NHKニュースワイド

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テンプレート:独自研究 テンプレート:基礎情報 テレビ番組NHKニュースワイド』(エヌエイチケイニュースワイド、英称: テンプレート:En )は、1980年4月7日から1988年4月2日までNHK総合テレビで放送されていた朝の報道番組

概要

それまで総合テレビは、7時台に全国ニュースを放送した後に情報番組『スタジオ102』を放送していたが、この番組はそれをひとまとめにして、NHK初の早朝ニュースショーを確立した。

72分間にわたって放送する総合編集による大型ニュース番組で、さまざまな情報や話題などを親しみやすくお茶の間に伝えるというのをコンセプトにしていた。

番組初期の試みと成果

テンプレート:出典の明記 目標としては「ニュースセンター9時」に追いつくことであって、森本自身、NHKで定められていた読みの早さである、1分間で300字を460字にしたのである。しかし、視聴者からこれについての苦情が相次いだ。また、現場(外務省大蔵省官邸)にも出かけてその感覚を感じ取った。

スポーツコーナーは3 - 4分の枠があったが、「スポーツキャスターのトークショウ」というコンセプトの下、スポーツの興味深いところを視聴者に“聞いてもらう”という方針であった。

松平は「新しいスポーツコラムを目指しました」とした上で、「次に何が起きるかその先の展開を伝えてしまう。その後でなぜそうなったかを言う。できるだけ魅力的なフレーズで短く言い切る表現を心がけていました」と、伝え方の工夫について語っている。

また、当初は記者とディレクターの対立は激しかったが、報道班主管の鹿野菊次郎らの努力で、独自の取材やキャスター陣のテンポのいい活き活きとしたニュースの伝え方、さらに記者とディレクターの融和が進み、次第にチームワークが良くなったおかげで視聴率が30%を超す番組となった。

森本はこの番組について「原稿が命の原稿派・伝統派の記者は次第に淘汰され、できる限り、映像と生の音を活かした新しい番組を創ろうという流れができた」、つまりは「すみずみまで血の通っている“番組”だと感じましたね」と振り返っている。

なお、NHKニュースワイドが始まった1980年にはミニハンディカメラとその関連機器が各地の放送局に配備され、1985年内には東京の放送センターのフィルム現像の業務が終了している。

ヘリコプターによる中継リポート

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気象情報コーナー

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放送時間

全てJST

  • 月曜 - 土曜 7:00 - 8:12 (1980年4月 - 1983年3月、72分)
  • 月曜 - 土曜 7:00 - 8:14 (1983年4月 - 1984年3月、74分)
  • 月曜 - 土曜 6:45 - 8:13 (1984年4月 - 1988年3月、88分、7:30 - 7:50はローカルニュースを放送)

なお、土曜日は7:30以降ローカル放送であった。この形式は現在まで引き継がれている。また、1984年5月に試験放送を開始した衛星第1放送(1987年7月以後は衛星第2放送)でも同時放送されたが、ローカルニュース(7:30 - 7:50。土曜日は8:13まで)は当初は関東7都県向けのものをそのまま送り、その後は週替わりで各地域基幹局製作のローカルニュースを放送していた。

出演者

期間 月 - 金曜日 土曜日 スポーツ 天気 リポーター
1980年4月 - 1980年12月 森本毅郎[1][2] 頼近美津子[3] 明石勇 山根基世 松平定知
野口博康
立子山博恒
杉林昇
福澤浩行
肥土貴美男
など。
メインキャスターが
交互に兼務
幸田儔朗 木村知義[4]
など。
1981年1月 - 1982年3月 介川裕子[5]
1982年4月 - 1982年9月 丸山朋子 桜井洋子
1982年10月 - 1983年3月 池田裕子[2]
1983年4月 - 1984年3月 草野仁 池田裕子
1984年4月 - 1985年3月 曾我健 小宮山洋子[5] スポーツ担当が
兼務
樋口淳一
1985年4月 - 1986年3月 (不在)
1986年4月 - 1988年3月 今井義典[6] 桜井洋子[7]

テーマ音楽・オープニング

備考

  • 大阪局はこの番組が放送されていた当時、平日夕方のニュース番組のタイトルに『ニュースワイド』を使用しており、大阪局を視聴できるエリアでは朝と夕方に『ニュースワイド(というタイトルがつく番組)』があるという現象が発生していた。

参考文献

  • NHKアナウンサー史編集委員会編 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1991年、345-348頁、352-353頁。 ISBN 9784062032322
  • 大下英治 『報道戦争―ニュース・キャスターたちの闘い―』新風舎、2004年、328頁-336頁。 ISBN 4-7974-9363-1
  • 嶌信彦 『ニュースキャスターたちの24時間』講談社〈講談社+α文庫〉、1999年、177-183頁。 ISBN 9784062563178

関連番組

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:前後番組
  1. 当初はアナウンス室副主管だった森本が先輩の山川静夫にキャスター就任打診をしたが、頑固に拒否され、このような形となった。
  2. 2.0 2.1 森本と池田はフリー転身後『森本ワイド モーニングEye』でもコンビで司会を務めた。森本自身は後年似たような例として、小島奈津子との2回共演がある。
  3. フジテレビへの移籍のため降板。
  4. 日本海中部地震中継時にスタジオの森本が涙を流した。
  5. 5.0 5.1 前身の『スタジオ102』より再登板。
  6. 後に同時間枠の『NHKニュースおはよう日本』に登板。
  7. 『NHKモーニングワイド』も続投。