立山

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立山(たてやま)は、飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰に位置するで、雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称である。雄山のみを指して立山ということもあるが、厳密には立山連峰に立山と称する単独峰は存在しない。立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つである[1]剱岳とならび、日本では数少ない、氷河の現存する山である[2]

概要

ファイル:Turugitateyama.JPG
剱岳、立山三山

古くから日本の山岳信仰の山として、日本三霊山の一つである。日本三名山日本百名山[3]新日本百名山[4]及び花の百名山[5]に選定されている。 雄山の山頂には、雄山神社本宮がある。峰本社神殿右端の前には、測量の基準である大きな黒御影石の標石(標高点3,003 m)があり[6]、その約70 m南南西に一等三角点(標高2,991.59 m、点名は立山)の標石が設置されている[7][8]

雄山・浄土山別山を「立山三山」と呼び、その周辺の山々と合わせて狭義の「立山連峰」ということがある。広義で「立山連峰」という場合は僧ヶ岳から黒部五郎岳の辺りまでを呼ぶこともある。古くは、三俣蓮華岳から猫又山に至るまでを立山七十二峰[9]と呼んだという。これとは別に立山火山がある。室堂山[10]、浄土山、国見岳辺りを最高地点[11]としている。かつて山体は立山カルデラにあり、元の立山火山の山頂部は侵食で喪失している。弥陀ヶ原五色ヶ原はこの火山の火砕流堆積物や溶岩の台地である。ミクリガ池、ミドリガ池は火口湖であり、現在の立山火山の主な火山活動は地獄谷周辺の火山性ガスの噴出と温泉噴出である。

「立山」は単なる地理的な名称ではなく、室堂・地獄谷・弥陀ヶ原や立山カルデラという立山一体を含んだ地理的な広がりと、立山信仰や遥拝登山など精神的な広がりを含んだ複合的な意味を持っている。

山名の由来

立山についての記述のある最古の文献である万葉集には「多知夜麻」と記され、古くは「たちやま」と呼ばれていたようである[12]。立山が刃を上にして太刀を横に置いた形だとも聞く。また、たちやまは「太刀山」であるから、本来は剱岳のことであるが、なぜ今の場所を立山と言うようになったのかはわからない、という説もある。また、日本を作り終えた神が天界に戻る際に踏み台代わりに足をかけて立った山だから「たちやま」という説もある。

歴史

山岳信仰

ファイル:Oyama Peak.jpg
雄山神社と登山者
ファイル:Tateyama-jigokudani.jpg
地獄谷のイオウ塔

立山は古くから霊峰とされ、古代には立山権現として、平安時代からは地獄極楽のある山として阿弥陀信仰と結びついてきたという変遷が見られる。大伴家持は「皇神(すめかみ)の頷(うしは)きいます 新川のその立山に〜」(国神の領有される新川のその立山に)と立山の霊性を詠んだ[24]立山修験と呼ばれる山岳信仰の場であり信仰の対象であった。なお、立山への信仰には、開山縁起に神々が種々の姿で現れ実は阿弥陀如来であったとあるように、神仏混淆がみられる。立山山麓には、芦峅寺(あしくらじ)、岩峅寺(いわくらじ)の二つの拠点寺院がある。雄山神社の主神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、本地仏は阿弥陀如来で、不動明王を本地とする手力雄命(たぢからおのみこと)を副神とする。立山本峰の雄山に峰本社があり、山麓芦峅寺の中宮(祈願殿)、岩峅寺の麓大宮(前立社壇)とともに、三者一体の形を有する。峰本社を見上げる室堂平には参籠の場として建てられた室堂が復元されている。[25]

