ロケット砲

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ロケット砲(ロケットほう、テンプレート:Lang-en)は、ロケット弾の発射に特化した大砲の総称のことである。

概要

この兵器にて使用される弾丸(発射物)はロケット弾と呼ばれ、推力を持ち、自力で飛翔する能力を持つ。基本的にはロケットによる推力で発射器から加速・発射されるが、火砲形式の発射器の一部では初期加速に発射用の火薬を使って射ち出し、外部に出たところでロケットに点火、推進するタイプも存在する。

ロケット発射器には薬室と尾栓がある火砲の形式を持った物やレール上に設置した弾体を発射する物、保存・運搬容器から直接発射する物があり、基本的に方向・発射角度を調節できる機能を持つ。通常の火砲と比較すると発射器に必要な強度が低く、また、ロケット弾の命中精度が通常の火砲に比較して劣ることから同時に多数のロケット弾を発射して一度に大面積を制圧するという用途に使われることが多い。

ロケット弾はその特性上、発射時に大量の高熱の噴射ガスを噴出する(バックブラスト)ため、遠距離からでもその発射を確認することが容易である。このため発射地点を特定され敵の反撃を招きやすいという欠点がある。加えて、噴射ガスが砲周辺を焦がすことがあるため、発射時は安全圏に避難するか噴射ガスの影響を受けないようにした設備に入る必要がある。一部のロケット弾では、燃焼すると有毒ガスを発生する推進剤を使用しているものがあり、それを発射する場合はその射手も含め、周囲の人々は防毒マスクを着用する必要がある。

なお通常の砲の砲弾にロケットブースターを追加した物(RAP弾)もあり、こちらは通常の砲弾では到達しない長距離に打ち出すために利用される。

歴史

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多段式ロケット弾開発者カジミェシュ・シェミェノヴィチ
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シェミェノヴィチの三段式ロケット弾

この種の兵器を初めて運用したのは火薬を発明した中国であり、火箭とよばれた簡単なロケット発射器であった。現在でも中国ではロケットにこの名称が当てられている。

欧州で近現代的なロケット弾が実用化されたのは17世紀半ば、ポーランド・リトアニア共和国の科学技術者カジミェシュ・シェミェノヴィチによる。このロケット弾の実物は現存していないが、その構造はアムステルダムで初版が刊行された彼の著書Artis Magnae Artilleriae1650年)に詳細に解説されている。ロケットは三段式で固体燃料を使用し、専用の砲台により発射された。後には現代のミサイルに見られるようなデルタウィングによる制御機能が搭載された。

ポーランドに遅れること1世紀、18世紀半ばのイギリスではインドマイソール王国との戦争を通じてコングリーヴ・ロケットが使われるようになった。これはアメリカ独立戦争などでイギリス側の兵器として用いられた。これは巨大なロケット花火のような風体をしており、姿勢の安定は後部に伸びた"棒"によって行われ、技術的には古代中国の火箭と同じものであった。

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BM-13カチューシャロケット発射器を搭載したスチュードベイカートラック(1945年4月、ベルリン

大砲の発展により精度の劣るロケット兵器は一時衰退したが、第二次世界大戦では多数のロケット砲が実戦使用された。ソ連カチューシャトラックに多連装ロケット発射器を載せたもので、一斉に小型ロケット弾を投射して地域制圧射撃を行い、「スターリンのオルガン」と呼ばれドイツ軍に恐れられた。

一方のドイツ軍は、より大型で一発あたりの破壊力が大きいロケット弾を発射する、各種のネーベルヴェルファー(直訳すると煙幕発射器であるが、機密保持のための暗号名)ロケット発射器を使用し、こちらも一部は装甲ハーフトラックに搭載された。同じドイツ軍のシュトルムティーガーは、スターリングラード攻防戦で頑強な農業サイロを破壊できなかった反省から開発され、もともと海軍の対潜用だった38cmロケット臼砲を搭載し、陣地・建物破壊用に用いられた。

また、日本軍では四式二十糎噴進砲四式四十糎噴進砲が開発・採用され、太平洋戦争末期の硫黄島沖縄での戦闘に投入された。

主なロケット砲

第二次世界大戦

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第二次世界大戦後

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関連項目