大阪府立生野高等学校
テンプレート:日本の高等学校 大阪府立生野高等学校(おおさかふりつ いくのこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Ikuno High School)は、大阪府松原市新堂一丁目にある公立高等学校。
目次
概要
1920年に12番目の府立中学校として創立。中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した旧制中学校5校のひとつ。校名は創立当初の所在地である東成郡生野村(現・大阪市生野区)に由来する。1969年に現在地へ移転した。
2010年度より5年間、文部科学省から『スーパーサイエンスハイスクール(SSH)』に指定されている[1]。ほぼ全ての卒業生が大学進学を志望する。4学区制の「第三学区」(大阪市南部と中・南河内地域)に属する。
70分×5限授業を基本とし、週当たり授業時間数を府立高校で最も多く確保。早朝や放課後、土曜、夏休みなどには希望者講習を実施している。部活動や学校行事も盛んで、クラブ加入率は99.4%である(2013年5月の時点)。
松原市移転の経緯は、下記「沿革」の項で述べるが、松原市初の公立高校でもある。松原市立松原中学校に隣接している。現校地付近は5世紀前半に反正天皇が都を置いた丹比柴籬宮跡と伝承され、校舎増築の際、珍しい子持ち勾玉が出土した。
制服はコシノヒロコのデザイン。男子は白のボタンダウンシャツにネクタイ、チェックのスラックスとベスト(任意)。女子は白ブラウスにリボン、チェックのスカートとベスト。冬は男女ともブレザーを着用する。
2011年度から大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校となり、従来の普通科クラス以外に専門学科である文理学科4クラスを設置する。
建学の精神
学校の基礎を築いたのは、創立時の校長事務取扱三沢糾(旧制高津中学校長)が招聘した初代校長池田多助である。池田は「大阪に魂の道場を作る」と宣言、「精神教育・教養教育・運動教育」を3本柱に掲げた。建学の精神、校訓、校章、校歌は創立時から変わりなく受け継がれている。
建学の精神を示す「サンタマリア丸」の絵と「至誠通神」の書は体育館の舞台左右の壁にかけられ、困難に立ち向かう「開拓者精神」と「まごころ」の重要性をそれぞれ説いている。
校訓の「五綱領(剛健・質実・自重・自治・至誠)」は神戸一中、神戸二中の「四綱領(質素剛健、自重自治)」がモデル。正門脇に五綱領を刻んだ大きな石碑がある。同窓会は「至誠会」と称する。
校章は、旧制中学の「中」を表す六稜に「白梅」の図柄をあしらっている。旧制中学の校章は、六稜に校名の頭文字か設立番号を入れることが多かったが、高津が山桜を入れたのにならい、百花に先駆けて厳冬に香り高く咲く白梅を学校の花として校章に採用した。白梅は生野高校のシンボルであり、卒業生が進学先や就職先で作る親睦会は「白梅会」の名を冠することが多い。
制帽の2本の白線は「文武両道」を表す。
校歌「登高賦」は、12番目の府立中学校にちなみ、12番まで歌詞がある。メロディーは旧制一高の寮歌の一つから一部借用し、古色蒼然としており、作詞は初代校長の池田多助。現在は1番、11番、12番を抜粋して歌い、「古き浪華の夢ならぬ 吾等の歴史いざ書かむ」というフレーズで終わる。
校歌と並んで、応援歌が存在する。作詞者の奥村林蔵は平成初期ごろまで生野高校エスペラント部の顧問をしていた。現在は、この部は廃部になっている。eo:Okumura Rinzo(エスペラント版)も参照。
沿革
略歴
当初は大阪市内に建設の予定だったが、予算面から用地確保が困難となり、二転三転の末に大阪府東成郡生野村大字林寺(現・大阪市生野区生野東4丁目、大阪府営南生野住宅付近)に校地を定めた。
学校周辺は開校当初こそ校歌にも唄われたような「生駒、金剛、遥(はる)に見」える田園風景だったが、1925年に大阪市東成区(当時)に編入されると瞬く間に中小企業の密集地帯となり、1943年の生野区新設の頃には人口が20万人を超えていた。
喧騒音がひどくなり、プールに不審者が侵入するなどの事件も起きたことから1965年、府教委は校舎新築を兼ねた郊外移転の検討を開始し、羽曳野市などの近鉄沿線で校地を探し始める。翌1966年には松原市議会が「府立高校誘致促進特別委員会」を設置し、誘致へ動き出した。当時、松原市内に公立の高校が存在せず、一方で(当時の通学区)第四学区の高校進学率自体が他学区に比べ6ポイントほど低かった(府内平均は35%)ため、「松原市内の中学生の進路保障」を掲げて市民が熱心に運動を展開。生野高校OBで当時大阪府議会議員の中山太郎らも同窓会を説得し、“生野の名前を残す”条件で移転が決まった。
