DC-7

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テンプレート:Infobox 航空機 ダグラス DC-7(Douglas DC-7)は アメリカ合衆国ダグラス・エアクラフト社が開発した大型レシプロ旅客機1953年運用開始。

概要

当時DC-6Bを運航していたアメリカン航空が、ライバルのトランス・ワールド航空が運航するロッキードL-1049G・スーパーコンステレーション機に対抗して、アメリカ大陸の無着陸横断飛行が可能な新型機の開発をダグラス社に依頼したことがきっかけで開発が開始された。DC-6Bの胴体を延長し、エンジンをスーパー・コンステレーションと同じ強力なターボコンパウンドエンジンであるライトR-3350に換装した点が主な変更点である。

1953年8月、北米国内線のアメリカン航空ユナイテッド航空デルタ航空などの路線に就航した。しかし航続距離の性能不足から改良型DC-7B、大西洋無着陸横断路線に開発されたDC-7Cが1956年、パンアメリカン航空日本航空スカンジナビア航空スイス航空などの大手航空会社の主要路線に就航したものの、肝心のエンジンの信頼性に苦しめられただけでなく、客室内における振動と騒音が酷かった上、1952年には世界初のジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットが就航し、世界各国の主要航空会社の人気を集めたため受注が伸びなかった。

また同時期には、ロッキード L-188ブリストル ブリタニアなどの、より高速で騒音の少ないターボプロップ機の開発が進められ、ターボプロップエンジンに改装したDC-7Dの開発も検討された。

しかし、後継機となるジェット機のDC-8の生産が1959年に始まったことから、わずか5年間で生産は計338機が製造されるに留まり、DC-6Bより早く打ち切られた。なお現在も数機がアメリカや中南米で使用されているが、その多くは貨物機や消防機に改修され、旅客便やチャーターから第一線の退役は早かった。

バリエーション

より航続距離を伸ばした発展型のDC-7Bが開発されるが、エンジンの振動と騒音は改善されなかったため、胴体に2mのストレッチを施して客室容量を増し、主翼を胴体から3m延長して振動と騒音を減少させたDC-7C、愛称「セブンシーズ」が開発された。同機は1956年パンアメリカン航空に引き渡され、ニューヨーク - ロンドン間の大西洋無着陸横断路線に就航した他、日本航空スカンジナビア航空などの長距離路線を運航する会社で主に使用された。

スペック (DC-7B)

※航空会社の仕様により多少の違いがある。

  • 最高速度:406mph (650km/h)
  • 高速巡航:346mph (557km/h)
  • 長距離巡航:274mph (441km/h)
  • 座席数:36席(国際線用)から102席(国内線用)
  • 航続距離(最大ペイロード):4,630mile (7,450km)
  • 全長:34.56 m
  • 全幅:38.89 m
  • 全高:9.66 m
  • 最大離陸重量:143,000lb (64,922kg)
  • エンジン:ライト R-3350-988TC-18EA「サイクロン」×4基
  • 出力:3,200hp/2,900rpm
  • 生産数:約338機

主なユーザー

航空会社

ファイル:SR DC7.jpg
スイス航空のDC-7C

日本のDC-7

DC-8導入までのリリーフ

日本では日本航空が、DC-6Bの後継機として正式発注していたジェット機・DC-8型機導入までの長距離国際線の主力機として1956年4月12日に導入を決定し、1957年12月23日に初号機の「City of San Francisco」(JA6301)を受領、翌1958年2月12日より太平洋横断路線である東京 - サンフランシスコ線に就航した。

東京からホノルルへの無着陸飛行が可能なDC-7C型機の導入により、東京 - サンフランシスコ線の飛行時間は、実飛行時間は冬期で約19時間、夏期で約21時間となり、ウェーク島経由だったDC-6Bと比べ約4時間半の飛行時間短縮が実現した。翌1959年には、東京 - ロサンゼルス線およびシアトル線でも使用され、DC-6B型機に代わる主力機として運航された。

短い運航期間

同機は座席に龍村特製の織物を使用するなど日本製の文化財級素材を用い、また後部ラウンジは茶室風にアレンジされ障子を入れるなど日本風のデザインが奢られた。これは一部の外国人搭乗者には珍しがられたが、結果的に見て特別仕様の日本航空所有機は退役後の売却先が見つからず、貨物機改修用に買い叩かれる結果になった[1]

また、1961年1月6日には、DC-8型機就航にともなうプロペラ機転用計画にもとづき、DC-7C型機を貨物機に改造した日本初の貨物専用機であるDC-7カーゴ(通称:DC-7F)型機を東京 - サンフランシスコ線に就航させた。最終的に日本航空はDC-7C型機を4機(延べ5機。国内線の乗客急増から改修した貨物型1機を1962年にスカンジナビア航空保有旅客型と交換)導入し、DC-8の導入就航には余剰機を国内線にも就航させた。

しかし、長距離専用機材として設計されたことから運用で小回りが効かず、DC-7型機のターボコンパウンドライト R-3350エンジンは不調が多く、DC-6Bよりも4年早い1965年10月31日に全機が退役した。なお全日本空輸日本国内航空などの他の航空会社は国際線に就航していないこともあり、同機を導入しなかった。

外国乗り入れ機

1957年には、スカンジナビア航空による史上初の北極ルートの北回りヨーロッパ線(東京 - アンカレッジ - コペンハーゲン、地球特急号便)に就航したほか、ノースウエスト航空やパンアメリカン航空が使用したものの、DC-8やボーイング707などのジェット機へまもなく入れ替わったため、運航された期間は短かった。

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:Douglas Airliners
  1. 国内線に転用後退役した1965年の旅客機中古機市場では高人気のDC-6Bが増加し、高コスト低稼働率で不人気なDC-7C型機は追いやられ余剰化し、特別仕様や増席改修の国内線仕様よりDC-7型シリーズ機が倦厭された事情が大きい。