高崎山自然動物園
高崎山自然動物園(たかさきやましぜんどうぶつえん)は、大分県大分市の高崎山にある大分市立の自然公園である。
概要
高崎山の麓にある万寿寺別院の境内に、高崎山の山中に生息する野生のニホンザルに餌付けを行うサル寄せ場が設けられており、観光客は檻を隔てずにニホンザルの姿を見ることができる。高崎山のニホンザルはそれぞれがα(アルファ)オス、いわゆるボス猿に率いられたB群、C群の2つの群に分かれ、時間をずらしてサル寄せ場に姿を現す。かつては1,000頭余を数えたA群も姿を現していたが、C群との争いに敗れて20頭ほどに激減し、2002年(平成14年)6月頃から姿を見せなくなった[1]。
宮崎県の幸島と並んで「日本のサル学発祥の地」とも言われ、「ボス猿」という呼称を日本で最初に使ったとされる。「群れの中で最も序列が高い個体を指す呼称を『ボス猿』から『αオス』に改める」と発表した際には、テレビニュースや新聞で報道された[2]。
高崎山に生息しているニホンザルの個体数は、全体で1,355頭で、このうち、B群が643頭、C群が712頭(2013年11月25日 - 11月29日調査)[3]。
歴史
高崎山には古くから野生のニホンザルが住んでおり、明治時代末期には約600頭ほどにもなった。その後、大正時代の山火事で一時頭数が激減するが、1940年(昭和15年)には100頭以上を数えるようになり、終戦直後には200頭程度にまで増えて農作物への被害が深刻となった。そこで狩猟などによるニホンザルの駆除が試みられたが失敗。これを耳にした当時の大分市長上田保が、駆除に代えて餌付けし観光資源として利用しようとしたのが始まりである。
1952年(昭和27年)11月26日に上田が高崎山山麓の万寿寺別院の和尚とともに餌付けを開始。餌付けが軌道に乗った翌1953年(昭和28年)3月15日に正式に開園した。その際、上田の発案で、料金の表示を「小人十円、大人は小人並」としたことも話題を集めた[4]。同年のうちに、高崎山が阿蘇国立公園(現阿蘇くじゅう国立公園)に指定されるとともに、「高崎山のサル生息地」が国の天然記念物に指定された。
1954年(昭和29年)には、万寿寺別院から本堂建設のためサル寄せ場移転の申し入れがあったが、協議の結果、サル寄せ場を継続する代わりに、損害補償として年間総売上の20%を万寿寺に支払うことで合意[4]。
1955年(昭和30年)には、上田をモデルに当園でのサルの餌付け等を描いた火野葦平の小説『ただいま零匹』が朝日新聞夕刊に連載されるとともに、後には映画化もされて知名度が高まった[4]。
2004年(平成16年)3月26日、高崎山の入口からサル寄せ場までを4分で結ぶ2両編成、定員40名の小型モノレール(スロープカー)「さるっこレール」が運行を開始。坂道や階段を登らずにサルを観察できるようになった。
年表
- 1952年11月26日 - サルへの餌付けを開始。
- 1953年3月15日 - 開園。当時のサルは一つの群で220頭[5]。
- 1953年9月1日 - 阿蘇国立公園(現阿蘇くじゅう国立公園)に指定。
- 1953年11月14日 - 「高崎山のサル生息地」として国の天然記念物に指定。
- 1955年12月20日 - 火野葦平の小説『ただいま零匹』が朝日新聞夕刊に連載開始(1956年4月22日まで150回にわたって連載)。
- 1956年5月 - 阿蘇国立公園から分離し、瀬戸内海国立公園に編入。
- 1958年4月 - 昭和天皇および皇后が来園。
- 1959年3月から6月 - A群から一部が分裂し、B群となる[6]。
- 1962年7月から12月 - A群から一部が分裂し、C群となる[6]。
- 2002年6月頃 - A群がサル寄せ場に姿を見せなくなる。
- 2004年3月26日 - 小型モノレール(スロープカー)「さるっこレール」開通。
- 2004年4月1日 - 「高崎山おさる館」開業。
施設
- サル寄せ場
- 高崎山おさる館 - 大分マリーンパレス水族館「うみたまご」の隣に位置する。
- さるっこレール - 定員40名の小型モノレール(スロープカー)。片道、往復どちらでも料金は100円。
- 駐車場 - 大分マリーンパレス水族館「うみたまご」と共用。普通車400円。
