飛び降り

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ファイル:Jumper (suicide) in Dallas.jpg
ダラスで飛び降りを逡巡する女と説得する警察官。飛び降りの決行には非常な恐怖が伴い、しばしばこのような逡巡が起こる。

飛び降り(とびおり)は、人間がとる行動の一つ。広義には「高いところから低いところへ飛び移る」行動全般を指すが、その中でも高所から落下することを利用した自殺の方法のことに限定して「飛び降り」と呼ぶ場合が多い。本稿では、この「飛び降り自殺」に関連する事項について述べる。

方法・概要

ビルやマンションといった高層建造物からの飛び降りが代表的な方法であり、他にも断崖の上や歩道橋の上、果ては飛んでいる飛行機の上まで、高いところ全般が対象となる。特に道具などの準備は必要とされず、十分な高さを取れば失敗する確率も割合低いということもあり[1]、自殺の代表的な方法の一つとして用いられる。こういった飛び降りの対象となる場所の中には、特定箇所で飛び降り自殺が相次ぎ、「自殺の名所」として有名な場所もある(アメリカサンフランシスコゴールデンゲートブリッジ日本では、東京都板橋区高島平の高層団地、天ヶ瀬ダム(ただし、高島平・天ヶ瀬ダムではすでに自殺予防対策が実施されている)など。

飛び降りる高さが高いほど地面への激突する速度が高くなり、落下中にバランスを崩し回転しながら激突するなど、致死率は確実に高くなる。例えば、10メートル(ビルの3階相当)の高さから落ちると着地時の速度は50キロほどである。このような高速で舗装道路に激突すれば、かなりの衝撃を受け死もしくは重傷を負うことになる。また、より高速で激突すれば、死体を地面からはがすようにして回収しなければならない場合もあるという。下に植え込みやが積もっていた場合などは衝撃が幾分和らげられて生還する可能性も高まる。ただし生還した場合でも全身打撲による骨折、内臓破裂、脳挫傷などを負っていることが多く、重傷でも緊急手術で救助される場合もあるが、重度の障害を負う場合が多い。

着地点が地面の場合45メートル以上(ビルの12階相当)、水面の場合75メートル以上(ビルの20階相当)からの落下であれば、生還例がほとんどない為、確実に死に至るとされる。しかしながら、実際に飛び降りを図った者の大半は、これよりもかなり低い所から飛び降りているという統計もありテンプレート:要出典、自殺を志願しながらも本能的に「躊躇(ちゅうちょ)」していることが窺える。

逆に地上45メートル以上の地点から飛び降りて助かった例としては、2007年アメリカ合衆国ニューヨークにて窓の清掃員がビルの47階(約150メートル)から落下したにもかかわらず助かった例や、また2010年8月31日にニューヨークの39階建てアパートの屋上(地上120メートル)から22歳の男性が飛び降りたが両足骨折で助かったという例がある[2]

落下の恐怖心が何らかの理由で麻痺した状態では、飛び降りるという行為と死の結果が結びつけられなくなっていることもあるという。また、死ぬのではなく「楽になる」[3]という思考で、その価値の比較も生と死ではなく、楽と苦の比較へと置き換わっている場合すらあり、その結果として飛び降りに至る場合もあるという。また、低い所からの飛び降り自殺を繰り返す自殺未遂者が、精神的な治療が成功せずに徐々に飛び降りる高さが高くなるケースもあるという。日本における10代の自殺の方法のうち、首つりについで頻度の高い方法となっている[4]

厚生労働省のデータ(外部リンク参照)によれば、自殺者が選ぶ自殺の手段における飛び降り自殺の割合は、男性で全体の7.1%で第3位、女性で全体の12.8%で第2位(2003年度)となっている。また地域別の自殺手段における飛び降り自殺の割合を見ると、高い建造物の多い都市部で圧倒的に高い。

巻き込まれ事故

また、ビルやマンションなどの飛び降り自殺の場合、下に偶然歩いている歩行者などに直撃した例があり、最悪の場合には「死ぬつもりで飛び降りた人が生き残り、直撃を受けたまったく無関係の人が亡くなる」といった非常に不条理な事例もある。テンプレート:要出典範囲一部にはわざと巻き込んだ、または巻き込みの可能性が高いことを認識していたのではないかと推測される場合も有り、複雑な心境が窺える。

ビルの管理者が屋上への出入り口の施錠を徹底管理し、監視カメラ、赤外線センサーなどを利用することで屋上への侵入者を完全にシャットアウトすることで巻き込まれ事故を防止することは可能である。また建物の階下に転落衝撃吸収の網を張ることで、第三者が事故に巻き込まれる可能性を軽減することが可能である。

