日本アマチュア無線連盟
一般社団法人 日本アマチュア無線連盟(いっぱんしゃだんほうじん にほんアマチュアむせんれんめい、The Japan Amateur Radio League, Inc. =J.A.R.L.)は、アマチュア無線の振興を図り、その権益を擁護する事を主な目的とする、アマチュア無線家を中心として組織された日本の一般社団法人(2011年11月1日より)である。英文略称から「ジャール」と呼称される。
「角を丸め縦向きにした菱形の中に、アンテナ・コイル・アースの記号(無線設備の象徴)、四隅に頭文字」が標章である。文字以外は世界中の同種団体でほぼ共通となっている(国際宇宙ステーションアマチュア無線計画、略称「ARISS」のマークにも頭文字を除いたものが用いられている)。会員はこの標章を自己の無線局やQSLカードなどに掲示する事ができる。
概要
会員は、アマチュア無線局を開設している者による正員(個人、もしくは社団)と、開設していないがアマチュア無線に興味を持つ個人である准員、正員と同居している家族(配偶者・親子・兄弟姉妹)であり個人アマチュア無線局を開設している家族会員、連盟の趣旨に賛同し連盟の事業を援助しようとする個人・法人・団体による賛助会員に分けられる。
なお、無線従事者免許証を持っていても、アマチュア無線局を開局していなければ、換言すればコールサインが無ければ正員にはなれない。また免許状が期限切れなどで失効した場合は、正員から准員と変更になる。社団が免許状を失効した場合は准員にはなれず退会となる(種別「准員社団」は存在せず、要件を満たさないため)。
沿革
- 1926年 - 6月(12日とも25日とも、当時の記録にも結成時と1周年とで異なる二通りの記述あり)、任意団体として結成される。総裁に草間貫吉を選出[1]。JARL設立宣言文として、“We have the honor of informing that we amateurs in Japan have organized today the Japanese Amateur Radio League. Please QST to all stations”(日本アマチュア無線連盟の結成を報告できることを我ら誇りに思う、本件を他局にも告知せられたし) が全世界に打電される[2]。
- 1931年 - 第1回全国大会が名古屋市で開催される。
- 1930年代 - 会長交代騒動。
- 1941年12月8日 - 太平洋戦争勃発に伴いアマチュア無線禁止。会員の一部が「愛国無線隊」「国防無線隊」として大日本帝国軍に協力。
- 1945年3月10日 - 本部が置かれていた会長宅が東京大空襲で焼失。結成から当時までの資料の大部分が失われる。
- 1946年8月 - 蔵前工業会館で再結成全国大会を開催。会長に八木・宇田アンテナ開発者として知られる八木秀次、理事長に矢木太郎が就任。[3]
- 1948年 - 第3回総会にて、会長に草間貫吉が就任する。
- 1959年6月28日 - 郵政省(現・総務省)の認可を受けて社団法人化。
- 1970年 - 第12回総会にて、会長に原昌三が就任する。
- 1991年 - 養成認定部が日本アマチュア無線振興協会へ移行。
- 2010年5月30日 - 第52回通常総会「尾張名古屋総会」開催。一般社団法人化に伴う「社団法人日本アマチュア無線連盟の定款、規則及び選挙規程の全面改正並びに一般社団法人日本アマチュア無線連盟の社員選出のための臨時社員選挙実施要領の承認の件」の議案及び、「会費前納者の取扱いに関する特別決議の承認の件」の議案が、採決の結果否決される[4]。
- 2010年11月21日 - 大阪府寝屋川市にて臨時総会が開催され、「社団法人日本アマチュア無線連盟の定款、規則及び選挙規程の全面改正並びに一般社団法人日本アマチュア無線連盟の社員選出のための臨時社員選挙実施要領の承認の件」の議案が上程され、採決の結果可決された。これにより一般社団法人への移行が決定した[5]。原が移行と同時の退任を申し出て承認される。
- 2011年11月1日 - 一般社団法人日本アマチュア無線連盟へ移行。原昌三が会長退任。会長に稲毛章が就任[6]。
- 2013年11月 - 結成の地・巣鴨での事務局業務を終了、5日から豊島区南大塚3丁目の大塚HTビル6階に集約移転
組織
- 総会
- 理事会
- 評議員会
- 各種委員会
- 事務局(東京都豊島区南大塚)
- 総務部
- 地方業務課(地方事務局の業務を継承)
- 国際課(IARU第3地域連合事務局)
- 会員部
- 会員事業課
- グッズ・申請書類販売係
- 運用課
- 非常通信センター
- 会員事業課
- 技術研究所
- 業務課
- 技術課(資料収集など)
- 総務部
- 監査指導委員会
