スター爆笑Q&A

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組

スター爆笑Q&A』(スターばくしょうキューアンドエー)は、1982年3月1日から1992年3月16日まで日本テレビ系列局で放送されていた、クイズ番組を交えたトーク番組よみうりテレビの製作番組であるが、IVSテレビ制作も製作に携わっていた。放送時間は毎週月曜 22:00 - 22:52[1](JST) 。

概要

内容

解答者でもあるゲストの珍談・奇談を披露し、さらにクイズを行いながら爆笑トークを展開する。形式的にはクイズ番組よりもトーク番組の性質が強く、初代司会の横山やすし西川きよしの巧みな問いかけで有名人の素顔をさらけ出す形式で注目を浴びるなど人気を博した。また『それは秘密です!!』のようなご対面コーナーもあった。月曜日のプライムタイム枠放送の肩肘凝らずに見られる番組で、この後に続く『NNNきょうの出来事』へと繋いでいった。

開始当初は制作局である大阪のよみうりテレビの本社にて収録が行われたが、1985年4月から司会として加入した山田邦子のスケジュールを優先するために、これ以降は東京の日本テレビのスタジオ(末期は渋谷ビデオスタジオ)にて収録が行われるようになった。

番組末期には、山田邦子自身が番組エンディングテーマを歌ったり、佐野量子が歌う「季節の終りに」がエンディングテーマとして使われたりしていた。

「スター」と言っても、大御所ばかりが登場していたわけではなく、いろいろな番組のネタを織り交ぜていた。他局でありながら『必殺シリーズ』の関係で鮎川いずみ京本政樹をチームにしたり、山田邦子と横山やすしのコントでも「俺は組紐屋の竜や」などとネタを含めて視聴者を楽しませていた。また、特撮番組出演者も多数出演しており、中でも宮内洋出演時には『仮面ライダーV3』も流された(これも他局作品である)。声優の水島裕なども出演しており、多ジャンルにおいて視聴者を喜ばせていた。

10年間続いた番組であったが、1992年3月16日放送の『10年間ありがとうスペシャル』をもって終了の運びとなった。

クイズのルール

解答者は1ペア計4チームのゲスト(芸能人・著名人)で、司会者が出題する問題に対して、解答者は挙手をして解答権を得て、正解するとぬいぐるみが貰えた(ぬいぐるみ1つにつき1点)。問題の出題前にはVTR(ナレーションは三ツ矢雄二が担当)を流したり、エピソードにまつわる写真や品物を登場させたりしていた。最終的に正解数の多いチームから海外旅行(当初はハワイだったが、後にマレーシア)を賭けた抽選会(チャレンジゲーム)に挑戦できた。ボックスの中に赤と白のボールが入っており、引く色を宣言してその色を引くと海外旅行獲得となった。失敗すると次に正解数の多いチームに挑戦権が移り、当たるまで続けられた。当初、箱は前方に窓があり、そこからボールを選び出す様子が出ていたが、後期は箱の中にCCDカメラが仕込まれており、テレビではボールを選ぶ様子が子画面で映し出されていた。

増補

  • スタート当初はペアでなく、個人参加だった。
  • 山田邦子が司会に参加してからは、毎回1問、邦子と横山やすし(→桂文珍)が出演者にまつわるコントをしてから出題する「コントでクイズ」が登場した。
  • 末期では、4チームの内1チーム(画面向かって左上の席)は解答のみで自分に対する問題が出ない「お友達席」となった(笑福亭笑瓶、そのまんま東(現、東国原英夫)、小林千絵ほかが出演)。そして、「お友達席」の解答者がチャレンジゲームに成功したら、賞品の海外旅行は視聴者プレゼントとなった。
  • 山田邦子が加入後は、邦子が解答者の目の前で芸能人・著名人の似顔絵を描き、それが誰かを当てる「お絵かきクイズ」もあった。このクイズに限り、筆記問題であった。まずは、正解の人物に縁のあるゲストが出演し、邦子に特徴を口答で伝え、それを元に描く。正解発表時には、実際にモデルとなった人物が登場した。そして、その似顔絵の出来の具合によって、正解の人物が点数を付けるのがお約束となっていた。

