クイズまるごと大集合

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組クイズまるごと大集合』(クイズまるごとだいしゅうごう)は、1987年から1991年春までTBS系列局で、同系列のテレビ番組・新番組の宣伝を兼ねた期末期首特番として放送されたTBS製作の番組対抗の大型クイズ番組である。また、TBSでクイズ番組の司会者を2番組担当していた大橋巨泉(『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』)と関口宏(『クイズ100人に聞きました』『わくわく動物ランド』)がメイン司会者で、ビートたけしはサブ司会者であった。オープニングナレーション、賞金賞品の紹介、ルール説明など「クイズ100人に聞きました」の屋根裏アナウンサーである橋本テツヤが務めた。

概要

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

前身番組

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  • 1983年と1984年にはタモリ司会による『スター対抗クイズ番組大集合』なるTBS系列のクイズ番組を集めて多数のゲストがそれに挑戦する、この『クイズまるごと大集合』の原形とも言うべき特別番組も放送された。

当番組になってから

  • 1987年春にTBS系列の人気番組・新番組の出演者を集めた『クイズまるごと大集合』にリニューアルされ、前身番組から引き続き大橋巨泉・ビートたけしに新たに関口宏を加えた3人のローテーション司会を勤めた(最初の回ではビートたけしはこの時「フライデー事件」での謹慎による活動自粛をしたため、巨泉・関口の2人がローテーション司会を務めた)。
  • 当時の人気クイズ番組が集結して、参加番組(チーム)に出題した。また、各番組の司会者が他の番組の司会を担当する(自分の番組を担当することもあった)システムであった。タイトルの冒頭には『春(秋)の豪華版スペシャル』と付けていた(1991年春は『クイズまるごと大集合!!春の番組王座決定戦』だった)。
    • なお、『クイズダービー』に限っては関口・たけしが司会でもオッズは巨泉が付けていた。
  • 1990年代には日本テレビ系列でも『スーパークイズスペシャル』として本番組の類似企画を行った。
  • 大橋巨泉やビートたけしが『100人に聞きました』の司会をした際にルールが分からなかったため、関口宏によくルールを聞いて教えて貰っていたが、ビートたけしが『HOWマッチ』の司会をした際にルールがわからず大橋に聞くと「お前も(レギュラー解答者なんだから)ルールぐらいわかるだろ」とあっさり言われ、たけしが勝手にルールを変えたこともあった。
  • 表彰式プレゼンターはほぼ毎回たけしが務めたが、優勝チーム発表の際、実際には参加していない番組名(あるいは映画名)を発表し、笑いを誘っていた(『あばれはっちゃく』、『笑ってポン!』等。なお、プレゼンターのボケシーンは、『オールスター赤面申告ハプニング大賞』の堺正章へと受け継がれていく)。
  • 番組途中には『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の加藤茶と志村けんのコンビが進行を務める「おもしろCMコンテスト」(後の1989年春に「番組CM大賞」に改題)というコーナーが挿入されており、この番組のために製作された出場番組の宣伝が流されていた。
    • 1990年の回は加トけんは出演せず、巨泉・関口など数名が進行した。また、出場チームのうちCM大賞のみ参加する番組もあった(『日曜特集・新世界紀行』など。なお『新世界紀行』は担当プロデューサーが賞を受け取ったが、その後はどうなったか不明)。
  • クイズ番組の出題の他にも、独自のコーナーとして「テレホンクイズ」なども行われていた。内容は解答席に一台ずつ電話が置かれ、一問出題ごとに表示された電話番号にかけるというものだったが、その電話番号にかけた視聴者も多かったとのこと(収録番組のためスタジオへは通じない)。

度重なるルール変更

  • 1990年春からルールが改変され、全てのクイズに全員参加となり、さらに『クイズ日本昔がおもしろい』『わいわいスポーツ塾』『世界・ふしぎ発見!』『世界まるごと2001年』が新たに追加(『世界まるごと2001年』は1990年秋のみ)。
  • さらに、司会陣に巨泉・関口・たけしの3人に加え、これまで出場番組側の出演者だった逸見政孝板東英二草野仁、1990年秋のみ山口美江が加わった。
  • 1990年秋での前半は指名したチームが「動物ランド」(関口担当)「昔がおもしろい」「わいわい」「ふしぎ発見!」「2001年」の5番組のテーマから選択するクイズ。以降は全チーム参加で中盤は各番組からのクイズ(「クイズ!!ひらめきパスワード」「日曜劇場」から数番組からの出題)、最終ブロックは「クイズ100人に聞きました」で特別ルールで行った。また、この回のみ「クイズダービー」は出題番組ではなく、出場番組側になった。

