飯舘村
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テンプレート:Infobox 飯舘村(いいたてむら)は、日本の東北地方の一角、福島県の相馬郡に所在する村。
目次
地理
自然
飯舘村は相馬郡の中で唯一太平洋に面していない内陸部の阿武隈高地にある。
気候
主要な地形
山地
河川系
- 真野川
- 新田川(支流として、飯樋川[いいといがわ、相馬弁:いいどいがわ]、比曽川)
- 真野ダム(ダム湖名:はやま湖。cf. 日本の多目的ダム一覧#福島県)
- 風兼ダム(ふがねダム。別名:野手上ダム。ダム湖名:野手上湖。cf. 日本の多目的ダム一覧#福島県)
- 岩部ダム(がんべダム)
広域地域区分
福島県内の地勢的かつ歴史的な地方区分である、浜通り・中通り・会津のうち、浜通り地方に属し、その北西部に位置する。
- cf. 福島県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
福島県内の地方区分の一つである、相双(そうそう)・いわき・県北・県中・県南・会津・南会津のうち、相双地方に属する。
- cf. 福島県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
隣接している自治体
飯舘村は新地町とともに相馬郡を形成するが、両者は相馬市によって地理的に隔てられている (cf. 2006)。
- cf. 福島県の市町村全図 :≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
村内の地域
- cf. ≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
- cf. ≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
- 中心地の地名:伊丹沢(いたみざわ)字伊丹沢(村役場所在地域)。
歴史
年表
近世以前
近代以降
- 1937年(昭和12年):相馬郡原町(原町市本町[もとまち]の前身。現・南相馬市原町区本町。cf. [3])の事業として新田川水系野手上川流域にある???村風兼(現・飯舘村風兼)で風兼ダム(型式:アースダム。別名:野手上ダム。ダム湖名:野手上湖)が竣工。
- 1956年(昭和31年)9月30日:相馬郡で大舘村と飯曽村が合併し、飯舘村が成立。村名は旧村名から一字ずつ採って合成した連称地名である。
- テンプレート:Anchor1962年(昭和37年):福島県の事業として、新田川水系飯樋川流域の飯舘村飯樋で、岩部ダム(型式:アースダム)が竣工。
- 1971年(昭和46年):福島県が真野川水系真野川流域にある飯舘村大倉字松ヶ平で真野ダム(型式:重力式コンクリートダム)に着工。
- 1991年(平成3年):真野ダム(ダム湖名:はやま湖)が竣工。
- テンプレート:Anchor1998年(平成10年):町域にある花塚山・野手上山・虎捕山の3山が「うつくしま百名山」(福島テレビ主催)に選定される[2]。
- 2004年(平成16年):周辺市町とともに参画していた市町村合併協議会から離脱(参加していた市町はのちに南相馬市を形成)し、自立の道を模索し始める[4]。
- テンプレート:Anchor2006年(平成18年)1月1日:相馬郡内の1市2町が合併して南相馬市が成立し、これによって相馬郡の構成は新地町と飯舘村の1町1村となる。なお、新地町と飯舘村の間には相馬郡内1町7村を前身団体とする相馬市があるため、現・相馬郡の両者は地理的隔たりを持つに至った。
- 2010年(平成22年)9月27日:「日本で最も美しい村」連合に加盟[5]。
- 2011年(平成23年)1月1日:総人口6,152人、世帯数1,715戸[6]。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生(※節を改めて詳述する)。
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、飯舘村は震度6弱(観測地点:伊丹沢地区)を記録した[7](cf. 東日本大震災)。 地震動そのものによる被害は他地域との比較の上で極めて軽微であったが、地震とそれに伴う津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故(東京電力)の影響は深刻なものとなった。飯舘村はその全域が、放射線量が年間積算20ミリシーベルト[8]に達するおそれがあるとする「計画的避難区域」(1カ月以内を目安として住民全員の避難が指示される区域。より深刻な「警戒区域」の外側)に指定され、土壌からは放射性物質の検出が続いている[9]。
2011年
- 4月10日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人[9]。
- 4月11日 - 原子力事故の影響により、福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村・浪江町・葛尾村の全域、および、川俣町と南相馬市の一部地域。対象は約3,000世帯・約10,000人)が、計画的避難区域に指定される[10]。
- 5月15日 - 政府指定の計画的避難区域で計画的避難が開始され、初日は飯舘村民および川俣町民の、乳幼児がいる18世帯・113人が区域外へ移動した(飯舘村民の移動先は福島市)。なお、計画的避難区域の全住民のうち、5,000人前後(飯舘村では対象となる約1,700世帯・約6,177人の3割ほど)はすでに自主的避難をしている[11][8]。
- 5月26日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人・重症者0人・軽症者1人、建物被害は無し[12]。
- 6月1日 - 飯舘村役場が福島市役所飯野支所(所在地:福島市飯野町字後川10-2)に職員を先行配置し、役場機能の全面的移転に向けての準備に入る[8]。
- 6月22日 - 全村民の約9割が避難を終えるなか、飯舘村役場の福島市への移転が完了し、福島市役所飯野支所で「飯舘村役場飯野出張所」が開所する[13][14][8]。福島市に移った飯舘村避難住民はこの時点で約4,000人に上る[8]。一方で、飯舘村には約200人が避難せずに残っていると見られ、8つの会社と特別養護老人ホーム1施設が事業の継続を認められている[8]。