開山縁起

鎌倉期から江戸期に成立した開山縁起によれば、701年(大宝元年)に越中国守・佐伯有若の16歳の息子である有頼が開山したとされている。随心院文書の佐伯院付属状(延喜5年、905年)に越中守従五位下佐伯宿祢有若の署名があった。 有頼が居城の新川郡字布施の院 布施城近くの片貝川下流(黒部市犬山付近だという)で鷹狩をしているときに勝手に持ち出した父の白鷹が逃げてしまい、それを追って上市、芦峅寺と道をたどり立山山麓に至るとが現れた。有頼が矢で熊を射ると、熊は血を流しながら逃げていった。血をたどって着いた室堂の岩屋(立山玉殿)[26]で有頼が見たものは、矢を射立てられた阿弥陀如来であった。この出来事により、有頼は発心して立山寺(現在の雄山神社前立社壇)を建立し、後に慈興上人となったと伝えられている。 縁起については時代によって変化があり、開山者は初期には現朝日町山崎の狩人、次に有若、最後に子の有頼となっていった。 現在、立山の山荘経営者や山麓の芦峅寺地区の住民の名字は「佐伯」「志鷹」(したか)の2つが大半を占めるが、これは開山伝説とも関係があると考えられる。

信仰登山

立山は実際に山頂エリアに地獄(地獄は古い日本語で温泉の意味)がある山としても知られていた。 平安時代、地獄極楽思想が行き渡ったころから、日本中の死者は立山の地獄に落ちるとされた。立山を極楽、地獄谷を地獄、剱岳を針の山として見たてたのである。そして、立山登山によって死後の世界を疑似体験することができて、極楽へ行けるとして、修験者以外でも登拝する人が多くなった。 近世以降、立山曼荼羅と呼ばれる山中の地獄極楽図、巡礼図が盛んに作られ、それを使って岩峅寺や芦峅寺の「御師」(おし)と呼ばれる衆徒により越中国内及び全国に布教され、江戸城の中にも浸透し、全国で立山に信仰登山する人が増えた(立山権現)。今はスポーツとしての「立山登山」が行われるが、本来は立山の神仏に参拝に行くのが本来の入山の目的で「立山登拝」と称した。 山麓の岩峅寺及び芦峅寺は古来、巡礼者のための登山基地として繁栄し、かつては多くの宿坊が建ち並んでいた。麓で俗世の穢れや罪を祓う神事を受けた後で入山していたのである。 また女人禁制のため登拝できない女性のために芦峅寺の布橋(ぬのばし)では実際に白い布が橋に敷かれて、布橋大灌頂法会が行われるなどしていた。

観光

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黒部平駅(1,828 メートル)から望む立山の裏側

1964年(昭和39年)6月20日に高原バス全線(美女平〜室堂)が営業を開始すると、標高2,450 mの室堂までバスで行くことができ、立山登山も非常に手軽に行えるようになった。また黒部ダム完成後、1971年(昭和46年)6月1日に立山黒部アルペンルート開通以降、多くの観光客が訪れるようになった。

平成に入り、県民の広報活動の成果で富山の食が注目され始め、食事と温泉宿泊を併せて立山観光を楽しむ人々が増加している。また、中国、台湾、韓国などのアジアからの観光客も増加している。

立山アルペンルートが春に除雪され開通すると、室堂ターミナル付近の道路は両側が10〜20 mの高さの雪の壁となり、「雪の大谷」と呼ばれている。ちょうど5月の連休と重なり特定の期間のみ、この雪の大谷の区間で車道片側が遊歩道として開放され、この景色を見るために多くの観光客が訪れる。

室堂の北側には、みくりが池の湖畔を通り地獄谷へ向かう遊歩道がある。地獄谷の北西にはほとんど草木が生えることができないエンマ山と呼ばれる硫黄を含んだ丘がある。地獄谷では、噴煙火山ガス及び温泉の源泉が出ていて、有毒ガスの濃度によって、遊歩道が通行禁止となる場合がある。この源泉が周辺の宿泊施設で、温泉施設に利用されている。

自然

冬季、立山では日本海から蒸発した水蒸気が、シベリアから吹く寒風に運ばれて3,000 m級の山々にぶつかり、大量の降雪となる。世界有数の豪雪地帯であり、冬には最低気温氷点下20以下になる。