オールスター感謝祭へ移行

  • 1991年春は「クイズまるごと大集合 春の番組王座決定戦!」に改題。さらにルールが変えられて「予選ラウンド・敗者復活ラウンド・決勝ラウンド」となり、出題番組も『クイズ100人に聞きました』『クイズダービー』『わくわく動物ランド[1]のみとなり、決勝も『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)の決勝早押しクイズのようなものになったほか、敗者復活ラウンドではある架空の電話番号をかけて司会者のテーブルに置かれた電話に通じたチームのみに解答権が与えられるクイズもあった。しかし、この回が事実上の最終回となり[2] 、同年秋以降は番組対抗期末期首特番が大幅にリニューアルされ、現在でも続く『オールスター感謝祭』に役割を譲った(同番組は生放送)。
  • 「オールスター感謝祭」になってからはたけし・板東は数回出演[3] 、逸見は1993年春に出演[4] 、関口は2001年春のVTR出演、草野は2012年秋のVTR出演と2013年秋の「ぬるぬる大相撲」の行司(第3戦のみ今田耕司)で、黒柳は2013年春に出演しているが、巨泉など一部出演者は1度も出演していない。

補足

主な出題クイズ番組

(1990年春から追加された番組)1990年秋はチームが問題を選択できるものだった

総合司会

出場チーム及びクイズダービー(決勝戦)の結果

※ CM大賞のみ参加の番組 テンプレート:節stub

1987年3月31日放送

出場チーム

決勝戦

1987年9月29日放送

出場チーム

決勝戦

1987年9月26日の放送よりセットが変更となった。

1988年3月29日放送

出場チーム

2回戦

3回戦

  • 司会:ビートたけし
    • 掛け声は「ビートたけしの世界まるごとHOWマッチ!!

決勝戦

1988年10月4日放送

出場チーム

2回戦

3回戦

  • 司会:関口宏
    • 掛け声は「関口宏の世界まるごとHOWマッチ!!

決勝戦

このとき、司会のたけしは解答者の実兄大が不正解だと、「お前、こんなんもわかんないなら大学教授辞めろ!」と茶化す場面があった。また、視聴者プレゼントクイズとして「今日の解答者の中に、司会を務めている私と血のつながっている人がいます。それは誰でしょう?」という出題もなされた。

1989年3月28日放送

出場チーム

決勝戦

  • 司会:大橋巨泉
  • 決勝進出チーム及び成績
    • 赤チーム:痛快!ロックンロール通りファイナル(127,500点)
    • 黄チーム:加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(302,000点)
    • 緑チーム:アッコにおまかせ!(170,500点)
    • 青チーム:クイズ!!ひらめきパスワード(132,000点)
  • 解答者

1989年10月3日放送

出場チーム

決勝戦

1990年4月3日放送

出場チーム

第2回戦

第3回戦

第4回戦

第5回戦

第6回戦

決勝戦

巨泉自身の「セミリタイア宣言」に伴い、1990年3月31日(第734回)を最後に司会を退任したが本決勝戦を最後に事実上退任した。その後、1992年12月19日の最終回まで一切務めなかった。

1990年10月2日放送

1991年3月26日放送

出場チーム

クイズダービーの結果(決勝戦では無かった)

問題はAブロック・Bブロックともに4問ずつ出題。特別ルールとして、通常のクイズダービーとは異なり、賭け点は10点単位まで賭けることが可能。Aブロックは「水戸黄門」、Bブロックは「熱血!新入社員宣言」が決勝進出を決め、賞金30万円を獲得した。Aブロックの「金曜ドラマ・それでも家を買いました」は、第2問ではらたいらに持ち点の10点を賭けたが、はらが不正解だった為、持ち点が0点になってしまった。Aブロック「テレビ探偵団」「バナナ大使」は10点から最終的に上昇したことで「チーム特別賞」を獲得した。

全回での放送時間と優勝チーム

放送日 優勝チーム
第1回 1987年3月31日火曜日) 19:00 - 21:48 不明
第2回 1987年9月29日(火曜日) 19:00 - 21:48 おんなは一生懸命(TVドラマ)チーム
第3回 1988年3月29日(火曜日) 19:00 - 22:24 (※1) 世界・ふしぎ発見!チーム
第4回 1988年10月4日(火曜日) 19:00 - 22:24 (※1) 新伍のお待ちどおさまチーム
第5回 1989年3月28日(火曜日) 19:00 - 22:34 (※1) 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビチーム
第6回 1989年10月3日(火曜日) 19:00 - 21:54 (※2) 雨よりも優しく(TVドラマ)チーム
第7回 1990年4月3日テンプレート:0(火曜日) 19:00 - 21:54 (※2) アッコにおまかせ!チーム
第8回 1990年10月2日(火曜日) 19:00 - 21:54 (※2) 男について(TVドラマ)チーム
第9回 1991年3月26日(火曜日) 19:00 - 21:54 (※2) オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!(クイズ特番)チーム

