ヴィッセル神戸

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テンプレート:告知 テンプレート:サッカークラブ テンプレート:Infobox ヴィッセル神戸(ヴィッセルこうべ、Vissel Kobe)は、日本兵庫県神戸市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部1987年に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身となり[1]1997年にJリーグへ加盟した[1]。ホームタウンは兵庫県神戸市である[1]

ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸[1]、練習場はいぶきの森球技場である[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。

チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語[1]。「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ[1]。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームである事の誓いもこめている[1]

マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」[1]。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。

運営会社は株式会社クリムゾンフットボールクラブ(クリムゾンFC)[1] である。なお、クリムゾンFCは合同会社クリムゾングループ楽天代表取締役三木谷浩史の個人資産管理会社)の全額出資である[2]。楽天はユニフォームスポンサーとしてスポンサー料を払っているが、クリムゾンFCへの出資は無い[2]。なお、株式会社楽天野球団(プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスを運営)は楽天が100%出資[2] しており、クリムゾンFCとはこの点が異なる。

歴史

神戸のJクラブ誘致

テンプレート:Main 1992年、神戸市は、日本サッカーの発祥地でもある神戸にプロサッカーの文化を根付かせ、神戸にFIFAワールドカップ開催地を招聘するために、Jリーグのクラブを誘致することを発表したが、三菱自工(創設当初は神戸市が本拠だった)、全日空ヤンマー(練習場が尼崎市にある)と交渉するも、何れも条件面などで折り合いが付かず神戸への誘致を断念した。

1993年12月「行政は行政で任せるとして、自分たちの手で何か出来ないか」ということで、「オーレ!神戸(神戸にプロサッカーチームを作る市民の会)」が市民団体として発足[3]。同時期に岡山県倉敷市を本拠地とする川崎製鉄サッカー部の誘致活動を実施した。一方、岡山県および倉敷市[4] においてもチームの慰留活動が行われたが、神戸市に本社をもつ川崎製鉄の意向もあって1994年3月に1995年からの神戸市へのホームタウン移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパーダイエーがメインスポンサーとなり「株式会社神戸オレンジサッカークラブ」を設立[1][3]。1994年9月、クラブ名称を「ヴィッセル神戸」と決定した[3]

1995年 - 2003年

1995年1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートした[1] が、練習初日であった1月17日阪神・淡路大震災が発生し、選手らは前身となった川崎製鉄サッカー部の本拠地であった岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った[3](2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。

神戸オレンジサッカークラブの筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社名を株式会社ヴィッセル神戸に改称。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。

ジャパンフットボールリーグ(JFL)は6位の成績。Jサテライトリーグ兵庫県でホームゲームをせず、岡山県で試合を行ったテンプレート:要出典範囲)。

1996年、元デンマーク代表ミカエル・ラウドルップを獲得。JFLで準優勝し、1997年シーズンからJリーグへ加盟した[1]

1997年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯)を受賞した。なお、1998年に神戸弘陵高等学校3年藤原務を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れたが、出場機会は無かった。

テンプレート:要出典範囲1998年シーズン終了後には伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。テンプレート:要出典範囲

テンプレート:要出典範囲2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所民事再生法の適用を申請した[5][6]テンプレート:要出典範囲

2004年 - 2005年

2004年

1月14日、兵庫県出身の楽天の代表取締役である三木谷浩史が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年1月5日設立)が2月1日付でヴィッセルの営業権をテンプレート:要出典範囲譲受けた[5][6]。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行う事になった。テンプレート:要出典範囲

イワン・ハシェックが監督に就任。2002 FIFAワールドカップトルコ代表FWイルハン・マンスズを獲得したが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vのパトリック・エムボマ鹿島アントラーズから平瀬智行をそれぞれ完全移籍で獲得した。