- 地方本部 - 総務省総合通信局の管轄区域毎(関東、東海、関西、中国、四国、九州、東北、北海道、北陸、信越)に置かれる。地方本部長はその区域から選出された理事が当てられる。
このほかに、JARL本体の組織ではないが、JARL登録クラブ(支部内に存在するクラブが登録される)がある。
業務
2005年現在。JARL会員手帳(第98版)による。
- 国際アマチュア無線連合(The International Amateur Radio Union, I.A.R.U.)のメンバーとしての活動
- 諸外国のアマチュア無線団体との提携
- アマチュア無線に関する調査研究
- 講習会、講演会、研究会、競技会(コンテスト、ARDF全国大会)、アマチュア無線フェスティバルの開催
- 資料、文献の収集、知識の普及、広報活動
- 機関紙、アマチュア無線関係図書、刊行物の発行、配布
- アマチュア無線に関する建議と請願
- QSLカード(交信証)の転送
- 災害のときの非常通信活動とそのための訓練
- アマチュア局による電波障害等に関する調査および指導
- 技術相談と測定サービス(個人では無線機テスターなどの高価な測定機器を入手保持出来ない為)
日本におけるQSLビューロー(QSLカードを転送する機関)の業務を行っている。2000年、経費削減のためこの作業を島根県簸川郡斐川町(現・出雲市)にある企業に委託したため送付先が変更となった。
抱える問題点
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- 過去にはバンドプランの制定など、国に対しアマチュア無線家らの代表として一定の役割を果たしてきたが、昨今の電波の有効活用の議論が高まるにつれ、周波数帯の確保など、果たしてアマチュア無線家らの利益にかなう活動が行われるかどうか、多くの会員から疑問視されている。一例として、2006年(平成18年)にはそれまで反対の立場を表明していたPLCに対して一転容認をしたことが挙げられる。
- 1980年代のアマチュア無線ブームをピークとして年々会員が減少しており、会費収入減による財政難を理由に、機関紙「JARL NEWS」は月刊であったものが近年は隔月刊、更には季刊に変更されるなど、サービスは低下しつつある。QSLカードの転送業務も、受託先を変更しても尚滞っているとの批判が絶えない。
- 元々がJARLの財政的な安定のために創設した終身会員制度(数年分の年会費に相当する金額を前納することにより、以降の会費を免除される)であるが、これが却って財政を圧迫する状況となる。終身会費は1万円、3万円、5万円、8万円、20万円と改訂され、さらに新規取り扱いが停止となった。改悪はこれで留まらず、最終的には前納した会費を精算し、改めて年会費を徴収しようという不誠実な対応がなされた[7]。2002年(平成14年)に制度は廃止され、それまでに終身会員となった者も、最長で2033年(平成45年)には権利を喪失し、一般正員として取り扱われる(20万円前納会員の場合)。この件は2009年12月、全終身会員に対し郵送通告された。しかし多数の終身会員の反発を招き、2010年(平成22年)5月の年次総会で提議は否決。終身員の身分資格は“なお従前の例による”と定められる[8]。
- 阪神淡路大震災の為に集めた寄付金が一部を除いてJARL本部の金庫に放置してあったこと、さらにこれがスマトラ沖地震の義捐金として流用されたことが、2005年に発覚、総会でも追及された[9]。
- 趣味の団体とはいえ、国民共通の財産である電波に関わる社団法人の代表が、全く交代のない(対抗馬は輩出しているが現代表が守旧派に支えられている)ことも以前から問題視されている(当人は一般社団法人移行完了後に理事には留まるものの退任する旨表明[10])。その会長に関しても、所持している無線従事者免許(第二級アマチュア無線技士)の資格範囲を超える出力(この場合、第一級アマチュア無線技士の(または、これと同等の操作範囲を含む)資格が必要となる)で、記念アマチュア無線局で交信したなどの疑惑が報告されており、一向に盛り上がらない同連盟の運営とともに批判されている。
- 2013年10月末には、JARL公式Webサイト(www.jarl.or.jp)がなぜか丸2年前(2011年11月2日時点)の内容に戻り、さらにはJARL事務局からWebページの更新ができなくなるという問題が発生。一説にはWebサイトの運営委託先との契約トラブルが原因とも言われるが[11]、JARL事務局は「障害が発生した」とのみ告知を行っており詳細は明らかにされていない[12]。結局事務局側では同サイトを放棄して、元々ミラーサイトを運営していた「jarl.org」ドメインで公式サイトを再構築することになり、11月19日に暫定運用を開始[13]。最終的に2014年3月26日より新サイトで全サービスを再開した[14]。