- 6月22日 - 飯舘村長が計画的避難区域指定の再検討を政府に要請(放射線量の低下が見られる地域での指定の解除と、依然として線量の高い地域をピンポイントで指定し直す意味で「特定避難勧奨地点」[現時点では既存区域外が指定対象範囲となっている[15]]への移行を訴える)[8]。
2012年
- 6月15日 - 政府原子力災害対策本部が飯舘村内の計画的避難区域を見直し、年間積算放射線量を基準に避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の設定を発表。地区毎の設定内容は以下の通り[16]。
- 避難指示解除準備区域(年間20ミリシーベルト以下) - 八木沢・芦原・大倉・佐須・二枚橋・須萱
- 居住制限区域(年間20ミリシーベルト超・50ミリシーベルト以下) - 上記各地区と長泥以外の全域
- 帰還困難区域(年間50ミリシーベルト超) - 長泥
- 7月17日 - この日の午前0時を以て避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の運用を開始。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
- ※前史については「相馬郡」を参照のこと。
行政
歴代村長
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 高橋市平 | 1956年(昭和31年)9月30日 | 1968年(昭和43年) | |
|
末永進 | 1968年(昭和43年) | 1972年(昭和47年) | |
<center>3 | 山田健一 | 1972年(昭和47年) | 1987年(昭和62年) | |
<center>4 | 斉藤長見 | 1987年(昭和62年) | 1996年(平成8年) | |
<center>5 | 菅野典雄 | 1996年(平成8年) | <center>現職(5期目) | 4期目在任中、東日本大震災が発生。 |
村議会
- 議員定数12人(任期は2013年9月29日)
姉妹都市・友好都市
警察
郵便
- 飯館郵便局(集配局)
- 飯曽郵便局(集配局)
- 二枚橋郵便局
- 大倉簡易郵便局
- 小宮簡易郵便局
- 比曽簡易郵便局
経済
産業
生産物
地域
人口
教育
高等学校
中学校
- 飯舘村立飯舘中学校
小学校
- 飯舘村立草野小学校
- 飯舘村立飯樋小学校
- 飯舘村立臼石小学校
幼稚園
- 飯舘村立草野幼稚園
- 飯舘村立飯樋幼稚園
交通
空港
- 最寄りの空港は福島空港。
鉄道路線
路線バス
- 福島交通
- 飯舘村コミュニティバス
道路
- 一般国道
- 主要地方道
- 福島県道12号原町川俣線
- 福島県道31号浪江国見線
- 福島県道62号原町二本松線 :未舗装区間あり。
- 一般県道
道の駅
- 村内に道の駅は存在しない。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 花塚山 :円仁(慈覚大師)が山頂で修行したと伝えられる。cf. 1998.
- 野手上山 :cf. 1998.
- 虎捕山 :その名の由来は、後冷泉天皇の頃、この山に根城を置く山賊・橘墨虎(たちばなのすみとら)を源頼義が捕らえ討ったことにあるとされる[19]。佐須地区に所在。cf. 1998.
- 山津見神社(やまつみ じんじゃ):永承6年(1051年)の創建。祭神はオオヤマツミ(大山津見神)。虎捕山の麓、佐須字虎捕に所在する。
- 大雷神社:飯樋地区の鎮守社で、3年に1度、式年大祭が行われる。
- テンプレート:Anchor(がんべダム):花塚山中腹にある灌漑用アースダム(所在地:飯樋地区)。冬はワカサギ釣り、他シーズンではヘラブナ(ゲンゴロウブナ)、コイ、ブラックバスなどの釣り客で賑わう。[20] cf. 1962.
- 村民の森 あいの沢 :深谷字市沢に所在。
ゆかりのある著名人
出身著名人
- 国広あづさ - 漫画家
その他のゆかりある著名人
その他の関連事象
関連項目
脚注・出典
参考文献
- 菅野典雄『美しい村に放射能が降った ~飯舘村長・決断と覚悟の120日~』(2011年、ワニブックスPLUS新書)
- 境野健児、千葉悦子『小さな自治体の大きな挑戦 飯舘村における地域づくり』(2011年、八朔社)
- 千葉悦子、松野光伸『飯舘村は負けない 土と人の未来のために』(2012年、岩波新書)
- 小澤祥司『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』(2012年、七つ森書館)
外部リンク
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- テンプレート:Anchorテンプレート:Cite web
- テンプレート:Anchorテンプレート:Cite web
- 国土地理院、地形図閲覧システム
テンプレート:Navbox テンプレート:日本で最も美しい村連合
- ↑ 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 飯舘村(公式ウェブサイト)、2011年6月22日閲覧。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 テンプレート:Cite news
- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite news:被災状況全図。
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ テンプレート:PDFlink - 2012年(平成24年)6月15日、経済産業省
- ↑ 同日、総理府告示第517号「村の廃置分合」
- ↑ 18.0 18.1 飯舘村 - 日本で最も美しい村
- ↑ テンプレート:Cite web
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