巻き込まれ事故の例

過去において再三巻き込まれ事故は起きている。以下では巻き添えで双方が死亡した例を列挙する。

  • 1954年9月13日 東京都中央区日本橋の白木屋デパート(現コレド日本橋)屋上から主婦(27)が飛び降り、真下で営業していた宝くじ売りの女性(53)を直撃した。飛び降りた主婦と女性はまもなく死亡した。
  • 1962年11月25日 東京都中央区のそごう有楽町店(現ビックカメラ有楽町店)屋上から埼玉県在住で自殺未遂を繰り返していた少年(18)が飛び降り、路上を歩いていた女性(43)を直撃した。飛び降りた少年と女性はまもなく死亡した。
  • 2004年8月8日 兵庫県西宮市の市営住宅(12階建て)の非常階段から同住宅在住の無職男(30)が飛び降り、歩道付近で友人と雑談していた県立高校定時制の男子生徒(20)を直撃した。飛び降りた男は全身打撲でまもなく死亡。男子生徒も1時間半後に病院で死亡が確認された。
  • 2004年12月31日 東京都武蔵村山市の団地において、埼玉県在住で同団地に帰省中だった無職女(42)が、12階通路の側壁を乗り越えて飛び降り、同団地に住む男性(54)を直撃した。飛び降りた女と男性はまもなく死亡した。
  • 2007年11月6日 東京都豊島区の「池袋PARCO」(8階建て)の屋上から無職女(25)が飛び降り、千葉県在住の男性会社員(38)を直撃した。飛び降りた女は死亡。男性は重体に陥り、その後11月10日に死亡した。警視庁池袋署は飛び降りた女を重過失致死容疑で被疑者死亡のまま書類送検した。

清水の舞台から「飛び降り」る

京都府京都市東山区清水の清水寺にまつわる有名な慣用句であるが、その由来は江戸時代に庶民に広まった民間信仰にある。これは、同寺に祀られる観音様に自らの命を預けて「清水の舞台から飛び降り」、もし助かれば願い事が叶い、またたとえ死んだとしても成仏し観音様の元へ行ける、というもの。

清水寺が独自に行った調査では、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」の中に、1694年元禄7年)から幕末の1864年元治元年)までの間に取られた148年分の記録中、未遂も含め234件の「飛び降り」の記録が残っているという。これには件数だけでなく生死の状況など詳細な統計も残っており、そこから「生存率」を計算したところ85.4%というかなり高い数字で、10~20代に限れば90%を超え、年齢とともに低下していく。(ちなみに舞台から地面までは13メートルの高さ)。下は12歳から上は80歳代まで老若男女が飛び降りを図っており、彼等は東北地方から四国までの全国から「飛び降り」にやって来ていたようである。相次ぐ飛び降りを近隣住民は快く思うはずもなく、対策を同院に嘆願していたという記録も残っており、1872年(明治5年)に政府による飛び降り禁止令によってようやく収束している。

現代においては、1995年2月に阪神・淡路大震災で被災した80歳代の男性が、そして2006年5月15日には30~40歳代と見られる男性がそれぞれ清水の舞台から飛び降り、いずれも死亡している。一方で、2009年9月30日、18歳の男子大学生が自殺を図って飛び降りたものの、一命を取り留めた。

火事場からの「飛び降り」

高層建造物等における火災の際に、建物の中にいた人が高階から飛び降りるという現象が見られる。この場合の飛び降りは死を望んでの自殺行動ではなく、炎や煙、内装の倒壊などで逃げ場を失ったことに伴って、死にたくない一心から「最終手段」として取った行動と考えられ、非常時の行動心理としては十分に理解しうるものである。

このような行動を「取らされる」要因としては、火災の熱によって建物周辺の大気が熱せられたことや煙による呼吸困難の苦しさから逃げようとした人が、極度の緊張状態において窓から下を覗いたときに、地面が実際よりも比較的近くに見え、「飛び降りても大丈夫かもしれない」と錯覚してしまう(言わば地面の蜃気楼を見ている)ことが考えられている。これは、緊張から来る視覚の収斂効果により、地面や他の建物の屋上などが実際より近く感じられる錯覚による物であり、これに、わずかな望みにでもすがりたいという希望的観測が加わり、思い切って飛び降りを選択してしまうものと思われる。

日本の戦後史上最悪の建造物火災として知られる、1972年5月13日大阪府大阪市南区(現在の中央区千日前で起きた千日デパート火災(7階建てで3階から出火)では、犠牲者118名中、飛び降りによる死者が22名。また1982年2月8日東京都千代田区で起きたホテルニュージャパン火災(火災が起きたのは建物の9、10階)の際には、犠牲者33名中、飛び降りによる死者が13名と実に3分の1以上に上っている。