エンディングトーク

文珍・邦子時代には、エンディング中に誰も居なくなったスタジオでのトークパートが設けられた。主にその日のゲストや番組の反省点などについて語り合っていた。

司会

  • 横山やすし西川きよし(1982年3月 - 1985年3月)
  • 横山やすし・西川きよし・山田邦子(1985年4月 - 1986年3月)
  • 横山やすし・桂文珍・山田邦子(1986年4月 - 1988年1月)
  • 桂文珍・山田邦子(1988年1月 - 1992年3月)

ハプニング

  • 「スターの両親当てクイズ」で邦子が答えを間違えたと気づき、邦子と文珍は耳打ちで答えを確認し合ったが、きよしが「所ジョージのお父さんや…」と言ってしまった。邦子が「それが次の問題の(答え)なんですよ」と言い、その後の問題(母親当て)で解答者はわざと間違えた。後に富司純子が笑いをこらえきれなくなり、野沢直子が「まさか、富司さんがボケるとは…」と言ったが、正解を答えた。
  • 正解数の多いチームから海外旅行を賭けた抽選会(チャレンジゲーム)に挑戦するときに、箱に入っている赤と白のボールが入ってないハプニングがあり、後にスタッフが気づいて入れ直した。
  • 誠直也からの出題で、物を当てるクイズであったが正解の鶏が鳴き出してしまい、解答がバレてしまったことがある。
  • 島崎俊郎は出題直前にトイレを我慢出来ずに、本番中におもらしをしてしまった事がある。
  • 文珍は爬虫類が大の苦手で、渡辺典子が巨大な蛇と同時に登場した時、恐怖のあまりセットの裏に逃げ出してしまい、大騒ぎになった。邦子は「お知らせ(CM)の間に文珍さんを探します。文珍、何処だー!!」と場を繋いでいた。(渡辺本人曰く、「私はへび年生まれなんで、爬虫類は大丈夫。」との事。)
  • 邦子は正解の小道具のタンバリンを叩いている時に、力の入れすぎで破いてしまった事がある。他にも、亀の剥製の首の部分を力を入れて握って壊してしまった事もある。(当然、会場内は大爆笑となった。)

不祥事

テンプレート:出典の明記

新人スタッフに暴行

当時、担当の東大出身の新人スタッフが本番前のやすしを呼びに楽屋を尋ねたところ、「ノックをせい!」と殴られ、これにショックを受けた新人スタッフは、番組制作会社を退社した。

いじめ・泥酔出演でマネージャーからビンタ

本番中、やすしが山田邦子を過度にいびり倒したためにきよしがやすしを殴って止めさせたり、やすしが泥酔してゲストの片岡鶴太郎らに絡んだりという事件が起きた。当時やすしのマネージャーだった大谷由里子(旧姓:松岡)が舞台裏でやすしをビンタしたという逸話もあり、この件が原因でやすしは番組を降板することとなった。

ネット局

放送対象地域 放送局 系列 備考
近畿広域圏 よみうりテレビ 日本テレビ系列 製作局
関東広域圏 日本テレビ
北海道 札幌テレビ
青森県 青森放送 1991年10月から[2]
岩手県 テレビ岩手 1990年10月から
宮城県 ミヤギテレビ
福島県 福島中央テレビ
新潟県 テレビ新潟
長野県 テレビ信州 1987年10月から[3]
1991年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局(NNS非加盟)
静岡県 静岡第一テレビ
中京広域圏 中京テレビ
富山県 北日本放送 1990年10月から[4]
石川県 石川テレビ フジテレビ系列 [5]
テレビ金沢 日本テレビ系列 1990年4月開局から
鳥取県
島根県
日本海テレビ 1989年10月から[6]
広島県 広島テレビ
岡山県
香川県
西日本放送
福岡県 福岡放送
長崎県 長崎国際テレビ 1991年4月開局から
熊本県 くまもと県民テレビ 1982年4月開局から
沖縄県 琉球放送 TBS系列 1984年4月から一時期のみ[5]

脚注

  1. 番組収容時点。後続のスポーツニュースの開始時刻の変動により、終了時刻が2度変更となっている。
  2. 一時期深夜に放送されていたが、一旦打ち切られていた。
  3. 金曜ロードショー』開始に伴い、同時ネットで放送開始。
  4. 1990年9月までは番組販売扱いで土曜22:00から遅れネット。
  5. 5.0 5.1 番販扱い、遅れネット。
  6. 1989年9月までは不定期に遅れネットで放送。

関連項目

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