鷹司家

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テンプレート:日本の氏族 鷹司家(たかつかさけ)は、五摂家のひとつで公家である。


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概要

鎌倉時代中頃、藤原氏北家嫡流近衛家実の四男兼平が祖。家名は平安京の鷹司小路に由来する(兼平の邸宅が鷹司室町にあった)。江戸時代、家禄1000石のち1500石。維新後、公爵家紋牡丹

戦国時代鷹司忠冬を最後に一度断絶した(1546年79年)が、後に二条晴良の子の信房が鷹司家を再興し近代まで続く。1743年閑院宮直仁親王の皇子である鷹司輔平が鷹司家を継承した。江戸後期から幕末にかけて鷹司家の当主が関白を務める機会が多く、特に鷹司政通は30年余りにわたって関白を務めた。

また、信房の娘の孝子徳川家光の正室となったことから、弟である鷹司信平は、松平を名乗ることが許され、天皇に仕える公家から、徳川家旗本へと転身した、この武家の鷹司家は、代を重ねるごとに加増され、最終的には上野吉井藩主家となった。

なお、鷹司兼平の叔父にあたる大納言兼基を祖とする鷹司家も存在する。こちらの鷹司家は室町家とも称して、兼忠兼輔輔房と続いたが、南北朝時代房通の代に断絶している。

主な人物

吉井藩主鷹司家(称・松平)

系譜

関連項目

系譜参考


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