ロッテ 歌のアルバム

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ロッテ 歌のアルバム』(ロッテうたのアルバム)とは、1958年5月4日から1979年9月30日まで毎週日曜日TBS系列局ほかで放送された音楽番組である。スポンサーは一貫してロッテが務めていた。1985年4月から1986年5月まで第2期として『演歌の殿堂 ロッテ歌のアルバム』が、1986年6月から1987年9月まで第3シリーズとして若者向けのシリーズ『歌のアルバム NOW』がそれぞれ放送された。

本記事では便宜上「第1シリーズ」・「第2シリーズ」、「ロッテ 歌のアルバムNOW(第3シリーズ)」と表記する。

第1シリーズ

概要

玉置宏の進行

第2回の放送から文化放送出身で、当時三橋美智也等人気歌手の歌謡ショーの司会を担当していた玉置宏を司会に迎えた。冠スポンサーであるロッテのCMソング「小さな瞳」のインストをBGMに彼が冒頭に発する「お口の恋人・ロッテ提供、ロッテ歌のアルバム」は茶の間に定着し、「1週間のご無沙汰でした。玉置でございます」(NET(現・テレビ朝日)『象印スターものまね大合戦』でも同様に発する)は当時の流行語にもなった。歌謡曲に対する造詣の深さに裏打ちされた玉置の司会術から、当代の大物歌手たちもこの番組に対して高い信頼を寄せていた。

主な出演者

橋幸夫舟木一夫西郷輝彦御三家と橋と同じ吉田正門下である三田明を加えた若手四天王が一躍人気を集めるようになった頃に同番組のピークを迎え、正統の歌謡番組として王道を歩み続けた。1967年12月に500回を突破した際には日本武道館からの公開放送(録画)を2週連続で行い、四天王の他、美空ひばり等当代の人気歌手が集まり、歌を披露した。

出演しなかった歌手

1960年代のグループサウンズ全盛期、スパイダースザ・タイガーステンプターズのグループは出演しなかった。玉置時代のプロデューサーだった田中敦(現・音楽評論家)の方針で長髪の歌手、グループの出演は断っていた。一方で田中はメンバーとは個人的には付き合っていたという。それらの背景にはスポンサーのロッテの強い方針があったと、田中は自著『こんなテレビ界を知っているか』で述べている。なお、ザ・タイガースは同業他社(明治製菓、現・明治)のCMに出演していた。

司会者交代

同番組の看板である玉置は1977年8月7日の1000回放送を機に勇退し、翌週より当時TBSのエースアナウンサーの一人だった小島一慶と歌手の千昌夫が玉置の後を継いで司会に抜擢されることとなった。

小島・千版

概要

1001回目以降ということで「千と一慶生放送」というサブタイトルとなり、内容はバラエティ路線への転換というスタンスはより顕著となって行き、同サブタイトル開始時、レギュラー・アシスタントとして、当時アイドル歌手だった大場久美子が出演していた。

小島・吉・うつみ版

途中で千が降板し最末期は小島と吉幾三うつみ宮土理が司会で、タイトルに「歌のアルバム'78('79)」となった。

概要

内容もバラエティ色がかなり強くなり、曲紹介はアニメキャラや洋画俳優が担当するようになった。声は松島みのり(『キャンディ・キャンディ』のキャンディ役)、山本圭子(『もーれつア太郎』のア太郎役)、向井真理子マリリン・モンロー役)などが担当した。なお洋画俳優の時のイラストは、針すなおが担当した。

備考

ウルトラマンがゲストとして曲紹介を毒蝮三太夫と共に紹介したこともある。

視聴率

最高視聴率は1964年6月14日放送の24.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

放送時間

放送時間は日曜12:45 - 13:15のイメージが強いが、実は何回も変わっている。(いずれも日本時間[1])。

第2シリーズ

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概要

1985年4月7日から1986年5月25日まで、「演歌の殿堂」というキャッチフレーズで、第2シリーズがTBS系列局で放送された。このときの司会は村野武憲が務めている。番組は日曜日の12時30分 - 13時に放送。ステレオ放送。

1986年6月1日から若者向けの『ロッテ 歌のアルバムNOW』へリニューアルされた。

2007年6月24日TBSチャンネルで「美空ひばり特集」の企画として美空ひばりが出演していた放送回の2回分、共に村野武憲司会時代の第2シリーズである、1985年4月7日放送の1回目と1986年1月19日放送の41回目「芸能生活40周年記念スペシャル」が2本連続再放送された。放送時間も当時の放送時間帯にあわせて、日曜日12時から13時までだった。この再放送でもロッテがスポンサーとなり、CS放送では珍しくCMが放送されることになった。ただし本放送当時のCMではなく、2007年現在放送中のロッテグリーンガム発売50周年記念キャンペーンのCMに差し替えられていた。