2001年9月11日アメリカ同時多発テロの際は、飛行機の突入による世界貿易センタービルの火災で、燃焼部分より上にいた人の中に、飛び降りを行った人が多数いた。消防士や救急隊員、避難者の一部のうち、落ちてきた人に直撃されて命を落とした者も少なくはない。

動物の「飛び降り」

動物がとる異常行動の一つとして飛び降りをすることがあり、世界中で報告されている。近いところでは2005年7月に、トルコのとある地区で放牧をしていた羊1,500頭あまりが次々と崖から身を投げ450頭以上が死ぬ、という事件が発生している。この異常な行動に対しては諸説あり未だ解明に至っていないが、自殺ではなく単なる集団移動の結果に生じる「集団事故死」とする見方が有力である。

交通機関からの「飛び降り」

テンプレート:See also 鉄道のプラットホームから線路上に飛び降りる行為が自殺目的で行われ「飛び降り」とされることがある。しかしホーム上から路盤への落差は通常低く、むしろ列車への「飛び込み」とも呼べるものであろう。また、運行中の船舶から飛び降りる例もあり、スクリューに巻き込まれて即死することがある。

これらのほか、跨線橋や駅舎から、さらには高速道路等の跨道橋から、逆に高架橋や橋梁から飛び降りる例もある。高速道路や線路への飛び降りは、同落差の通常の建物から飛び降りるよりも危険性が高く、また関係する交通機関への損害や悪影響も大きい。

自殺目的以外では、無賃乗車や隣接ホームへの移動を目的にホームから線路上へ飛び降り、列車に轢かれた事故例もある。

また、走行中の鉄道車両やバスからの飛び降りは、自殺目的の例もしばしばあるが、駅・停留所以外からの降車や、完全に停車する前に早く降車するなどの目的で行われる場合が多くみられた。列車暴走事故を避けようとして飛び降りる例もあるが、高速走行中の列車からの飛び降りは脱出に失敗し死亡した事故例が多々あるように非常に危険であり、困難な決断を迫られる。

かつて日本の鉄道では、客用扉が走行中にも開閉可能な旧型客車や、オープンデッキの古典路面電車などで、走行中列車での飛び乗りや飛び降りが横行していた[5]。転落事故もあり、著名人では宮城道雄が列車から転落死している。

国鉄およびJRグループでは、国鉄20系客車(1958年)にて全ての客用扉が走行中施錠されるようになり、12系客車(1969年)で客車として初めて自動扉が装備された。1990年には和田岬線の気動車化により定期旅客列車から旧型客車が全廃された。イベント等で走行する旧型客車にも保安要員の添乗が義務付けられており、飛び降りなどの危険行為は制止される。

しかし現在でも、新興国、特に高温多湿な諸国では、非冷房のバスや鉄道車両の客用扉を開放して走行する例がみられ、しばしば扉から乗客がはみ出した危険な状態で運行される。先進国の例として、従来ロンドン等で路線バスとして使用されていたルートマスターは出入り口がオープンデッキであり、現在は動態保存目的の運行を除き引退している。サンフランシスコ・ケーブルカーにも、オープンデッキの古典車両が珍しくない。

また、スキー場等では索道からの飛び降りも散見され、特に旧型のチェアリフトでは容易に搬器からの飛び降りが可能である。しかし索道は未整備の箇所やコース外をしばしば通過し、場所により落差も大きく、コース外での滑落・遭難、雪崩の誘発、硬い凍結した圧雪面への落下や工作物との衝突など、管理者・行為者の予期せぬ事故により死亡あるいは重傷を負うことが考えられ、支柱等には飛び降り禁止の警告が表示されている[6]。また、人が搬器から落下すると、他の搬器も反動で大きく揺れ、場合によってはワイヤーが支柱から脱輪する場合があり、他の乗客にとっても大変危険である。

飛び降りにより自ら命を絶った著名人

脚注

  1. 9階から転落したにも拘らず致命傷に至らなかった窪塚洋介の例もある
  2. テンプレート:Cite news
  3. 倉嶋 厚「やまない雨はない―妻の死、うつ病、それから… 」文春文庫
  4. 厚生労働省 統計 手段別にみた自殺
  5. 「飛び降り」鉄道死語事典(文中に出典表記あり)
  6. スキー場の安全基準として定められている。全国スキー安全対策協議会公式サイト参照

関連項目

外部リンク