来の夜行は「利尻」2号とする。
  • 1970年(昭和45年)10月1日:旭川駅発着の昼行急行「利尻」1号を「礼文」に再分離。「礼文」の名称が復活。
  • 1977年(昭和52年)11月1日:オロハネ10形(A寝台B寝台合造車)の連結を取り止め。これ以降、A寝台の連結はなくなる。
  • 1982年(昭和57年)11月15日:14系客車に置き換え。当初は座席車のみだったが、1983年(昭和58年)4月25日から寝台車も14系客車に変更。これによりグリーン車の連結がなくなる。
  • 1991年平成3年)3月16日:寝台客車を併結した気動車「キハ400形・キハ480形気動車」による運転開始。これ以降、気動車と客車の混結列車として運行する体制を採ることとした。下り列車は最後尾の1両を旭川駅で切り離し、その1両は折り返しで上り列車に増結して運行していた。
  • 1996年(平成8年)7月 - 8月:深川駅 - 旭川駅間のトンネル工事(軌道の高さを下げる修繕作業)のため、稚内行き下り列車のみ滝川駅 - 旭川駅間を根室本線及び富良野線に迂回運行。通過する深川駅の利用者は列車代行バスで輸送。札幌行き上り列車は通常のルートで運行したが、トンネル工事の作業時間の確保のため旭川駅で停車時間を通常より長めに設定した上で、札幌駅での到着時刻が30分繰り下がるダイヤとなった。
  • 2000年(平成12年)
  • 2002年(平成14年)6月28日:寝台特急列車「北斗星」の車両を使用した「北斗星利尻」を運行。なお、稚内駅で機回しができないため、南稚内駅までの運行となった。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)9月30日:稚内発の「はなたび利尻」を最後に宗谷本線の夜行列車が事実上の廃止。
  • 2008年(平成20年)4月18日:JR北海道が廃止を発表[1]

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

  • 1.0 1.1 テンプレート:Cite press release
  • テンプレート:Cite press release