室堂周辺の主な動植物

室堂周辺から上部は、森林限界ハイマツ帯で、多くのライチョウが生息している。花の百名山に選定されていて、室堂周辺などでは雪解けと共に多くの高山植物の開花が見られる。タテヤマリンドウタテヤマウツボグサ、タテヤマアザミ、タテヤマキンバイ、タテヤマオウギなどのタテヤマの名称が付く高山植物があるが、立山の固有種というわけではない。

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ライチョウ ハイマツ タテヤマリンドウ(青色・白色) チングルマ クルマユリ

環境保護

登山者以外にも観光客が毎年大量に室堂周辺にまで登ってくるようになったため、外来植物や病原菌の侵入といった自然破壊に直面することとなった。対策として全国的にも早い段階でマイカー全面乗り入れ禁止(マイカー規制)をはじめ、草刈り十字軍などの民間ボランティアによる環境保護活動を生み出した。

登山

登山史

  • 1873年(明治6年) - 深見チエが女性として立山初登頂で、1891年にデレーケの娘ヤコバが外国人女性としての立山初登頂[14]
  • 1878年(明治11年)- バークス・アーネスト・サトウが、針ノ木峠を越え立山に登頂し、『日本旅行日記』などを出版している。
  • 1879年(明治12年) - ウィリアム・ゴーランドが立山に登頂。
  • 1893年(明治26年) - 英国人ウォルター・ウェストンが、大町市の麓から針ノ木峠とザラ峠を越えて立山温泉に入り、室堂を経由して立山町の麓への探険的登山を行った。
  • 1896年(明治29年) - 日本山岳会の第3代会長木暮理太郎が針ノ木峠を越えて立山に登頂。
  • 1914年(明治37年) - ウォルター・ウェストンが再び日本を訪問。再登頂し、その後1918年に『The Playground of the Far East(極東の遊歩場)』をロンドンで出版し、この山を世界に紹介した[14][27]
  • 1919年大正8年)7月 - 富山県立富山高等女学校と富山県女子師範学校の女生徒ら49名(女学生38名と校長含む引率者11名が、学校から3泊4日で立山に登頂。
  • 1947年(昭和22年) - 佐伯房治が地獄谷温泉に房治小屋を建設[15]
  • 1961年(昭和36年) - 佐伯利雄が立山の北側にある真砂岳山頂直下の東側で内蔵助山荘を開業[15]
  • 1967年(昭和42年) - 立山駅前の千寿ヶ原に文部省登山研修所が開設[13]
  • 1972年(昭和47年) - 山小屋であるニューサンブジ(現在の雷鳥沢ヒュッテ)が、地獄谷温泉の北東端で開業[15]
  • 1986年(昭和61年) - それまで山小屋として使用されていた室堂小屋(立山室堂山荘)が富山県指定有形文化財に指定され、翌年西側に新たな山小屋の建物が造られた[15]
  • 1989年(平成元年)10月8日 - 北の真砂岳で8人が凍死する遭難事故が発生した[6]

近代の登山

立山と弥陀ヶ原周辺は、3,000 m級の山々とはいえ古くから多くの人の参拝が可能であった。それに対して、剱岳を初めとする山々は近代になってようやく登山の対象となった。近代登山参照[28]

学校登山

江戸時代から旧越中国の多くの村では、男子は15歳又は16歳になると成人儀礼として集団で立山(雄山)も登拝する風習があり、この立山詣りで一人前と認められた[29]。明治以来、富山県内の小学校で、学校行事として立山登山が行われてきた[30]。また、県教委主催で、県下から小学6年生を募集し「12歳立山夢登山」も行われた。しかし、2003年(平成15年)7月、小学生が転落し収容先の病院で死亡が確認される事故が起こって以後、学校からの登山の計画や届出での規則が強化された。

登山ルート

黒部立山アルペンルートの交通機関を利用し、室堂を立山や剱岳などの登山口とする場合が多い[31]立山室堂山荘と一ノ越を経由して、雄山神社まで往復するルートが最もよく利用されている。冬期は交通機関が途絶えるため、一般の登山は困難となる。春に立山黒部アルペンルートが開通すると、室堂周辺などで春山スキーが行われている[6]

