立山修験

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立山修験(たてやましゅげん)とは、富山県立山を中心として行われた修験道をいう。

概要

立山修験の世界観は、今日まで伝わる立山曼荼羅に描かれた世界を見ることで、窺い知ることができる。

立山山麓には、岩峅寺や芦峅寺をはじめとした信仰登山の拠点があり、宿坊を兼ねた宗教施設としての村落があった。そこに住む人々を中心に日本全国に勧進が行われていた。

立山は女人禁制であったため、江戸時代までは、入峰を許されない女性のための布橋大灌頂という行事が芦峅寺で行われ、盛んであった。明治時代に入り行われなくなったが、2005年より地元住民らの手によって復活している。

立山の開山は、鎌倉期から江戸期にかけて成立した開山縁起によれば、奈良時代佐伯有若佐伯有頼親子によるとされる。[1]

立山信仰の背景には山上他界が存在するという信仰があり、立山の山域の各所は、開山伝説に基づき、浄土地獄にそれぞれ比定された。立山を巡拝することで死後の世界を擬似体験し、形式上「他界」に入り「死」から戻ってくるという修行を積むことができ、超常的な力(法力)を身に付けることができると考えられるようになった。

立山浄土としては、立山三山、なかでも雄山は仏そのものであり、阿弥陀如来の仏国土である極楽浄土の象徴とされた。[2]

立山地獄は、現在の地名にも残る地獄谷であり、硫黄臭ただよう場所である。その近くのみくりヶ池は、血の池として、また、剱岳は針山地獄であるとされた。

脚注

  1. 初期に有若後に子の有頼(ありより)と変化。最初期には現朝日町山崎の狩人とされる。
  2. このため雄山登山が古来重視された。また、開山伝説に登場する矢傷を負った阿弥陀如来像も信仰の対象となった。

参考文献

  • 沼賢亮「立山信仰と立山曼荼羅」(『仏教芸術』68、1968年)
  • 福江充著『立山信仰と立山曼荼羅:芦峅寺衆徒の勧進活動』(『日本宗教民俗学叢書』4)(岩田書院、1998年)ISBN 4872941063
  • 佐伯史麿著『立山修験発心門』(北日本新聞社、2005年)
  • 福江充著『立山曼荼羅:絵解きと信仰の世界』(法藏館、2005年)ISBN 483187440X
  • 福江充著『立山信仰と布橋大灌頂法会:加賀藩芦峅寺衆徒の宗教儀礼と立山曼荼羅』(桂書房、2006年)ISBN 4903351181

関連項目