一方で監督は2004年から1年半の間にハシェック、加藤寛松永英機エメルソン・レオンパベル・ジェハークと5人が務めた。

2005年

開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任し、8月にFWイヴォ、DFマルティンを獲得。2004年加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった(2004年から所属のDFホージェル2005年6月加入のMFディエゴ・ソウザは退団)。第7節に最下位に転落して以降、年間通して低迷し11月20日大宮戦に敗れ、J2に降格した。

2006年(J2)

チームスローガン:Kobe Forever Forward

初代監督のスチュワート・バクスターが9年ぶりに監督に就任。

トップチームにおいてサテライトチームを「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、神戸での出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取(現:ガイナーレ鳥取)と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮がU-21監督に就任。

4月10日、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役会長に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長に就任。5月、読売サッカークラブ浦和日本サッカー協会などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。

リーグ戦は、横浜FCと自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。12月9日福岡との入れ替え戦を制し、J1昇格を決めた。

2007年 - 2012年(J1)

2007年
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever

横浜FMから榎本達也C大阪から大久保嘉人を完全移籍で、山形からレアンドロ、元全北現代ボッティを期限付き移籍で獲得した。また、育成部長に滝川第二高校サッカー部監督・黒田和生が就任。シーズン途中に三浦が退団した一方、浦和からMF酒井友之新潟からMFディビッドソン純マーカス、福岡からレンタルで古賀誠史らを獲得。第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。

2008年
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever

韓国代表主将のMF金南一大分から元日本代表FW松橋章太横浜FMからMF吉田孝行FC東京からMF鈴木規郎甲府からFW須藤大輔などを獲得。一方で近藤祐介が退団した。

大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯は4回戦で松本山雅FCにJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8-0)で勝利したが、5回戦で鳥栖に敗退した。

共同通信によると11月時点で松田浩に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された[7]。また、栗原圭介酒井友之らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。

2009年
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever

監督にブラジル・フラメンゴからカイオ・ジュニオールが就任。FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルクへ、FWレアンドロがG大阪へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ、MFアラン・バイーア、川崎から我那覇和樹、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから元日本代表DF宮本恒靖を獲得した。

リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗した。その後も下位に沈んだ。6月、FW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕がチーム統括本部長と兼任で就任した。8月、大宮や札幌の元監督の三浦俊也が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。

2010年
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever

社長職が安達から叶屋宏一へ交代。三浦が監督を続投。金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津からJ2で23得点あげた都倉賢、大分からMFエジミウソンを獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介、柏からMFポポを獲得した。開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。

W杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミンと7月に契約した。一方でリーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦が解任され、和田が監督に就任。なお、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイントが149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。

2011年
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever

和田が監督を続投。小林久晃冨田大介甲府へ、エジミウソン熊本へ、榎本達也徳島へ、高橋祐太郎C大阪へ、我那覇和樹JFLFC琉球へ完全移籍、坪内秀介大宮)、荻晃太(甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。

補強として、C大阪からDF羽田憲司UAEリーグアル・ワスルからMFホジェリーニョが完全移籍で加入、DF柳川雅樹、MF馬場賢治がレンタル移籍から復帰した。

序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF三原雅俊の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた[8] が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」[8] が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、ドイツ2部コットブスを退団しシーズン途中に加入した相馬崇人らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、今季目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした[8]。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。

2012年
チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever

ボッティフィゲイレンセFCへ、ホジェリーニョセアラーSCへ、ポポ浦和へ、石櫃洋祐名古屋へ、松岡亮輔磐田へに移籍した。また、草津にレンタル移籍した柳川雅樹栃木SCに、三島康平水戸に、馬場賢治湘南に、楠瀬章仁松本に完全移籍。有田光希愛媛に、紀氏隆秀鳥取に、昨シーズン2種登録だった廣田隆治がプロ契約後、岐阜にレンタル移籍。また、宮本恒靖が引退した。