  • 室堂駅 - 立山室堂山荘 - 一ノ越 - 立山(雄山)
  • 室堂駅 - 立山室堂山荘 - 室堂山 - 浄土山 - 一ノ越 - 立山(雄山)
  • 室堂駅 - みくりが池温泉 - 雷鳥沢 - 剱御前小舎 - 別山 - 真砂岳 - 立山(富士ノ折立・大汝山・雄山)
  • 室堂駅 - みくりが池温泉 - 雷鳥沢 - 賽の河原 - 大走り - 真砂岳 - 立山(富士ノ折立・大汝山・雄山)
  • 室堂駅 - みくりが池温泉 - 雷鳥沢 - 一ノ越 - 立山(雄山)
  • 黒部ダム - ロッジくろよん - 黒部平 - 東一ノ越 - 一ノ越 - 立山(雄山)
  • 雷殿駅 - 東一ノ越 - 一ノ越 - 立山(雄山)、立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)の雷殿駅は、登山道の崩壊のため2010年7月現在休止状態となっている。
  • 称名滝バス停 - 称名滝 - 八郎坂 - 弥陀ヶ原 - 室堂 - 一ノ越 - 立山(雄山)、立山登山マラニック実行委員会によって、海岸から走り始め、八郎坂を通って雄山に登拝する登山マラソンも行われる。
  • 立山駅 - 材木坂 - 美女平駅バスターミナル - 弥陀ヶ原 - 室堂 - 一ノ越 - 立山(雄山)

周辺の宿泊施設

室堂周辺や立山周辺の登山道上に、ホテル山小屋などの多くの宿泊施設がある[32]。大汝山及び雄山への最寄りの山小屋は一ノ越山荘である。

名称 所在地 大汝山からの
方角と距離km
標高
m
収容
人数
備考
剱御前小屋 別山乗越、剱御前と別山との鞍部 テンプレート:Direction北 2.4 2,410 200 剱岳の展望
ロッジ立山連峰 雷鳥平 テンプレート:Direction北西 2.4 2,330 200
雷鳥沢ヒュッテ 雷鳥平 テンプレート:Direction北西 2.3 2,350 290 東隣にキャンプ場テント250張
ホテル立山 室堂バスターミナル テンプレート:Direction西 2.2 2,420 289
みくりが池温泉 みくりが池湖畔 テンプレート:Direction北西 2.2 2,410 120
雷鳥荘 リンドウ池北 テンプレート:Direction北西 2.1 2,400 350
立山室堂山荘 室堂平 テンプレート:Direction西 1.7 2,450 200 日本最古の山小屋の隣
内蔵助山荘 真砂岳山頂の東側直下 テンプレート:Direction北 1.4 2,790 120
一ノ越山荘 一ノ越、雄山と龍王山との鞍部 テンプレート:Direction南西 0.9 2,705 200 立山に最も近い山小屋

他に、天狗平や阿弥ヶ原にも宿泊施設などがある。

立山からの風景

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大日岳と室堂 大汝山と剱岳 富山平野 黒部湖後立山連峰

地理

日本の3,000 m超級の山の最北端の山で、富山県の最高峰であり、北陸4県及び環日本海地域の最高峰でもある。

御前沢氷河

雄山の東側斜面にある御前沢氷河は日本では数少ない現存する氷河(全長約700 m、面積約0.1 km2)であり、黒部川の水源の一つとなっている[2]

山崎カール

雄山の西側斜面に山崎圏谷があり、一般には山崎カールと呼ばれている。1905年明治38年)地理学者の帝国大学理科大学(現東京大学教授山崎直方博士によって日本で初めて発見された氷河地形。1945年昭和20年)薬師岳東側の圏谷群[33]と共に国の天然記念物に指定されている。命名者は、山崎の高弟である石井逸太郎[34](博士、1889年 - 1955年)で、東京帝大卒業後、旧制富山高校に赴任し(後に富山大学教授となる)、「立山連峰の氷河作用‐特に山崎圏谷に就いて」(地理評、1943年)などの論文で、天然記念物指定のきっかけを作った。

