740年
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他の紀年法
できごと
- (天平12年5月) - 聖武天皇が山城国相楽郡玉井にある橘諸兄(右大臣)の別荘へ行幸し、宴会で上機嫌になって諸兄の息子・橘奈良麻呂に従五位下を授ける。
- 9月15日(同8月20日)- 和泉監を河内国に併合する。
- 9月24日(同8月29日) - 大宰少弐藤原広嗣が吉備真備と玄昉を除くよう上表する。
- 9月28日(同9月3日)- 広嗣が挙兵したとの報を受け、天皇は大野東人を大将軍とし広嗣征討を命じる(=藤原広嗣の乱)。
- 11月12日(同10月19日)- 天皇が「旅行するから伊勢に仮宮をつくれ」と命じる。
- 11月16日(同10月23日)- 肥前国松浦郡値嘉嶋(五島列島)に潜んでいた広嗣が安倍黒麻呂に捕まる。
- 11月19日(同10月26日)- 天皇が九州の大野東人へ「思うところあって東へ行く。乱の最中だが仕方の無いことなので、聞いても驚くな」という勅を送る。
- 11月22日(同10月29日)- 九州の大野東人が広嗣が既に逮捕されていることを知る。天皇が光明皇后・橘諸兄ら群臣とともに平城京を離れ、伊賀・伊勢へ巡幸する。
- 11月24日(同11月1日)- 広嗣が斬首される。
- 11月25日(同11月2日)- 天皇一行が関宮(松阪の北西)に到着する。
- 11月26日(同11月3日)- 天皇の元へ広嗣逮捕の報が届き、天皇は広嗣を斬首するよう命じる。
- 12月5日(同11月12日)- 天皇一行が関宮を出発し、美濃・近江へ北上する。