年表
- 1920年 - 大阪府立第十二中学校として大阪府立高津中学校(現大阪府立高津高等学校)内で開校。
- 1921年 - 大阪府立生野中学校と改称、東成郡生野村大字林寺に校舎が完成。
- 1948年 - 学制改革に伴い大阪府立生野高等学校となり、大阪府立勝山高等学校(大阪府立生野高等女学校)と職員・生徒の交流を行い男女共学を実施
- 1956年 - 勝山高校との間で、部活動の定期戦が始まる
- 1966年 - 学校移転地として大阪府松原市新堂町に校地を買収
- 1969年 - 新築第1期工事(南棟・中棟・北棟・工芸棟)竣工、旧校舎にて離校式挙行、松原新校舎に移転
- 1971年 - 松原校舎の竣工式典挙行
- 1973年 - 勝山高校との定期戦を終了(通算成績は8勝9敗1分)
- 1979年 - 南棟、中棟の増築校舎竣工
- 1980年 - 創立60周年記念式典、記念館(クラブハウス)竣工
- 2000年 - 創立80周年記念式典、時習館(同窓会館)竣工
- 2003年 - 大阪府教育委員会のエル・ハイスクールに指定(2007年3月まで)
- 2008年 - 校舎耐震補強工事に着手
- 2010年 - 創立90周年記念式典、iルーム設置
スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定(2015年度までの5年間)
- 2011年 - 進学指導に特色を置く"文理学科" 設置
至誠ホール竣工(旧工芸棟)
教育方針
- 五綱領(剛健・質実・自重・自治・至誠)に基づく「人間教育」
- 剛健とは物事に動じない強くたくましい意志を持つこと、質実とは飾らない素直な心を持つこと、自重とは行動に品位を失わないこと、自治とは自己の信念に基づいて行動し、その行動に責任を持つこと、そして、至誠とはそれらを貫いて持つべき誠実な心と態度を表す。人としての基本的な資質の育成が教育の根本。
- 学習・行事・部活動が3本柱、「文武両道」の実践
- 勉学・学校行事・部活動を高校生活の3本柱とし、豊かな感性を持った、個性輝く人間を育成する。
- 勉学は自然と社会の基本的な仕組みを理解するとともに、知性の広がりと深まりを求め、しなやかな思考力、確かな判断力、ユニークな創造カ、豊かな表現力を高める。
- 部活動は物事を成し遂げる意志の養成と深い友情を学ぶ場。
- また、学校行事は皆で協力して一つのことを成し遂げる場であり、互いの個性を知り、尊重しあうことを学ぶとともに、自己実現を図る場。
- これら高校生活の3本柱に積極的に取り組むことで、人としての感性を磨き、個性を伸ばす。
- 国際人として社会の様々な分野で活躍するリーダーとなる人材の育成、幅広い教養を身につけるとともに、自ら意欲的に学ぼうとする姿勢の育成
- 社会の様々な分野でリーダーとして活躍し、国際人として尊重され、尊敬されるにふさわしい、幅広い教養と豊かな人間性を涵養し、品格を高めることをめざす。
- 意欲的に学ぶ姿勢を身につけることで、生涯を通して学び続けていく基礎を得、生きていく中での大きな課題を解決できる人間へと成長する。
- そのほか、きめ細やかな生活指導(ルールや時間を守らせる▽制服を正しく着る▽染色・脱色・パーマの禁止▽ピアスなどの装飾品、化粧の禁止▽挨拶や身だし指導▽遅刻の度重なる生徒に早朝登校指導)を行っている。
学校行事
- 新入生歓迎会(4月)
- 自治会主催で、各クラブ紹介やパンフレットを通して行う。また新入生歓迎コンサートや視聴覚ライブ、中庭での寸劇などのイベントが実施される。
- 遠足(5月)
- 1年生は学年全体での野外活動が中心。2、3年生になると、クラス委員や学年の委員が中心となり独自の計画を立てる。
- 卒業生を囲む会(5月)
- 教育実習期間には、実習生や卒業生を多数招き、希望分野別に大学の話など体験談を聞く。
- 体育祭(5月)
- クラス毎ではなく、全学年を4団に分け、団対抗で競技が行われる。学年ごとにレクリエーションもあり、応援団の工夫を凝らした応援合戦も見物。
- 1日総合大学(2年次、7月)
- 芸術鑑賞(7月)
- 古典芸能、演劇、クラシック音楽など芸術作品を鑑賞する。