歴代αオス
カッコ内は在任期間。
A群
- ジュピター(8年2ヶ月)(S27.11~S36.1)
- タイタン(S36.1~S39.6)
- バッカス(S39.6~S42.6)
- ブア(S42.6~S42.8)
- ダンディー(S42.8~S45.1)
- トク(S45.1~S48.1)
- ケム(S48.1~S48.3)
- ジュチ(8年)(S48.3~S55.3)- 高崎山のニホンザルの調査を行った伊谷純一郎の息子の名にちなむ。
- ヘクター(S55.3~S56.12)-C群の偵察中電車にはねられ命を落とす
- トボ(S56.12~S61.6)
- ギャラン(S61.6~S63.7)
- ホープ(S63.7~H4.12)
- テツ(H4.12~H8.9)
- チューテツ(H8.9~H9.8)
- コーテツ(H9.8~H11.2)
- シービー(H11.2~H11.11)
- ジンギ(H11.11~H12.12)-当時C群No.2だったベンツからやられてC群に対し弱気になりました。
- ブラボー(H12.12~不明)
B群
- ホシ(6年)(S34.8~S40.8)-A群初代「ジュピター」時代に分裂しB群初代ボスに就任。
- シロ(2年5ヶ月)(S40.8~S43.1)
- ヒヒ(6年2ヶ月)(S43.1~S49.3)
- ナケ(4ヶ月)(S49.3~S49.7)
- ピーナツ(S49.7~S53.8)
- マッスル(S53.8~S58.8)
- ゲンチ(S58.8~S61.3)
- ダーツ(S61.3~S62.10)
- ベンツ - (S62.10~H2.1)後にC群第9代αオスとなる。
- ジョーカー(H2.1~H3.8)
- ドラゴン(5年6ヶ月)(H3.8~H9.2) - 生まれつき手の指が右2本、左3本しかなく、しかも電車にはねられ右腕を失ったにもかかわらずαオスとなった。
- イッセイ(H9.2~H9.12)
- ムラサメ(H9.12~H10.9)
- ゴルゴ(11年3ヶ月)(H10.9~H22.1)
- タイガー(H22.1~H24.3)
- マコト(H24.3~H26.3)[7]
- ナンチュウ(H26.3~)
C群
- ヤマ(9年9ヶ月)(S39.3~S48.12)-A群から2代目「タイタン」時代に群れから分裂しC群を構成。
- シータク(S48.12~S50.7)
- ギャバン(S50.7~S54.8)
- スター(S54.8~S56.12)
- ミック(7年4ヶ月)(S56.12~H1.5)
- バートン(H1.5~H5.9)
- ゲンタ(5年3ヶ月)(H5.9~H10.12)
- ゾロ(12年1ヶ月)(H10.12~H23.2) - 在任期間歴代最長。先代ボスへの差し入れのバナナを奪ったバナナ事件をきっかけに順位が入れ替わりボスに就任。
- ベンツ(H23.2~H26.2)-高崎山史上はじめて異なる群れでNo.1になった。A群との抗争でも先頭に立ちA群を追っ払ったためベンツを見ただけでA群は山へ逃げていき遂にはH14年6月1日をさかいに山から出てこなくなった。お別れ会にて高崎山名誉ボスの称号をもらっている
- ゾロメ(H26.2~)-C群8代目ゾロの弟
名付け
高崎山では、1984年(昭和59年)から、その年最初に生まれたサルに、その年の出来事に因んだ名前を付けている[8]。2009年以降の命名は以下の通り。
- 2009年 レンパ - 日本がワールド・ベースボール・クラシックで連覇したことに因む[9]。
- 2010年 クロマグロ - ワシントン条約締約国会議で大西洋・地中海産クロマグロの取引禁止が提案されたことに因む[10]。
- 2011年 キズナ - 東日本大震災からの復興を願って命名[11]
- 2012年 カモン - 高崎山のキャラクター「たかもん」がデビューしたことに因む[12]。
- 2013年 カンレキ - 高崎山自然動物園の開園60周年に因む。初めて公募により決定[13]。
また、2012年5月2日には大分市出身で大分市の初代観光大使に選ばれた指原莉乃が、その初仕事として高崎山自然動物園を訪れ、子ザルを「さしこちゃん」と名付けた[14]。しかし、この子ザルは同年12月13日に死んでいるのが見つかった[15]。