アジア太平洋経済協力
アジア太平洋経済協力(アジアたいへいようけいざいきょうりょく、Asia-Pacific Economic Cooperation、略称:APEC(エイペック[2][3])は、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラム[4]である。
概要
「アジア太平洋」という概念が最初に打ち出されたのは、1967年発足の太平洋経済委員会(PBEC)という産業団体の設立時であるとされるが、具体的にこうした地域概念が政府レベルの協力枠組みに発展する萌芽は、1978年、日本の大平正芳総理大臣が就任演説で「環太平洋連帯構想」を呼びかけたことにある。これを具体化した大平政権の政策研究会「環太平洋連帯研究グループ」の報告を受け、大平が豪州のマルコム・フレイザー首相に提案して強い賛同を得たことが、1980年9月の太平洋経済協力会議(PECC)の設立につながった。PECCは地域における様々な課題を議論し研究するセミナーといった趣のものであったが、これを土台にして、各国政府が正式に参加する会合として設立されたのが、APECである[5][6]。
APECは、1989年にオーストラリアのホーク首相の提唱で、日本・アメリカ合衆国・カナダ・韓国・オーストラリア・ニュージーランド及び当時の東南アジア諸国連合 (ASEAN) 加盟6か国の計12か国で発足し、オーストラリアのキャンベラで閣僚会議(Ministerial Meeting)を開催した。また、1993年には米国のシアトルで初の首脳会議(Economic Leaders' Meeting)がもたれた。現在は、首脳会議、及び、外相、経済担当相による閣僚会議をそれぞれ年1回開いている。シンガポールに常設事務局を置き、開催国から任期1年で事務局長が選任されている[7]。 参加しているメンバーは、21カ国・地域で、人口では世界の41.4%、GDP(国内総生産)では57.8%、貿易額では47%を占めている。
APECは、開かれた地域協力によって経済のブロック化を抑え、域内の貿易・投資の自由化を通じて、世界貿易機関(WTO)のもとでの多角的自由貿易体制を維持・発展することを目的としてきたが、近年のWTOの新ラウンドの停滞や自由貿易協定締結の動きの活発化などによって、その存在意義が問われている。
なお、APECには、多くの国から国家として承認されていない台湾や、中国の特別行政区である香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」という語が用いられる[8]。また、国旗や国歌の使用は禁止されている[9]。さらに、条約等に基づいて設立された組織ではない非公式なフォーラムであるため、「加盟」等の語も用いられない。首脳会議等も「非公式」とされているが、これは「公式」とすると台湾を事実上国家として認めることになって、中国等が参加しなくなるためである。
参加エコノミー
- 1989年(発足時)
- テンプレート:Flagicon オーストラリア、テンプレート:Flagicon ブルネイ、テンプレート:Flagicon カナダ、テンプレート:IDN、テンプレート:Flagicon 日本、テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
- テンプレート:Flagicon マレーシア、テンプレート:Flagicon ニュージーランド、テンプレート:Flagicon フィリピン、テンプレート:Flagicon シンガポール、テンプレート:Flagicon タイ、テンプレート:KOR2(韓国)
- チャイニーズ・タイペイ[10][11]、テンプレート:PRC(中国)、テンプレート:Flagicon 中国香港(当時は英領)
経過
- 1993年11月 - シアトル閣僚・首脳会議(米国):初めての非公式首脳会議が行われ、議長国の米大統領・ビル・クリントンから貿易・投資の自由化促進が示された。
- 1994年11月 - ボゴール閣僚・首脳会議(インドネシア):2020年までの域内での貿易自由化を打ち出した。
- 1995年11月 - 大阪閣僚・首脳会議(日本):ボゴール宣言実施のための行動指針(大阪行動指針:OAA)を採択し、13分野にわたる各国の自主性にゆだねる個別行動計画の検討に合意した。
- 1996年11月 - マニラ閣僚・首脳会議(フィリピン):大統領・フィデル・ラモスの「APECはビジネスだ」の合言葉が強調された。大阪行動指針に基づいて具体的な行動計画(マニラ行動計画:MAPA)が策定された。
