バズーカ

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ファイル:Bazookas Korea.jpg
朝鮮戦争におけるM20スーパーバズーカ(左)とM9バズーカ(右)

バズーカ英語:Bazooka)は、アメリカ合衆国が開発した携帯式対戦車ロケット弾発射器の愛称

第二次世界大戦で使用された60mmバージョンと、朝鮮戦争以降使用されるようになった89mmバージョンがあり、正式名称は前者が「M1/M9/M18対戦車ロケット発射器」、愛称はバズーカ、後者が「M20対戦車ロケット発射器」、愛称がスーパーバズーカ(Super Bazooka)と呼ばれる。

戦後アメリカから西側諸国に多数が供与され、携帯対戦車ロケット兵器の代名詞的にもなったため、以来同様の対戦車ロケット弾発射器や無反動砲を一般名詞的に「バズーカ」と呼ぶこともある。

日本では「バズーカ砲」などとも呼ばれるが[1](ガン)」ではなく、薬室を持たない「噴進弾発射器(ロケットランチャー)」に分類される。

概要

使用方法は射手が肩に担いで構え、装填手が後部からロケット弾を装填、ロケット弾から伸びた電線をバズーカ本体の電極に接続。発射準備が完了したら、後方爆風を浴びない位置に移動し射手の鉄帽を叩いて合図、敵(主に装甲戦闘車両トーチカ)を攻撃する。ロケットの燃えカスが射手の顔面に吹き付けるため、初期には防毒面と手袋着用で発射されたが、後にディフレクター(ラッパ状に広がった覆い、初期には金網製の笊型)が筒先に取り付けられた[2]

バズーカ型ロケットランチャーの外見は無反動砲と非常に類似しており、後方爆風が発生するため発射器や砲の後方に物や壁があってはいけないことと、仰角を付け過ぎると射手後方の土砂などが吹き飛ばされ危険なこと、バックブラストによって巻き上がる土煙で射手の位置を容易に特定されてしまうなどの運用面の弱点が共通する。また、ロケット弾の発射と同時に後ろから燃えカスが出るのも難点の一つで、前後に爆風がおき、なおかつ狭い場所では自分自身や仲間が大怪我をする恐れがあった。しかし、バズーカは砲身内部にライフリングが刻まれておらず[3]推進薬で加速・自力飛翔するロケット弾を撃ち出す「発射器(ランチャー)」であるのに対し、無反動砲弾は高速で後方に噴出する燃焼ガスで反動を相殺する(作用・反作用の法則)火薬発射型の「砲」であるという点で異なっている[4]。初速の遅い砲弾でも高い装甲貫通力を発揮させる成型炸薬弾頭(HEAT)が実用化され、当時の戦車に対して非常に有効な歩兵用携行火器となった。

愛称の由来は、ラッパ状に広がったディフレクターの形状が、当時アメリカで有名であった音楽コメディアンボブ・バーンズの「バズーカ」と呼ばれる舞台で使用されていた自作のラッパ画像)に似ていた事からこの愛称で呼ばれるようになったのであり、「バズーカ」という名称は形状に由来する物であり発射方式や原理による物ではない。このため単純に形状のみから他の携帯式ロケット兵器をバズーカと呼ぶことがある。

60mmバズーカ

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極めて単純で安価なこの兵器は、最初のM1が1942年末の北アフリカチュニジアに投入され、改良型のM1A1M9、折りたたみ式になったM9A1、アルミ合金の使用で軽量化されたM18を含め、第二次世界大戦中だけで本体約48万本、ロケット弾1,560万発と大量生産された。

一方、ドイツ国防軍鹵獲したバズーカを元に8.8cmロケット弾開発を行った、そして1943年にこのロケット弾を使用する43型ロケット対戦車兵器パンツァーシュレック(別名オーフェンロール)」及び「8.8 cmロケット発射器43型(別名プップヒェン)」が生産され、東部戦線ではT-34を撃破する威力をみせた。