(※1)20:00 - 21:54に『ザ・ロードショー→火曜ロードショー→火曜ビッグシアター』を放送した枠。夜ニュース枠(『ニュース22プライムタイム JNN』→『JNNニュースデスク'88・'89』)は30分繰り下げ
(※2)19:00 - 20:00の枠のスポンサーが火曜夜8時のドラマ枠のスポンサー、20:00 - 21:54の枠のスポンサーが21:00 - 22:54に『ギミア・ぶれいく』のスポンサー(実質、1時間繰り上がり)。『そこが知りたい』が19:00開始時代は22:00に放送(ローカル番組や他系列番組に差し替えている地域も基本的には同様の措置。過去には22:00に繰り下げ放送せず、番組自体放送休止となった回もある。この場合、19:00 - 20:00の枠のスポンサーを各局ローカルセールスとしていた)。 第5回は当初19:00 - 22:24の予定だったが、リクルート事件関連の臨時ニュースが入った為、10分繰り下げ。

エピソード

  • 優勝チームの中に1989年10月の「雨よりも優しく」と1990年10月の「男について」はいずれも浅野ゆう子が入るチームで、両作品ともに金曜ドラマ枠だった。
  • 第2回に出場した『おヨビでない奴!』は、番組CMが間に合わなかった。そこで、出演者の所ジョージ植木等が即興でCMを作った。
  • 第3回では、上記の通り『世界・ふしぎ発見!』が優勝したが、2位は『テレビ探偵団+クイズ!!ひらめきパスワード』、3位は『わいわいスポーツ塾」となり、すべて板東英二が出演する番組が上位となった(『わいわい』は司会。『テレ探』を除く他はレギュラー解答者)。そのため、3位賞を受賞した時、板東は「本当に力を入れてるのは、『世界・ふしぎ発見!』です!!」と『わいわい』を裏切ってしまう発言をした。
  • 第5回では、『~ごきげんテレビ』が決勝進出し、賭ける側の出場者は加藤茶・富田靖子が出場。相方・志村は前身番組の「8時だョ!全員集合」時代、志村本人などのドリフのメンバーと当時の番組プロデューサーが犯した「ノニ工作」が原因に挙げられた。表彰式の際、志村は優勝できないという理由で帰ってしまった。
  • 第7回では、『ギミア・ぶれいく』の番組CM(内容は『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造が番組を紹介する、オールアニメ作品)が上位入賞した。早速、『ギミア』の出演者でもある巨泉とたけしが来ると、プレゼンターの関口(彼も『ギミア』出演者)が、「藤子不二雄(正確には藤子不二雄Ⓐ)先生にあげて下さい」と言い、巨泉とたけしは大ムクレだった。
  • アニメは1番組とも参加せず、クイズの問題にも出なかった(前身の『4月・10月だョ!全員集合』内の「『ぴったし カン・カン』コーナー」では、『ろぼっ子ビートン』から問題が出されたことがあった)。しかし賞品としては、第2回の敗者復活戦の敗退チームに、『レディレディ!!』の主人公であるリン・ラッセルの人形が、また第9回の敗者復活戦の通過チームに、『少年アシベ』のキャラクターであるゴマちゃんの特大ぬいぐるみがプレゼントされたことがある。
  • 『世界まるごとHOWマッチ』のコーナーでは通常のレギュラー放送と異なり、ホールインワン賞を獲得しても世界一周旅行は獲得できず、代わりに5,000点が加算されるというものであった。ニアピン賞は2,000点加算、正解と2桁以上違う値段を書いてしまえば、ロストボールと見なされて500点減点され、その証明となる「デビル人形」が置かれた。したがって一度獲得したニアピントロフィーは没収されなかった。
    • 1990年4月放送回ではホールインワン賞で2000点、ニアピン賞で1000点、ロストボールを出してしまうと500点減点だったが、2問目でたけしのミスで3桁の解答したチームに1000点、事実上のニアピン賞のチームにさらに500点加算された。
  • 『クイズダービー』での得点の賭け方は、第7回までは、最終問題を除く問題は通常と同じ様に行い、最終問題はフリップ(上に解答者欄、下に点数欄)に解答者名と賭け点を書いて、一斉に出す方式だった(本家初期に近い)。第8回は、全て筆記&一斉公開方式、第9回は通常と同じだった。

関連項目

脚注

  1. 予選ラウンド・「100人に聞きました」「クイズダービー」、敗者復活ラウンド・「わくわく動物ランド」。
  2. 第9回のエンディングでは秋に第10回を行う予定であった。
  3. たけしは2011年秋以降は途中で乱入し出題している
  4. 同年末に死去したため、逸見にとっては、この回が最初で最後の出演であった。
  5. 後継番組の『オールスター感謝祭』でも、初期の3年間は当スタジオから放送された。現在はTBS新社屋Bスタジオ行われている。

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