集集線
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|} 集集線(しゅうしゅうせん)とは台湾彰化県二水郷の二水駅から南投県水里郷の車埕駅に至る台湾鉄路管理局の鉄道路線である。
概要
全長29.7kmの行き止まりローカル線で、風光明媚な観光地日月潭(にちげつたん)へのアクセスルートである。日本のローカル線以上にノスタルジックな雰囲気を味わえる。南投県政府は「南投県観光鉄道」という愛称を付けて、観光客招致に用いている。2011年7月9日全線で営業を再開。
日本統治時代に、台湾電力の水力発電所の建設資材の輸送のために敷設された古い路線であり、駅舎など各所に当時のままの設備が現存している。専用鉄道としての開業は1921年(大正10年)で、その後1927年(昭和2年)5月1日に台湾総督府に買収され、同鉄道部(台湾総督府鉄道)の集集線となった。その際、タンク式蒸気機関車6両が台湾総督府鉄道籍となっている。
路線データ
- 管理者:テンプレート:TRA
- 路線距離(営業キロ): 二水 - 車埕間 29.7km
- 軌間:1,067mm(狭軌)
- 駅数:7
- 複線区間 : 無(全線単線)
- 電化区間 : 無
- 電報略号:ㄐㄧㄐㄒ
- 開業日:1922年1月14日開通
- 閉塞方式:二水 - 濁水「タブレット閉塞式」、濁水 - 車埕 - 濁水「スタフ閉塞式」
歴史
- 1919年 - 建設開始。
- 1921年 - 台湾電力株式会社の門牌潭発電所(現在の大観発電廠)建設の専用線として開通。
- 1922年1月14日 - 社用品以外の貨物運輸と旅客扱い開始。
- 1927年5月1日 - 当時の378.8万円で台湾総督府に買い取られる。
- 1934年 - 門牌潭発電所完成にともない、貨物運輸専用の門牌潭~車埕間廃止。
- 1945年 - 日本の敗戦に伴い中華民国台湾鉄路管理局所管となる。
- 1999年9月21日 - 921大地震(集集大震災)で壊滅する。
- 2002年2月6日 - 地震の被害より復興し営業再開。
- 2010年4月15日 - 龍泉 - 車埕間が線路補修のため、2011年1月24日まで運休。バスによる代行運転。
- 2011年7月9日 - 全線で運転再開。
運行形態
- 日本の在来線と同様、軌間は1,067mmの狭軌である。
- 区間車、区間快車(集集線内各駅停車)が1日13往復運行されている。
- 大半の列車は、西部幹線の台中、もしくは彰化まで乗り入れる。台中発着の列車は、高鉄台中駅に隣接する新烏日駅にも停車するため、この駅で台湾高鉄に乗り継ぐこともできる。
使用車両
駅一覧
駅名 | 駅番号 | 駅間 キロ |
累計 キロ |
等級 | 接続路線・備考 | 所在地 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日本語 | 繁体字中国語 | 英語 | |||||||
二水駅 | 二水車站 | Ershui Station | 155 | 0.0 | 0.0 | 二等 | 縦貫線と接続 | 彰化県 | 二水郷 |
源泉駅 | 源泉車站 | Yuanquan Station | 251 | 2.9 | 2.9 | 招呼 | 無人駅 | ||
濁水駅 | 濁水車站 | Zhuoshui Station | 252 | 7.9 | 10.8 | 丙簡 | 南投県 | 名間郷 | |
龍泉駅 | 龍泉車站 | Longquan Station | 253 | 4.9 | 15.7 | 招呼 | 無人駅。中興二号線分歧駅 | 集集鎮 | |
集集駅 | 集集車站 | Jiji Station | 254 | 4.4 | 20.1 | 簡易 | 日本時代の木造駅舎 | ||
水里駅 | 水里車站 | Shuili Station | 255 | 7.2 | 27.4 | 簡易 | 日月潭、東埔温泉方面バス乗換駅 | 水里郷 | |
車埕駅 | 車埕車站 | Checheng Station | 256 | 2.3 | 29.7 | 簡易 |
画像
- 集集線員林客運接駁車.JPG
水里駅前に停車中の員林客運の連絡バス
関連項目
外部リンク
- 台湾鉄道旅行案内「集集線」台湾総督府交通局鉄道部 昭和2年(近代デジタルライブラリー)