周辺の主な山

ファイル:KurobeGawaGenryubuTagged.jpg
立山周辺の山(南方上空より)

飛騨山脈(北アルプス)の北部に位置し、その主稜線の三俣蓮華岳から分岐する西側の稜線上にある。東側の親不知まで延びる主稜線の後立山連峰黒部川を挟んで対峙している。

山容 山名 標高
m
三角点等級
点名
大汝山からの
方角と距離km
備考
80px 鹿島槍ヶ岳 2,889.08 二等
「鹿島入」
テンプレート:Direction北東 12.6 日本百名山
80px 剱岳 2,999 2,997.07m
(三等「剱岳」)
テンプレート:Direction北 5.3 日本百名山
氷河が現存
80px 奥大日岳 2,611 2,605.94m
(三等「奥大日」)
テンプレート:Direction北西 4.3 日本二百名山
80px 別山 2,880 テンプレート:Direction北 2.4
80px 立山 3,015 雄山
2,991.59m
(一等「立山」)
テンプレート:Direction 0 大汝山が最高点
日本百名山
氷河が現存
80px 浄土山 2,831 テンプレート:Direction南西 1.7
80px 薬師岳 2,926.01 二等
「薬師ヶ岳」
テンプレート:Direction南西 13.7 日本百名山

周辺の主な峠

  • 室堂乗越 - 奥大日岳と剱御前との西寄りの鞍部
  • 新室堂乗越 - 奥大日岳と剱御前との東寄りの鞍部
  • 別山乗越 - 剱御前と別山との鞍部
  • 真砂乗越 - 別山と真砂岳との鞍部
  • 一ノ越 - 雄山と浄土山との鞍部
  • ザラ峠 - 獅子岳と五色ヶ原との鞍部

源流の河川

以下の主な源流の河川富山湾へ流れる。

関連するテレビ番組

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 『富山県山名録』橋本 廣、佐伯邦夫編、2001年、桂書房、ISBN 4-905-56429-8
  • 『日本アルプスの登山と探検』ウォルター・ウェストン(著)、青木枝朗(訳)、岩波文庫、1997年、ISBN 4-00-334741-2

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:日本百名山 テンプレート:日本の山一覧 (3000m峰)