一方、G大阪から橋本英郎高木和道鹿島から田代有三野沢拓也の計4人の元日本代表選手を獲得。また、山形からGK植草裕樹ハイドゥク・スプリトを退団していた日本代表DF伊野波雅彦を獲得、またイ・グァンソン奥井諒の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元FCバルセロナ副会長のマルク・イングラが取締役に就任。また、5月にはタイ・プレミアリーグチョンブリーFCと業務提携を結んだ。

リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯込みで3勝7敗)となった、4月30日に和田昌裕を監督から解任。ヘッドコーチの安達亮が暫定監督に就き[9]。5月19日にG大阪元監督の西野朗が就任した。2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯のSAGAWA SHIGA FC戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。

11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した[10][11] が、第34節サンフレッチェ広島戦に敗北して16位となり、J2降格が決定した。

2013年(J2)

チームスローガン:トモニイコウ。 We walk together forever

安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之が就任し、武田治郎GKコーチの後任にはシジマールが就任した。大久保嘉人川崎へ、野沢拓也鹿島へ、伊野波雅彦磐田へ、近藤岳登水戸へ、高木和道大分へそれぞれ移籍。フェルナンドアンデルソンペ・チョンソクが退団し、朴康造羽田憲司が現役を引退した。また嘉味田隼廣田隆治鳥取へ期限付き移籍した。

一方で、浦和から2011年まで在籍していたFWポポを、清水からGK山本海人を、蔚山現代FCからMFエステバンをそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎から杉浦恭平を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希河本裕之大屋翼紀氏隆秀がチームに復帰し、ユースから松村亮前田凌佑和田倫季が昇格した。2月にブラジル・パルメイラスからFWマジーニョが期限付きで加入した。

開幕から3連勝。第4節京都戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・鳥取戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す[12]と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた[13]。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。

2014年(J1)

チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream

安達体制3年目。2012年途中から就任したブローロフィジカルコーチが名古屋へ移籍し、2007年まで新潟でフィジカルコーチを務めたフラビオがフィジカルコーチに就任した。16得点を挙げ、昇格に貢献したFWポポ磐田へ完全移籍、9得点を挙げたFWマジーニョが期限付き元のパルメイラスへ復帰。有田光希三原雅俊がそれぞれ京都長崎へ期限付き移籍。その他DFイ・グァンソン福岡へ、C大阪から期限付きのDF金聖基鳥取に期限付きしていた廣田隆治、戦力外通告を受けた紀氏隆秀都倉賢林佳祐がチームを離れた。またMFエステバンは選手登録を抹消された。

前年J1で16得点をあげたFWマルキーニョス横浜Mから、Kリーグで17得点をあげたFWペドロ・ジュニオール済州ユナイテッドFCから獲得。その他DF増川隆洋高橋峻希、MFシンプリシオチョン・ウヨンが加入。川崎から期限付きで加入していたMF杉浦恭平は完全移籍で獲得。ユースからGK吉丸絢梓が昇格し、FW金容輔が興國高等学校より入団した。天皇杯は2回戦(初戦)で関西学院大学に敗れた。

成績

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タイトル・表彰

クラブ

個人別

スタジアム・練習場

ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸であるが[1]神戸総合運動公園ユニバー記念競技場でも不定期にホームゲームを開催している。また、1995年および1996年は準本拠地と位置づけて岡山県総合グラウンド陸上競技場(現:kankoスタジアム)、岡山県津山陸上競技場福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場で、2006年は兵庫県立三木総合防災公園陸上競技場で公式戦を開催した。

練習場は神戸市西区井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月にビオフェルミン製薬が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し)[14] したため、2005年2月より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称はそのまま)に移転した。

