新性能電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高性能電車から転送)
移動先: 案内検索

新性能電車(しんせいのうでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)においてカルダン駆動方式電磁直通ブレーキ(または電気指令式ブレーキ)を採用した在来線電車全般を指す用語である。

概要

1957年に開発された101系電車カルダン駆動方式車の全電動車として設計を進めていたが、大量増備の必要性から製造コストの問題や、当時のダイヤ構成では必要以上に性能が高くなることから、電動車と付随車の割合(MT比)を1:1として再設計された。カルダン駆動方式を先行して導入していた私鉄各社は『全電動車方式のカルダン車』を、吊り掛け駆動方式の電車(旧性能車)とは著しい性能差があることから『高性能車』としたのに対し、上記理由で「カルダン駆動車」の性能を抑制した国鉄の場合は、旧性能車と性能差を大きく変えなかったことから『新性能車』(一部を除き発電ブレーキも採用)と呼称した[1]

ただし後継の103系電車の計画にあたってはカルダン式と吊り掛け式のコスト面の比較を行なった上で保守コストの低減が可能なことから前者が採用されており、当初からこれ以後カルダン式を採用するという確然たる方針があったわけではない[2][3]。このため、初期(1950年代 - 1960年代)の抵抗制御のカルダン駆動車のみならず、1970年代以降の電機子チョッパ制御車や界磁添加励磁制御車、さらにVVVFインバータ制御車などの回生ブレーキ装備車も含まれる。

  • 大手私鉄などで1950年代に出現した高度な設計・性能のカルダン駆動電車のことを、通常「高性能電車」と表現する。当時、国鉄や大手私鉄は急増した利用客を、既存の限られた施設でさばくための方策として、新しい車両の製造に乗り出していた。すなわち、カルダン駆動かつ全電動車方式で編成を組み、高い加減速性能を持たせて、列車の運転密度を上げようとしたのである。
  • 国鉄も当初、全車電動車方式による「高性能電車」を追求しようとしたが、現実にはコストや変電設備面での制約、また、全電動車による高加速よりもブレーキ性能向上による高減速のほうが輸送力増加に有効であることが判明したことなどから、付随車を挟む方向となった。

こうした経緯の中で、国鉄の電車については「高性能電車」ではなく、「新性能電車」という用語が一般的に用いられるようになった。

分類

用途による分類

下記のような各タイプが、標準設計として大きな変更なく登場後長期にわたり用いられた[4]

通勤形
旧形のモハ72系を前身とし、101系[5]を嚆矢として、より駅間の狭い都市内輸送に特化した103系で形態としての完成を見たタイプ。切妻形のデザインで車体長は19.5m、車体の断面は幅2.8m両側がまっすぐ立ち上がる形[6]。客用ドアは1.3m幅の両開きで片側4扉。座席は扉間7人掛け、車端部3人掛けのロングシートで、中間車で座席定員54人。
近郊形
旧形のモハ70系の系譜で、交直流電車の401系・421系に始まり、直流の111系などにも広がったタイプ。車体幅を2.9mとし裾を絞った断面形状であり、車体長は中間車で19.5mである。通勤使用を考慮し70系同様のデッキなし片側3ドアとした上、1.3m幅の両開き扉を採用した。座席配置はセミクロスシートで、中間車の場合、扉間は扉近くの2人掛けロングシートに4人掛けボックスシ-トが4組挟まれ、車端部には3人掛けロングシートに4人掛けボックスシ-トが2組で、座席定員は76人、便所は付随車に設けられた。前面は貫通路を設けたデザイン。デッキの有無と扉配置以外の、車体断面、前面デザインなどは、先行していた下記の急行形から受け継いでいる。
急行形
旧形のモハ80系の系譜で、153系に始まるタイプ。もともとは「中・長距離汎用」だったが、首都圏や京阪神・北九州地区の中距離電車にラッシュ対策として上記近郊型が投入され、以降「急行形」となった。車体幅を2.9mとし、車両限界に合わせ裾を絞った断面形状としている。車体長は中間車で19.5m、1.0m幅片開き片側2扉で、客室の両端にデッキを設けたスタイル。また洗面所トイレを、各車両の車端部に設置した。座席は全席クロスシートとし、普通車は客車式の対面型固定クロスシート(ボックスシート)、座席は横幅が広くなり、窓側の肘掛も設けられている。扉が1m幅のため、中間車の定員は客車より4名少ない84名であり、車端部にデッキを背にした2人掛けの席があり、この部分は窓も固定である。前面は特殊例の157系を除いて、併結運転の便を図って貫通路を設けたデザインである。派生形として修学旅行用電車155系・159系167系)がある。
特急形
151系に始まったタイプ。車体幅を2.95mとし、屋根高さを極力低く抑え、裾だけでなく上部も絞った断面形状としている。車体長は中間車で20mと長めにされ、70cm幅片側1扉で、客室の一端にデッキを設けたスタイル。また洗面所トイレを、各車両の車端部に設置した。普通車の座席回転クロスシートとし、中間車の定員は72名、窓は完全空調を前提として固定式である。なお581系などの寝台電車はこれを基本とするが大きく構造が異なる。