テンプレート:一等三角点百名山
  1. 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 中部山岳国立公園環境省)、2010年12月16日閲覧。
  2. 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 『日本百名山』深田久弥(著)、朝日新聞社、1982年、ISBN 4-02-260871-4、pp.188-191
  4. 元の位置に戻る 『新日本百名山登山ガイド〈上〉』 岩崎元郎(著)、山と渓谷社、2006年、ISBN 4-635-53046-9、pp148-150
  5. 元の位置に戻る 『花の百名山』田中澄江(著)、文春文庫、1997年、ISBN 4-16-352790-7、P213-216。その著書で代表する花としてイワイチョウを紹介した。
  6. 以下の位置に戻る: 6.0 6.1 6.2 『改訂版 富山県の山』山と渓谷社、2010年、ISBN 978-4-635-02367-2、pp.16-19
  7. 元の位置に戻る 基準点成果等閲覧サービス、国土地理院、2010年12月16日閲覧。
  8. 元の位置に戻る 雄山は、『一等三角点百名山』(山と渓谷社、1988年、ISBN 4-635-17030-6 )に選定されている。
  9. 元の位置に戻る 廣瀬 誠元県立図書館館長によれば「立山の多くの峰々をシナ5岳の衡山七十二峰になぞらえて立山七十二峰という。」という。
  10. 元の位置に戻る 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1:室堂山
  11. 元の位置に戻る 気象庁、地質調査総合センターなどで、この三つをピークとしている。
  12. 元の位置に戻る 万葉集 巻17、4000、4024
  13. 以下の位置に戻る: 13.0 13.1 『コンサイエンス日本山名辞典』三省堂、1992年、ISBN 4-385-15403-1、P326-327
  14. 以下の位置に戻る: 14.0 14.1 14.2 『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年、ISBN 4-779-50000-1、P914-916
  15. 以下の位置に戻る: 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 15.5 『北アルプス山小屋物語』東京新聞出版局、1990年、ISBN 4-8083-0374-4、P161-178
  16. 以下の位置に戻る: 16.0 16.1 1953年(昭和28年)6月15日郵政省告示第770号「白山頂上郵便局等設置」
  17. 元の位置に戻る 1970年(昭和45年)6月4日郵政省告示第480号「郵便局改称の件」
  18. 以下の位置に戻る: 18.0 18.1 1981年(昭和56年)7月18日郵政省告示第534号「簡易郵便局を設置する件」
  19. 元の位置に戻る 1981年(昭和56年)6月17日郵政省告示第423号「郵便局を廃止する件」
  20. 元の位置に戻る 1995年(平成7年)6月27日文部省告示第100号「文化財を重要文化財に指定する件」
  21. 元の位置に戻る 2000年(平成12年)4月11日郵政省告示第239号「ふるさと八十円郵便切手及び五十円郵便切手(北陸)を発行する件」
  22. 元の位置に戻る 『切手と風景印でたどる百名山』ふくろう舎、2007年、ISBN 978-4-89806-276-0、P92
  23. 元の位置に戻る 富山新聞2010年2月7日
  24. 元の位置に戻る 万葉集 巻17 4000 立山賦一首
  25. 元の位置に戻る 本郷真紹「古代社会の形成と展開」64ページ(深井甚三・本郷真紹・久保尚文・市川文彦『富山県の歴史』山川出版社 2003年11月)など
  26. 元の位置に戻る 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1:室堂山荘の東
  27. 元の位置に戻る 『日本アルプス再訪』ウォルター・ウェストン(著)水野勉(訳)、平凡社、1996年、ISBN 4-58-276161-5
  28. 元の位置に戻る 明治40年(1907年)7月の宇治長治郎の案内による、日本陸軍陸地測量部測量官・柴崎芳太郎らの剱岳登頂。明治42年(1909年)7月の山岳会の吉田孫四郎ら4人による剣岳登頂が信仰登山や低山登山から一線を画している
  29. 元の位置に戻る 『名山の日本史』河出書房新社、2004年、ISBN 4-309-22410-5、p254
  30. 元の位置に戻る 県教委(北日本新聞朝刊、2008年(平成20年)5月31日)によれば、ここ数年では県内で立山登山を行った小中学校は60〜70校で推移しているという。なお県下の学校数は当時小学校210、中学校86であるので20パーセント強の割合というところである。小学校数は2009年(平成21年)度は203と減っている
  31. 元の位置に戻る 『ヤマケイ アルペンガイド8 剣・立山連峰』山と渓谷社、2008年、ISBN 978-4-635-01352-9
  32. 元の位置に戻る 『剱・立山 (山と高原地図 36) 』 昭文社、2010年、ISBN 978-4-398-75716-6
  33. 元の位置に戻る 1952年(昭和27年)に特別天然記念物。
  34. 元の位置に戻る 石井は1955年(昭和30年)8月66歳の時、立山剱沢で氷河地形を調査中、真砂の大滝で転落、遭難死した。付近に遭難碑がある。
  35. 元の位置に戻る NHKアーカイブス保存番組詳細 NHK、2011年2月27日閲覧。
  36. 元の位置に戻る さわやか自然百景バックナンバー NHK、2011年1月28日閲覧。
  37. 元の位置に戻る NHKアーカイブス保存番組詳細 NHK、2011年1月28日閲覧。
  38. 元の位置に戻る NHKアーカイブス保存番組詳細 NHK、2011年1月28日閲覧。
  39. 元の位置に戻る バンバンバン TBS、2011年2月27日閲覧。
  40. 元の位置に戻る ダーウィンが来た(第158回・わたしライチョウ 雪の鳥) NHK、2011年2月27日閲覧
  41. 元の位置に戻る NHKアーカイブス保存番組詳細 NHK、2011年1月28日閲覧。
  42. 元の位置に戻る 富山 美女平 NHKエコチャンネル、2011年1月28日閲覧。