- 文化祭(9月)
- 1年間でクラスで取り組む最大の行事。夏休みから練習や準備を行う。実行委員が組織され生徒自身が創造する行事。2008年には来場者が2700人を超えた。
- 修学旅行(宿泊校外学習)(2年次、10月)
- 行き先の決定から内容にわたり、生徒の手によって、1年生の段階から調査、企画、プレゼンテーション、全員による投票、決定後さらに詳しい企画へと進められる。(しかし、これらのことが行われず教員のみで決めることがある。例 63期生の修学旅行が台湾に決定された。また、64期生の修学旅行は創立90周年記念式典のため12月に沖縄・宮古島に決定された。)
- 合唱コンクール(1年次は11月、2年次は2月)
- 松原市文化会館を会場にして、クラス対抗の合唱コンクールを行う。2年生は自由曲をクラスで作詞作曲する。30年以上も続く伝統の行事。
- 耐寒登山(1年次、1月)
- 例年大和葛城山に登る。
クラブ活動
- サッカー部は1984年、大阪府代表としてインターハイに出場した。戦前にも全国中等学校蹴球選手権大会(全国高等学校サッカー選手権大会の前身)に出たことがある。
- 硬式野球部は、夏の甲子園大阪大会で戦前に4回、ベスト4となった。戦後は、1989年のベスト8が最高成績。準々決勝で元木大介らがいた上宮に敗れた。1985年の試合では、大阪府立成城工業高等学校(現「大阪府立成城高等学校」)に完敗、(後に大リーグで活躍する)野茂英雄に完全試合を達成された。ここ数年は、卒業生の大学生が監督・コーチを務めるのが慣習となっている。
- 陸上部は駅伝が男女とも近畿大会の常連で、全国大会に出場する年もある。個人種目もハンマー投げ、やり投げなどで全国レベルの大会に出場者を出場させている。
- 水泳部は飛込男子で全国優勝があり、近年も背泳などで全国大会に出場している。
- 2006年、2007年に将棋の高校女子チャンピオンを輩出した。
- 書道部は2008年には近畿大会、2009年には近畿大会、全国大会に出場している。
著名な卒業生
政官界
- 福家俊一(中7回) - 元衆議院議員・運輸政務次官
- 中山太郎(中18回) - 前衆議院議員、元参議院議員、外務大臣・総理府総務長官歴任
- 舟橋信(高16期)- 元警察庁技術審議官、未来工学研究所参与、サイバー犯罪対策の専門家
- 林英夫(高20期) - 神戸市議会議員、元サンテレビ報道部長・ニュースキャスター
経済界
- 柴谷貞雄(中2回) - 元阪急電鉄社長・日本民営鉄道協会会長・プロ野球阪急ブレーブスオーナー
- 朝田静夫 (中4回) - 元日本航空社長・日本航空協会会長・運輸事務次官、日本棋院第10代総裁
- 米沢義信(中18回) - 王子製紙相談役、旧本州製紙社長
- 五十嵐力(中20回) - 元栗本鉄工所社長
- 吉村精仁(中20回) - 丸一鋼管会長、元社長
- 福本善一(高2期) - 元オリエンタル建設社長
- 中邨秀雄(高3期) - 元吉本興業社長・会長・名誉会長
- 寺崎正俊(高13期) - 川崎造船会長、元川崎重工業副社長
- 布瀬川集(高17期) - 三井共同建設コンサルタント副社長、元三井不動産取締役・三井ホーム専務
- 美本龍彦(高17期) - 元椿本チエイン社長
- 小宮一慶(高28期) - 経営コンサルタント、明治大学特任教授
学界
- 小幡弥太郎(中1回) - 元北海道大学教授・大妻女子大学学長、食品学、日本農学賞受賞
- 渡瀬譲(中1回) - 元大阪大学教授・大阪市立大学学長、宇宙線研究の草分け
- 野間光辰(中4回) - 京都大学名誉教授、井原西鶴研究の第一人者、読売文学賞受賞
- 正野重方(中4回) - 元東京大学教授、日本人初のアメリカ気象学会名誉会員、日本学士院賞受賞
- 伊地智善継(中12回) - 元大阪外国語大学学長、中国語学、中国教育省・中国語文化友誼賞受賞
- 片山貞雄(中24回) - 滋賀大学名誉教授、金融論
- 大黒トシ子(高4期、交流転入) - 元梅花女子大学学長・山陽学園大学学長、生物学
- 宮本欽生(高15期) - 大阪大学教授、最先端のナノテク研究
- 三宮真智子(高24期) - 鳴門教育大学教授、幼児教育の教材開発
- 西渕光昭(高24期) - 京都大学教授、東南アジアの感染症研究
- 村山長(高31期) - 広島大学教授、医工学,生産システム学
- 大木谷耕司(高31期) - シェフィールド大学(イギリス)教授、流体力学