なお、プップヒェンとパンツァーシュレックのロケット弾は同口径で基本設計は同じものである。これらは成形炸薬弾の貫通力が口径に比例する法則の通り、口径60mmのM1バズーカより強力だった。もう一つの代表的な携帯式対戦車兵器であるパンツァーファウストロケットランチャーではなく、無反動砲に分類され、発射原理が全く異なっている。 テンプレート:-

89mmスーパー・バズーカ

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1953年3月25日、ドーザー付きのM46パットン砲塔にバズーカ対策の金網を張っている海兵隊員。この当時、国連軍戦車は壕に待機し、砲塔だけ出して砲撃支援任務を行っており、鹵獲されたバズーカの攻撃を受け損害を出していた

テンプレート:Main 第二次世界大戦中にはドイツ重戦車の側面を狙い戦果を挙げたはずの2.36インチ(60mm)M9バズーカは、朝鮮戦争においてT-34-85に対する攻撃で十分な効果をあげられなかった。原理的にはM9バズーカはT-34装甲を貫通する能力があったはずである[5]。この原因については、大戦後5年が経過した在庫のロケット弾の炸薬が劣化していた、あるいは成形炸薬弾頭は装甲を貫通する能力はあったとしても、そこから中の人間や機関に損害を与えるには加害範囲が小さかったなど、いくつかの説が唱えられている。この事態に際し、1945年に既に採用済みの口径89mmのM20「スーパー・バズーカ」が急遽大量生産、空輸された[6]

M20スーパーバズーカは、朝鮮戦争1950年7月20日の大田の戦いで実戦投入され、以降この当時の米韓連合軍にとって唯一のT-34を撃破しうる対戦車兵器として活躍した。大田市街戦においては、アメリカ陸軍第24歩兵師団師団長ウィリアム・ディーン少将が、自らスーパー・バズーカを担いで戦車狩りを行って兵士たちに新兵器の威力を示したという逸話が残っている。

その後は、より射程の長い無反動砲対戦車誘導弾、もしくはより小型軽量なM72 LAWにその座を譲って、正式装備から外れていった。 テンプレート:-

創作世界における「バズーカ」

世間一般におけるバズーカへの認識は、前述したような「特定の形式の携帯式対戦車ロケットランチャー」のことではなく、単に「携帯して射撃できる口径の大きい砲」の一般名称である場合が多い。そのためか漫画やアニメなどの創作世界では、バズーカと称される火器から発射されるものは無誘導ロケット弾に限らず、砲弾ミサイル・ビームなど多岐にわたっている。

また、現実のバズーカは重量や運用思想、技術的問題などから単発単射式(発射機使い捨て型と発射機再利用型に分かれる)であるが、創作世界で使用されている架空のものは演出上、弾倉(ビームなどを使用しているものはエネルギーパックなどを用いる)を使用する、あるいはそれすらなしで連続発射が可能となっている場合が多く、重量面でも走りながら片手での保持射撃が可能なほど軽量化されており、発射時の反動や噴射炎による二次被害もあまり描写されない。

注釈

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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  1. 構造的にはロケットを直進させるための単なる鉄パイプに引き金と推進薬点火用の簡易発電装置(コイルの中心に勢い良く棒磁石が突っ込まれるだけのもの)またはバッテリーを付けたようなものである
  2. 大戦中にドイツがコピーしたパンツァーシュレックや、戦後に製造されたベルギー製のバズーカ型ロケットランチャーのRL-83では、防弾性の無い盾が射手の顔前に付けられている
  3. 無反動砲にはライフリングのあるものと、無い滑腔砲タイプの両方がある
  4. 近年は無反動砲が発射する弾体がロケット推進アシスト機能を持つ事が増えたため、さらに分類が難しくなってもいる
  5. パンツァーシュレックの威力に対抗しT-34の装甲が強化されていたわけではない。この手の成形炸薬弾を用いる歩兵火器への対抗策として、金網やベッドのスプリングを戦車の周囲に装着した事例はあるが、朝鮮戦争のT-34では行われていない。逆に、スーパーバズーカを鹵獲した中国義勇軍兵士による攻撃に対し、画像のように国連軍戦車の砲塔周りに金網を張った例がある
  6. M20はM9よりも口径が大きいため、装甲を貫通した後の内部の人間・機関に対する加害範囲も広くなっている