電気方式による分類

電気方式によって、大きく次の3種に区分される。詳細はリンク先を参照。

直流電車
直流の電源によって走行する電車。国鉄・JRにおいては1500Vを用いる。
交直流電車
直流・交流電源のいずれによっても走行することができる電車。中でも交流において50Hz専用、60Hz専用、50・60Hz両用がある。
交流電車
交流電源によって走行する電車。ながらく北海道専用しかなく50Hz専用のみであったが、その後60Hz専用、50・60Hz両用もあらわれた。

新性能電車の歴史

初期の車両

1950年代、上述の通り急増した利用客をさばくための方策として、国鉄では新しい通勤形電車を計画、101系では軽量・高回転型のMT46A形主電動機を用いた全車電動車方式を採用し、高加速・高減速度による輸送力増強を追求しようとした。しかし現実には高価な電動車の比率が大きくなると製造コストがかかること、また電力使用量が多くなることによる変電設備面での制約などから付随車を挟む方向となった。(詳細は国鉄101系電車#計画の頓挫参照)。

また国鉄では旧形電車でも短距離通勤輸送の他、横須賀線などの中距離輸送、80系電車による東京-名古屋間などの長距離輸送も行なわれていたが、新性能電車は幹線全般の輸送にも用いられることになり、通勤形以外においても、MT46A形主電動機は、この他にも標準形として近郊形、急行形、特急形にも歯車比を変えて用いられた。

出力増強形

通勤形においては、全電動車による高加速よりもブレーキ性能向上による高減速のほうが輸送力増加に有効であることが判明したことで、定格回転数を下げ出力を10%増強したMT55形主電動機を用いて電動車と付随車が半々でも加速性能およびブレーキ性能を確保できるような設計とした103系が登場した。(詳細は国鉄103系電車#新形通勤電車の要件参照)。その後、大都市圏の利用客の増加はとどまることを知らず、低コストの103系が201系登場まで増備された。

近郊形、急行形、特急形もMT46A形主電動機を用いた形式は勾配線区で電動機の温度上昇などが問題になり、電動機出力を20%増強したMT54形を用いてそれ以外の基本設計を大きく変えない系列が製造された。また引き続き、抑速ブレーキを装備することなどで勾配線区使用により適応する形式を製造した。 テンプレート:節stub

新性能電車という表現

由来

#概要のような状況から生まれた用語である「新性能電車」は、「『高性能』ではないが、新しい性能(カルダン駆動電車)である」という、苦しいニュアンスを含んだ用語として生まれた、とされるのが、一般的な説である。

ただし、例えば上記のような新性能電車の典型例とも言える103系電車であっても、その以前の車両であるモハ72系電車に比して遥かに高性能であり、国鉄以外の多くの吊り掛け式通勤型電車と比した場合も同様である。そのため、上記の説とは異なる主張もある。

当時、国鉄の列車は中距離程度の運転区間であっても、一部を除き、機関車客車を牽引する動力集中方式が主流であった。しかし、モハ80系電車の登場により、中距離、そして長距離列車にも動力分散方式の電車が進出し始めていた。

編成全体の出力に加え、駆動軸が多く粘着特性が遥かによい電車は、たとえ旧型の吊り掛け式電車であっても、機関車牽引の列車より遥かに高性能と言えた。そのため、「新型電車を高性能と言うことは、従来の電車は低性能ということか」という議論が起こった。その結果、「新しい機軸を多数採用した電車である」という意味で、国鉄の内部用語として生まれた、という説もある[7]

国鉄内部でこの議論が起こったのは、当時は未だ(機関車)機関士が花形とされ、運転士・気動車機関士は近郊区間担当の下働きという風潮が一方で根強く残りながらも、他方でそうした“従来の常識”が覆されつつあった時期で、両者の摩擦があったことも背景にあったと考えられる。

国鉄電車以外に対する用法

本来「新性能電車」とは国鉄電車のみに用いられる表現であるが、鉄道研究者やファンの中には、1950年代 - 1960年代の鉄道技術に関する考証等の中で、私鉄、地下鉄、路面電車のカルダン駆動電車をも指す用語として「新性能電車」の呼称を用いるケースが、しばしば見られる。

これは「単純に"高性能電車"、"カルダン駆動電車"の同義語として用いている」場合がほとんどであるが、一部には「意識的に"決して高性能ではなく、単にカルダン駆動方式を用いているだけの凡庸な性能水準の電車"を指す婉曲用語として用いている」場合がある。

私鉄地下鉄路面電車においては、吊り掛け駆動車にも発電ブレーキ回生ブレーキを採用して高加減速を実現した車両があり、それらが必ずしも「低い性能」とはいえない一方で、営団1900形電車西武601系電車の様に、モーターのみカルダン駆動である他は、制御装置・ブレーキ・補助電源等がことごとく旧型車そのものであり、性能がさして向上していないというケースもあるからである。