- 松本和彦(高35期) - 大阪大学教授、憲法学
- 屋敷二郎(高40期) - 一橋大学教授、西洋法制史
- 高岸輝(高42期) - 東京工業大学准教授、日本美術史、国華賞受賞
- 家本修 - 大阪経済大学教授、教育工学
医学界
- 伊藤昭和(中21回) - 大阪警察病院第4代院長、消化器内科
- 森川昭彦(中21回) - 元銀座美容外科院長、美容整形のパイオニア
- 切池信夫(高17期) - 大阪市立大学教授、精神科、厚生労働省・摂食障害診療ガイドライン作成
法曹
- 赤穂三郎(中2回) - 元横浜地方裁判所横須賀支部長・大阪地方裁判所判事
- 西尾善吉郎 (中13回) - 元福岡地方検察庁検事正・東京地方検察庁検事
- 田中征史(高12期) - 弁護士、元日弁連理事・和歌山弁護士会会長
文化人
- 岡田誠三(中8回) - 作家、「ニューギニア山岳戦」で直木賞受賞
- 吉岡たすく(中9回) - 児童文化研究家、テレビ・ラジオで子育て相談、放送文化基金賞受賞
- 松岡阜(中18回) - 彫刻家、阪神甲子園球場ベーブ・ルース記念碑レリーフ制作、行動美術賞受賞
- 中野武彦(中20回) - 作家、元電通社員、作家畔柳二美の伴侶
- サトウサンペイ(中23回) - 漫画家、朝日新聞「フジ三太郎」連載、文藝春秋漫画賞受賞
- 小河勝(高15期) - 教育者、大阪府教育委員、陰山英男の盟友
- 成瀬政博(高17期) - イラストレーター、「週刊新潮」表紙絵担当、画家横尾忠則の弟
- 岸純信 (高34期) - オペラ研究家 新国立劇場次期オペラ芸術監督選考委員
- 富山昌克 (高35期) - 園芸研究家、NHK「趣味の園芸」出演
- 田中健一(高41期) - クイズ作家、日本テレビ「第16回アメリカ横断ウルトラクイズ」優勝
- 定金伸治(高42期) - 作家、「ジハード」で第1回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞
- 竹村健一(旧制中学24回生) - 評論家。在籍したのは1年生のみ。兵庫県立生野中学校へ転校した。
- マツセダイチ(高56期) - 漫画家。ゲッサン連載中。
メディア
- 尾西清重(中24回、転出) - 元NHK放送総局長・NHK出版社長、「シルクロード」「新日本紀行」制作
- 広河隆一(高14期) - ジャーナリスト、「デイズ・ジャパン」発行人、土門拳賞受賞
- 寺内壮(高31期) - 日本テレビプロデューサー、元ニッポン放送「オールナイトニッポン」DJ
- 豊島美雪(高31期) - ラジオパーソナリティ、毎日放送ラジオ「朝いちばん!豊島美雪です」
- 榎原美樹(高34期) - NHK記者・バンコク特派員、元「NHKニュース10」キャスター
- 比留木剛史(高40期) - NHKアナウンサー
- 石井浩二 - フジテレビプロデューサー
芸能
- 吉田留三郎(中1回) - 上方芸能評論家、上方お笑い大賞功労賞受賞
- 吉永孝雄(中4回) - 文楽研究家、元羽衣学園短期大学学長
- 守田比呂也(中18回) - 俳優、夏木プロ所属
- 松尾昭典(中22回) - 映画監督、石原裕次郎主演「夜霧の慕情」撮影
- 柴田美保子(高19期) - 女優、NHK「チコちゃん日記」主演
- 桂文華(高35期) - 落語家、吉本興業所属、なにわ芸術祭新人賞受賞
- 米倉紀之子(高38期) - 女優・声優、劇団昴所属、元岡山放送アナウンサー
- 東佳樹(高46期) - ドラマー、パーカッショニスト、 シエナウインドオーケストラ打楽器奏者
- スミノカズキ(高56期) - ミュージシャン、OCTAVIO
スポーツ
- 奥井成一(中21回) - 阪神タイガース内野手から球団幹部歴任、ベースボール・マガジン社顧問
- 井村雅代(高21期) - シンクロ指導者、元五輪日本代表ヘッドコーチ、北京五輪では中国代表ヘッドコーチ、元大阪府教育委員
- 宮本恒靖(高47期) - 元サッカー日本代表主将、ガンバ大阪→ザルツブルク→ヴィッセル神戸
話題
- 学区改編に合わせ「生野高校 見に来て! キャンペーン」を展開、中学生対象の学校見学会や夏休み部活動体験、塾対象の説明会を行っている。
- 学校見学会のプログラムに食堂体験が組み込まれている。
- 2006年6月、サッカーワールドカップ日本代表主将の宮本恒靖選手応援イベントと称し、午前3時から対ブラジル戦のパブリックビューイングを実施。欧州移籍直前の同12月には同選手の講演会を開催した。