ロッテ 歌のアルバムNOW(第3シリーズ)

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概要

第2シリーズとは違い、完全に若者向けの番組になっていた。司会は山村美智子(現・山村美智)と、当時TBSアナウンサーだった松宮一彦が務めた。なお、1度だけ演歌一色の特集をしたこともあった。

食玩CDとして

2004年にガーナミルクチョコレートのミニ版とCDが入った「ロッテ歌のアルバム」が発売されていた。冒頭(トラック1)にある玉置のナレーションもCDの制作に合わせて新規収録を行い、おなじみの名ゼリフも再現された。トラック2は放送当時に流行した曲が1曲収録されている。

コンサート形式で復活

玉置の晩年にあたる2000年代に、玉置司会の「歌のアルバム」がコンサート会場での開催で復活を果たした。第1期当時のテレビ放送時代の歌手が出演した。もちろんスポンサーはロッテ。「お口の恋人・ロッテ提供、ロッテ歌のアルバム」や「一週間のご無沙汰でした」のセリフも再現された。

スポンサー

スポンサーのロッテは、番組終了まで提供していた。この番組のスポンサーでロッテは一躍有名企業となる。他の菓子メーカーのCMに出演している歌手(特にアイドル系)はこの番組には出演できなかったので、番組末期はキャスティングに苦労したと、後年玉置は述べている。その後ロッテは、「金9ドラマ」にスポンサー移動。当初は1分半だったが、1分に縮小、一時期、「中居正広の金曜日のスマたちへ」の30秒スポンサーを経て、「金曜ドラマ」の1分スポンサーとなり、現在に至っている。

ネット局

系列はネット終了時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 東京放送 TBS系列 制作局
現・TBSテレビ
北海道 北海道放送
青森県 青森テレビ 1969年12月開局から
1975年3月まではNETテレビ系列とのクロスネット局[2]
岩手県 岩手放送 現・IBC岩手放送
宮城県 東北放送
秋田県 秋田放送 日本テレビ系列 第1シリーズのみ
山形県 山形放送
福島県 福島テレビ TBS系列
フジテレビ系列
テレビユー福島 TBS系列 第2期と『NOW』のみ
山梨県 テレビ山梨 1970年4月開局から
新潟県 新潟放送
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列 第1シリーズのみ
石川県 北陸放送 TBS系列
福井県 福井放送 日本テレビ系列 第1シリーズのみ
中京広域圏 中部日本放送 TBS系列 現・CBCテレビ
近畿広域圏 朝日放送 前身の大阪テレビ放送時代から1975年3月まで
毎日放送 1975年4月から
腸捻転解消に伴う移行
鳥取県 日本海テレビ 日本テレビ系列
NETテレビ系列
1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ
電波相互乗り入れで山陰放送に一本化
島根県
→島根県・鳥取県
山陰放送 TBS系列 1972年9月17日までの放送エリアは島根県のみ
電波相互乗り入れに伴い1972年9月24日放送分から鳥取県にもエリア拡大
岡山県

岡山県・香川県
山陽放送 第1期は岡山県のみ放送、第2期と『NOW』は香川県でも放送
広島県 中国放送
山口県 山口放送 日本テレビ系列 テレビ山口開局後もスポンサーの関係でしばらくの間継続
テレビ山口 TBS系列
フジテレビ系列
移行時期不明
1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局
徳島県 四国放送 日本テレビ系列 第1期のみ
愛媛県 南海放送
高知県 テレビ高知 TBS系列 1970年4月開局から
福岡県 RKB毎日放送
長崎県 長崎放送
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送 1959年10月から
宮崎県 宮崎放送 1960年10月から
鹿児島県 南日本放送
沖縄県 琉球放送

備考

ネットチェンジ前の朝日放送は、全国高等学校野球選手権大会の準決勝・決勝と日曜日が重なった場合に限り、大会の中継を優先させた。そのため、当番組は当日時差ネットまたは後日放送の措置がとられた。決勝と日曜日が重なった場合、朝日放送以外のJNN系列局は当番組をそのままネットし、終了後に決勝戦中継に飛び乗りした。

脚注

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  1. 日本放送出版協会「放送学研究・午後の時間帯」より。
  2. 1975年3月まではJNNには番販で参加していたため、TBS系列の番組も当初から相当数放送し、制作もするなど事実上クロスネット状態であった。