一方、京阪80形電車江ノ島電鉄1000形電車のように「つり掛け式でありながら性能的・機能的に初期のカルダン高性能車の多くを凌駕する性能の車両[8]の存在もあり、この為私鉄も含めてカルダン駆動方式と電気制動併用の電磁直通ブレーキ(または電気指令式ブレーキ)を採用する車両を「新性能電車」と統一して定義する向きもある。もっとも、駆動方式やブレーキ、制御器などはそれぞれの使用条件に応じて適切に組み合わせて使用されるべきものである。例えば初期高性能車ではブレーキメーカー側の事情や在来車との併結の都合などからそのまま従来通りの自動空気ブレーキに発電ブレーキを連動させた事例が各社で存在しており[9]、また東武8000系は運用状況を勘案し、踏面ブレーキに摩擦係数の大きなレジンシューを用いることで発電ブレーキを省略しつつ所要の高減速性能を確保している。こうした事例を見る限り、この定義は合理的かつ適切な区分とは言い難い。

当初は全電動車方式による高性能電車を導入した私鉄においても、その後は大半が国鉄同様に経済性を配慮した設計に移行せざるを得なくなった[10]。1960年前後を境に、大都市圏の大手私鉄では大量輸送対策の必要性から、地方私鉄ではモータリゼーションの高まりから、それぞれコストを意識した車両設計(付随車増加、発電ブレーキ省略等)に転換している(例として、全電動車方式の2200形から電動車・付随車同数の2400形へ通勤形電車の生産を移行させた小田急電鉄などがあげられる)。なお、電動車比率の低下には、中空軸平行カルダン駆動装置の開発やWN継手の小型化によって狭軌でも比較的大出力のモーターを台車上架装することが可能になったという技術面の進歩も関係している。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. この『新性能車』との呼称を、私鉄各社の『高性能車』と混同して呼称するファンも一部にみられるが、当時の国鉄は『高性能車』=『新性能車』の意味合いでは使用していない
  2. 久保田博「国鉄通勤型電車の最近の動き」(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』156号、1964年4月 特集:国鉄通勤電車、35-37頁)
  3. ただし、103系は従来よく言われたように山手線4M4Tだけを目的とした形式ではなく、6M4T10連を想定し、起動加速度2.5km/h/sec程度、常用減速度3.5km/h/secという、通勤形という用途に限れば72系をほぼすべての性能で圧倒するものであった。交友社『鉄道ファン』2006年5月(通産541号)、特集:究極の標準形通勤電車103系
  4. 久保田、89頁。
  5. 101系は定格速度を55km/h~68km/h程度と高めにとってあり、走行性能上は以降の通勤形電車とは一線を画す。
  6. 後、JR西日本207系から車体幅2.9mですそを絞る構造が一般化する。
  7. 鉄道ピクトリアル』2005年1月号(No.756)。特集「国電一世紀」より
  8. ことに京阪80形は碓氷峠に匹敵する66.7パーミルの急勾配区間を含む運用線区の特殊な使用条件もあったが、同時代に存在した「和製PCC車」と呼ばれるカルダン駆動方式を採用する日本の路面電車各形式のほぼ全てを上回る45kW級の複巻電動機を1両あたり4基搭載していた。これにより3.2km/h/sという高い加速性能を実現しつつ、弱め界磁制御との組み合わせによって高床の一般車と同じダイヤで急行・準急運転が可能な高速性能を合わせて実現した。さらに京阪本線用2000系のシステムを発展させた主制御器には定速度制御機構が搭載されており、回生ブレーキを抑速・停止に常用、加えて空気ばね台車を装着するなど、この80形は同時代の都市間高速電車でも採用例の少ない高度な機能を満載していた。
  9. それらの多くは、ここで定義される「新性能電車」の大半と同等か、あるいはより高い加減速性能を実現していた。
  10. もっとも、私鉄では1954年の東急5000系(初代)奈良電鉄デハボ1200形など、実用化の最初期から付随車あるいは制御車の連結を前提として計画・設計された高性能車が少なからず存在していた。また、逆に21世紀に入りVVVF制御の下で大出力誘導電動機が利用可能となるまで加減速性能に対する要求の特に厳しい各停用に限って全電動車方式で首尾一貫した阪神電気鉄道や、1970年代中盤まで本線系新造カルダン車を全て全電動車方式としていた名古屋鉄道、さらにはごく少数の通勤専用車以外は全電動車式としていた京浜急行電鉄のように、経済性よりも加減速性能を優先させた会社も存在した。

参考文献

  • 浅原信彦『ガイドブック最盛期の国鉄車輌3新性能直流電車 上』ネコ・パブリッシング、2007年
  • 浅原信彦『ガイドブック最盛期の国鉄車輌4新性能直流電車 下』ネコ・パブリッシング、2007年
  • 久保田博『鉄道車両ハンドブック』グランプリ出版、1997年

関連項目