井伊氏

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テンプレート:日本の氏族 井伊氏(いいし)は、日本氏族近江国彦根藩の主家である。

井伊氏の淵源

井伊氏は藤原北家の後裔(系譜上では藤原良門の息子である藤原利世の子孫とされる)を称すも、三国姓(継体天皇の後裔)ともされ明確ではない。中世に約500年間、遠江国井伊谷(現、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の庄を本貫として治めたとされる。 南北朝時代、井伊谷の豪族であった井伊道政遠江介であるゆえに井伊介とも称した。道政は比叡山延暦寺座主である宗良親王の元に参じて南朝方として挙兵、遠江国の居城・井伊城に招いて保護した。また宗良親王の子・尹良親王も井伊城に生まれている。しかし、北朝方の高師泰仁木義長らに攻められて井伊城は落城した[1]。 北朝方、駿河守護今川氏と対立していたが、やがて今川氏が遠江の守護職を得るとその支配下に置かれる。しかし、戦国期を通して、守護である今川氏とは微妙な関係であり、今川義元尾張国織田信長に敗れた桶狭間の戦いの際に井伊直盛は今川氏に従い討ち死にしたが、戦後まもなく謀反を企てたとして井伊直親今川氏真に討たれている。

この、一族を多く失った「遠州錯乱」時期に、直盛の娘の井伊直虎が家督を継いだが、勢力は大きく衰退し、井伊谷の城と所領は家臣の横領や武田信玄の侵攻により数度失われている。

近世大名、井伊氏

1575年天正3年)、養母の直虎に育てられていた直親の遺児の井伊直政(後に徳川四天王の1人となる)は今川氏を滅ぼした徳川家康を頼り、多くの武功をたて、1590年天正18年)には家康の関東入府に伴い上野国箕輪12万石、関ヶ原の戦いの後には近江国佐和山に18万石を与えられる。直政の死後、直政の子の井伊直勝1604年慶長9年)に近江国彦根に移り築城したが、1615年元和元年)幕命により弟の掃部頭直孝に彦根藩主の座を譲った。直孝の代には35万石の譜代大名となる。なお直勝は亡父の官名・兵部少輔を世襲、3万石として安中藩藩主となった。

宗家・井伊掃部頭家

江戸時代の彦根藩家は直澄直該直幸直亮直弼と5代6度(直該が2度。なお直孝が大老になったかどうかは議論がある)の大老職を出すなど、譜代大名筆頭の家柄となる。また、堀田家雅楽頭酒井家本多家などの有力譜代大名が転封を繰り返す中、彦根藩家は1度の転封もなかった。

彦根城は35万石の大名としては、城郭が大きすぎ、築城にあたっては幕府が諸大名に御手伝普請をさせた。幕府が、大名の城を他の大名に普請させたのは、異例中の異例であって、京・大坂に備える城という意味があったといわれている。

江戸時代後期に直弼は老中阿部正弘の死後に大老となり、将軍後継問題では南紀派を後援し、一橋派への弾圧である安政の大獄を行うが、桜田門外の変暗殺された。直弼の死後、幕政の混乱の責任を直弼に押し付けられる形で10万石を没収されたことから、大政奉還後には譜代筆頭にもかかわらず新政府側に藩論を転向。鳥羽・伏見の戦いでは新政府側に属し、続く戊辰戦争にも転戦する。明治17年(1884年伯爵となり華族に列した。また、最後の藩主井伊直憲の双子の孫の内井伊直愛は、井伊家の旧領である彦根市市長1953年から9期の長きにわたって務めた。現18代当主は、井伊直愛の孫娘・井伊裕子と婿養子として結婚した井伊岳夫(18代当主としては本名でなく、通字の『直』を使った「井伊直岳」と名乗っている)で彦根市役所勤務。彦根城博物館長。

分家・井伊兵部少輔家

井伊直政長男直勝は病弱だったといわれる。この直勝が興した系統は、安中藩から西尾藩掛川藩と転封された。直勝の曾孫である当時の掛川藩主・兵部少輔直朝が精神病だったために改易となった。

しかし、宗家・掃部頭家から直興(直該)の 4男・直矩を兵部少輔家 5代目に迎えての家名再興存続が許されて、城を持たない2万石の与板藩主となった。その後、10代・井伊直朗若年寄となったため、城主格に昇格した。維新後、子爵となり華族に列する。現当主は井伊達夫(旧姓中村、京都井伊博物館長)で、2007年に婿養子となって名跡を継いだ。

家臣団

井伊家は直政の頃に領地・家臣を与えられて家臣団が成立し、三度に渡る加増を受けた近江や上野の出身家臣が特に多い。また、武田氏滅亡後の武田遺領を巡る天正壬午の乱における働きで知行安堵が行われた武田遺臣や駿河の今川氏、相模の後北条氏など旧戦国大名家の遺臣も召し抱えており、「井伊年譜」に寄れば家臣団は「~衆」といった組により編成されている[2]

史料

  • 『井伊家譜』
  • 『井伊年譜』

系図

脚注

  1. 延元元年(1334年)8月(または9月)、宗良親王は井伊道政の招きに応じて遠江国井伊城に入る(池上大一『与板藩史(上巻)』1982年、与板藩史刊行会、85-86頁。
  2. 井伊家臣団については、小宮山敏和「井伊直政家臣団の形成と徳川家中での位置」『学習院史学』(40郷号、2002年)

関連項目

リンク

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