国連軍

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国際連合軍(こくさいれんごうぐん、テンプレート:Lang-en-short)は、本来、国際連合安全保障理事会(安保理)の決議によって組織された国際連合の指揮に服する軍隊を指す。しかし、正規の国連軍が過去において組織されたことがないため、一般に、国連軍と呼んだ場合、朝鮮戦争における特殊な国連軍、平和維持活動における平和維持軍を指す。略称は、国連軍

概要

国際連合憲章第7章においては、平和に対する脅威に際して、軍事的強制措置をとることができると定められている。憲章第42条で、安全保障理事会は国際の平和と安全を維持または回復するために必要な行動をとることができると規定されている。憲章第43条に従ってあらかじめ安全保障理事会と特別協定を結んでいる国際連合加盟国がその要請によって兵力を提供することになっており、安全保障理事会が当該兵力を指揮する。憲章第46条により安全保障理事会は軍事参謀委員会の援助により、兵力使用の計画を作成し、憲章第47条3項により軍事参謀委員会が兵力の指揮に関して助言する。これまで、この兵力提供協定を結んでいる国がないため、国際連合憲章第7章に基づく、安保理が指揮する国連軍が組織されたことはこれまで一度もない。

日本と朝鮮戦争における特殊な国連軍

日本は、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定の発効を受けて1954年2月19日アメリカ合衆国(米国)・イギリス(英国)・フランスなど11ヶ国と「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定[1])を結んでいる(現在は8ヶ国)。同協定は同年6月11日に発効している。

1957年7月、同協定に基づきアメリカ太平洋軍第8軍司令部隷下の在日米陸軍・国連軍・第8軍後方司令部としてキャンプ座間に「後方司令部」が設置され、1959年3月、第8軍後方司令部の役割を解除されて「在日米陸軍・国連軍後方司令部」となり、2007年11月1日横田飛行場に移転した。司令部には、司令部要員として4名が常駐しているほか、各国大使館駐在武官の兼務を含めて23人の連絡将校団が常駐。3~4ヵ月に1回程度の頻度で情報交換のための非公式会合を行っている[1]

同協定第24条によれば、国連軍後方司令部は朝鮮半島から国連軍が撤退するまで有効で、国連軍撤退が完了したのち90日以内に日本から撤退しなければならない。

在日米軍基地のうち、座間と横田を含めた次の7カ所が協定に基づく国連軍施設に指定されている。

  1. キャンプ座間
  2. 横須賀海軍施設
  3. 佐世保海軍施設
  4. 横田飛行場
  5. 嘉手納飛行場
  6. 普天間飛行場
  7. ホワイト・ビーチ地区

現在も、必要に応じて国連軍参加各国が国連軍基地を使用している。国会答弁等から分かる使用実績は次の通り。

  • (1997-1999年)艦船7隻、航空機23機が寄港・飛来[2]
  • (2000-2002年)艦船寄港21回、航空機着陸10回を記録[3]
  • (2006年,2009年)北朝鮮の核実験に際して、大気観測を行う英軍機VC10が国連軍地位協定を活用して嘉手納空港を補給等のために使用[4]
  • (2007年)嘉手納で米豪共同訓練を実施[5]

国連軍の歴史

国連軍の歴史は、1950年の朝鮮戦争と、それ以降の平和維持活動における平和維持軍に大別することができる。詳細は、朝鮮戦争平和維持活動のページに紹介されている。なお、安全保障理事会および総会の決議により各国が自発的に派遣した軍隊の連合(多国籍軍)は、国連軍ではないため注意が必要である。

所謂第二次世界大戦で戦った連合国軍も当時U.N.Forceと呼ばれたが国連軍とは区別される(国際連合が正式に発足したのは大戦終結後の1945年10月である)。

国連軍が登場するフィクション作品

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 第145回国会参議院日米防衛協力のための指針に関する特別委委員会会議録-5号, 1999年5月12日, p41
  • 第145回国会参議院日米防衛協力のための指針に関する特別委委員会会議録-5号, 1999年5月12日, p41
  • 第156回国会衆議院沖縄及び北方領土問題に関する特別委員会会議録-2号, 2003年2月25日, p24
  • 第171回国会参議院外交防衛委員会-16号, 2009年6月4日, p9
  • Kadena Air Base, "Base Hosts 1st RAAF training in Japan," 10/11/2007. <[2]