年度別・競技場別の試合数
出典元:[15]
※参考 リーグ戦ホームゲーム数
初代JFL
1995-1996年 15試合
J1(1997-98年のJリーグ含む)
1997年 16試合
1998年・2005年・2007-2012年 17試合
1999-2004年 15試合
J2
2006年 24試合
2013年 21試合
※下表の神戸中央→神戸ウは命名権締結によるスタジアム名変更を含む(詳細備考参照。試合数の「-」は工事による閉鎖中)
※ナ杯=Jリーグナビスコカップ
年度 リーグ戦 ナ杯 備考
神戸中央
→神戸ウ
神戸ユ その他
1995年 0 10 岡山陸2
福山2
姫路1
非開催
1996年 0 12 岡山陸1
津山1
姫路1
不参加 Jリーグ昇格
神戸中央改修工事開始
1997年 - 16   神戸ユ3
1998年 - 18 神戸ユ3 神戸ユでのリーグ戦はJ1参入決定戦1含む
1999年 - 15   神戸ユ1  
2000年 - 16   神戸ユ1
2001年 1 14   神戸ユ1 神戸ウ完成。リーグの年間最終戦が杮落し
2002年 0 15   神戸ウ1
神戸ユ2
神戸ウはナ杯のみ使用
2003年 13 2   神戸ウ2
神戸ユ2
この年より神戸ウを正式な本拠地に移転
2004年 11 5 岡山陸1 神戸ウ3
2005年 10 6 岡山陸1 神戸ウ3 J2降格
2006年 22 2 三木陸1 不参加 神戸ウでのリーグ戦はJ1・J2入れ替え戦1含む
J1昇格(入れ替え戦勝利)
2007年 17 3   ホムスタ3 神戸ウ=命名権採用により「ホムスタ」へ変更
2008年 16 2   ホムスタ3
2009年 17 1   ホムスタ3
2010年 17 1   ホームズ3 神戸ウ(ホムスタ)=命名権更新に伴い呼称を「ホームズ」へ変更
2011年 16 1   ホームズ1
2012年 17 1   ホームズ3 J2降格
2013年 20 2   不参加 神戸ウ=命名権スポンサー変更に伴い「ノエスタ」へ変更
J1昇格(J2・2位による)

チケットの価格設定

ヴィッセル神戸は2009年シーズンから対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入している。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通り。

年度 所属 A価格 B価格
2009 J1 浦和、FC東京、横浜FM、G大阪 山形、鹿島、大宮、千葉、柏、川崎、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、広島、大分
2010 鹿島、浦和、G大阪、広島 仙台、山形、大宮、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、C大阪
2011 浦和、G大阪、C大阪 仙台、山形、鹿島、大宮、柏、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、磐田、名古屋、広島、福岡
2012 浦和、名古屋、G大阪、広島 札幌、仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、新潟、清水、磐田、C大阪、鳥栖
2013 J2 設定無し
2014 J1 浦和、G大阪、C大阪、広島 仙台、浦和、柏、FC東京、新潟、徳島、鳥栖(未定:鹿島、大宮、川崎、横浜FM、清水、名古屋)

下部組織・育成

前身の川鉄水島時代には、故障者や引退者を受け入れて公式試合参加の機会を増やし復帰を支援するOB有志による実質上の下位クラブ「リバー・フリー・キッカーズ」や、川鉄子会社運営によるジュニアチームの「川鉄サッカースクール」が存在したが、これらのクラブは川崎製鉄の直下運営ではなかったため、ヴィッセル発足時の神戸市と岡山県(岡山市および倉敷市)との交渉の末に岡山側へ残留する事となった。

そのため、ヴィッセル創設時に、神戸フットボールクラブからユース・ジュニアユースチームを移管して、下部組織が発足した経緯を有する[16]

2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した[17]

2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立[18]

2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生がユース監督に就任した[19][20]

2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された[21]