- 2005年11月 - 釜山閣僚・首脳会議(韓国):ボゴール宣言の実施状況を評価し、今後の道程(釜山ロードマップ)を示す中間評価報告書を策定した。
- 2006年11月 - ハノイ閣僚・首脳会議(ベトナム):釜山ロードマップを実施するための行動計画(ハノイ行動計画)を策定した。
- 2011年11月 - 12日、13日の両日、アメリカ・ハワイで首脳会議が開かれ、13日に地域経済統合を推進するとした「ホノルル宣言」を採択した。
APEC首脳会議
台湾首脳の参加問題
APECは政治色を排除し、経済協力に焦点を絞ったフォーラムであるが、中華人民共和国と中華民国(台湾)の政治的関係を反映し、1991年の台湾の参加時に、台湾からの首脳会議への参加者を経済閣僚または財界指導者に限定するとの慣例が確立され、この慣例を守るべきことが明文化されている[12]。
2005年11月の釜山での首脳会議の際にも、台湾は立法院長・王金平の出席を予定していたが、中国の抗議や、韓国の拒否により、総統府経済顧問召集人・林信義を代わりに派遣した。しかし、2008年11月のリマでの首脳会議では、台湾からは過去最高クラスの国家元首級となる元副総統・連戦(中国国民党名誉主席)が出席し、中国共産党の総書記・胡錦濤と会談を行った。これには、台湾の国民党と中国の共産党両党の政治操作という背景があるのではないかという憶測が流されている。
APECエンジニア登録制度
APECエンジニア登録制度は、APECエンジニア相互承認プロジェクトに基づき、有能な技術者が国境を越えて自由に活動できるようにするための制度。登録を受けた技術者は、本制度に参加するエコノミーの域内で共通のAPECエンジニアという称号を有し、技術者としての能力がある程度の範囲で同等であると評価される[13]。 1995年に大阪で開催された首脳会議で、参加エコノミーの技術者を相互承認するための検討部会が設置され、相互承認プロジェクトを開始、1996年に韓国のソウルで開催されたAPEC科学技術大臣会合で、2010年までに技術者の越境移動を妨げる制度的・非制度的障害を低減させることが宣言され、2000年に指針が策定された。日本、オーストラリア、カナダ、香港、韓国、マレーシア、ニュージーランドの7エコノミーは2001年から、工学系技術者を相互認証するためにAPECエンジニア登録を開始。現在の参加状況は技術士#技術者資格相互承認を参照。
日本ではまず2000年11月に、建設系の「Civil」分野と「Structural」分野の2分野で登録申請が開始され、2003年11月には「Mechanical」、「Electrical」、「Chemical」分野での登録申請が開始された。さらに、2006年3月からは「Geotechnical」、「Environmental」、「Industrial」、「Chemical」、「Information」、「Bio」分野を加えた全11分野で登録申請が可能となっている。審査については、「Structural」分野の中の建築構造分野については建築技術教育普及センターが行い、それ以外の分野については日本技術士会が担当している[14]。
脚注
外部リンク
テンプレート:地域統合 テンプレート:アジア太平洋経済協力テンプレート:Economy-stub
- ↑ 1.0 1.1 APECでは国旗の使用は禁止されているが、この写真はAPEC首脳会議の際に行われた日米韓3か国会議のものなので、3か国の旗が飾られている。
- ↑ テンプレート:PDFlink 経済産業省
- ↑ アジア・太平洋経済協力(APEC(エイペック)):文部科学省
- ↑ テンプレート:PDFlink 第4段落
- ↑ APECの歴史~設立経緯 経済産業省
- ↑ TPPの源流は「文人宰相」 日経ビジネスオンライン、2012年5月1日
- ↑ APECの歴史~会議開催実績 経済産業省
- ↑ Member Economies Asia-Pacific Economic Cooperation
- ↑ テンプレート:PDFlink Asia-Pacific Economic Cooperation
- ↑ APEC(アジア太平洋経済協力,Asia Pacific Economic Cooperation) 外務省
- ↑ APECの概要-APEC- 経済産業省
- ↑ テンプレート:PDFlink 第111段落
- ↑ APECエンジニアとは 公益社団法人 日本技術士会
- ↑ APECエンジニアとは 公益社団法人 日本技術士会