出身選手

テンプレート:Main

主な獲得タイトル

ユース

2回 : 1999年、2013年
1回 : 2013年
3回 : 2006年、2009年、2011年

ジュニアユース

地域貢献活動

テンプレート:複数の問題

ユニフォーム

テンプレート:ユニフォームの色2

チームカラー

チームカラーの変遷

  • 白、黒、オレンジ (-1995.5)
  • 白、黒、ヴィッセルブルー (1995.6-2004)
    • 白…フェアプレー、黒…力強さと闘争心、ヴィッセルブルー…神戸の海と希望
    • 白と黒の縦縞(ヴィッセルストライプ)は協調を表し、黒が全ての光(市民の声、支援)を吸収し、白がそれを発していくことを意味。
  • 2002年から2004年までアウェー用ユニフォームに採用されたシルバーは「パールのごときチームの珠玉の輝き」を表していた。
    • 2004年3月、ヴィッセルの経営権を2月に取得(経緯は上述)した株式会社クリムゾンフットボールクラブは、「停滞してきた経営イメージの払拭」や「力強いパッション(情熱)の表現」などを理由として、2005年からチームカラーを「クリムゾンレッド(臙脂)」を基調としたものに変更すると発表した[23]テンプレート:要出典範囲[24]。2004年12月、新しいロゴ、エンブレムおよび2005年シーズンのユニフォームなどが発表された[25]

ユニフォームのあれこれ

  • 1997年から1998年の2シーズン、袖スポンサーの下部にJリーグから特例として認められたメッセージワッペン、「明日へ!!神戸」を付けていた。同じ神戸を本拠地とするプロ野球オリックス・ブルーウェーブは「がんばろうKOBE」と付けていた。
  • 1995年第4回JFLリーグ戦前期(5月-7月末)は袖スポンサーがなかった。さらに、1999年から2003年3月まで胸スポンサーがなく、チームロゴを付けていた。
  • 2005年は阪神・淡路大震災から10年の節目を迎えるにあたり、神戸市主催の「震災10年 神戸からの発信」事業に協賛し、オリジナルロゴを右袖のJリーグマークの下部に付けていた。
  • 2005年から、背番号の下部に選手名が入るようになった。
  • 2008年から、右袖のJリーグマークの下部に地域名「KOBE」が入るようになった。
  • 2010年から、GKユニフォームのみ3rdユニフォーム(シャツ:緑/パンツ:緑/ストッキング:緑)が使用。
  • 2007年から2009年まで番号の縁取り、2008年から2009年までユニフォームのパイピングに「ゴールド」が使用。
  • 2010年からユニフォームのパイピングに「ベージュ」が使用。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
楽天 (○にR) 2004年〜 2012年までは「楽天」、2013年は「Rakuten」表記
背中 川崎重工業 Kawasaki 2004年〜 2003年は胸
アンファー スカルプD 2012年〜 2009年〜2011年まではパンツ
パンツ ズーティー es 2013年〜

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1995 伊藤ハム asics/ノーリツ -/ARKA - asics
1996 ノーリツ ARKA
1997 KIRIN adidas
1998
1999 - asics
2000 KOBE
2001 KOBE/
HAA KOBE
2002 HAA KOBE
2003 KAWASAKI
2004 楽天 KAWASAKI FULLCAST 大和証券SMBC
2005 SPORTS
DEPO
伊藤ハム
2006
2007 KitaC
2008
2009 スカルプD
2010
2011
2012 スカルプD スマ婚
2013 Rakuten es
2014 ○R

スポンサー

テンプレート:Main2

脚注

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「jleague」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 2.0 2.1 2.2 株式会社楽天 第16期有価証券報告書(p.50、p.181-p.183) 2013年7月5日閲覧
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 テンプレート:Cite web
  4. ヴィッセル結成後、岡山県に残った川崎製鉄水島サッカー部OBチーム「リバー・フリー・キッカーズ」を前身として2003年にファジアーノ岡山を結成。詳細は川崎製鉄水島サッカー部の項目を参照すること。
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite pressrelease
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite press release
  10. テンプレート:Cite press release
  11. サッカーJ1神戸、西野監督解任DAILYSPORTONLINE 2012年11月8日配信記事(配信日に閲覧))
  12. テンプレート:Cite news
  13. テンプレート:Cite news
  14. テンプレート:Cite pressrelease
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関連項目

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外部リンク

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