鈴木浩子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:BLP unsourced

ファイル:Hiroko Suzuki cropped.jpg
リングでの鈴木浩子

鈴木 浩子(すずき ひろこ、1975年2月14日 - )は、日本の元アナウンサー、元WWEディーヴァ。本名;同じ、旧姓:水野千葉県出身。國學院高等学校明治大学文学部卒業。かつてはレプロエンタテインメントに所属していた。

ハッスルの三代目ゼネラルマネージャー(GM)を務めた(2006年1月1日から3月12日)[1]

学生時代

学生(明大)時代から、ラグビー雑誌(ラグビーマガジン)の契約記者。同窓のラグビー部員・鈴木健想(鈴木健三)と知り合う。

就職・アナウンサー時代

1998年に大学卒業後、福島中央テレビに入社。当時は「水野弘子」の名前で『ゴジてれシャトル』や『FCTニュースダッシュ』などを担当する。2000年に同社を退社、以後フリーアナウンサーとして活動する。2006年3月6日、夫・鈴木健想とともに『ゴジてれシャトル』に出演した。

プロレスラーの妻 そしてアメリカへ

2003年鈴木健想と結婚。彼は就職先を退社し、新日本プロレスプロレスラーに転じていた。その後移籍したWJプロレスが崩壊寸前となり、2004年WWE入りした健想と共に渡米し、日本人として初めてWWEとディーヴァとしての契約を結ぶ。

当初は夫である鈴木健想のみの契約の予定であり、鈴木健想はリングネーム「ヒロヒト」での登場が予定され、予告ビデオも作成された。この一連の扱いは日本昭和天皇に対してあまりにも失礼である、とWWE上層部に鈴木浩子が抗議したところ、一転彼女がビンス・マクマホンらWWE上層部に注目されるようになり、鈴木健想のギミック修正だけではなく、本人も予想もしていなかった「鈴木浩子自身のディーヴァ契約」に至った。

当初はWWEから働かないかと持ちかけられ、「イエス」と答えていたがそれは裏方としての仕事として認識していた。また会場で他のスタッフから芸者についてやたらと訊かれ、それについて調べ作成したファイルを重役に渡したところ、そのファイルを一瞥されただけで「あなたは出来るのか?」と質問され、そこで初めてディーヴァとしての契約だったことに気付いた。そこで鈴木健想が「イエス」と答えてしまった、という裏話がある。

自身もプロレスへ

WWEでは白塗りの「ゲイシャガール」のギミックで登場し、主に健想をサポートするマネージャー役を演じていた。実際問題として、英語が堪能な彼女が通訳としてついた方が楽だったと言うこともあった。また健想自身も英語が殆どしゃべれない、という日本人レスラーの伝統的なギミックを演じていた。この役の勧誘をWWE側から受け、あまりの馬鹿馬鹿しさに怒り当然断ることを夫の健想に告げると、「何?おまえはWWEに認められたんだぞ!おまえはなんてラッキーなんだ!」と大喜びされ、断りきれずなし崩し的にゲイシャガールデビューしてしまったと語っている。

格闘技のバックグラウンドは殆どないが、2005年2月にさいたまスーパーアリーナで行われた『スマックダウン』の収録において、実際にトリー・ウィルソンと試合を行っている。2005年7月に健想がWWEから解雇されたのに伴う形でWWEとの契約を打ち切られた。その後は散発的にではあるが、健想とともにアメリカのインディ団体に出場し、時に試合を行った。

2005年11月3日ハッスルマニアにて、夫・健想が日本マットに復帰した(和泉元彌との対戦)。浩子自身、ハッスルGMにも就任するが、1年で健想と離脱する(給料未払い等)。

2006年、健想が参戦したユニオンプロレスにて、拉致され自身「メカ浩子」となる。

2007年、健想と再び海外へ。健想はCMLLAAAと長期参戦のためメキシコに滞在。

2010年、帰国。健想(現:KENSO)が全日本プロレスへ参戦後、正式入団。

浩子自身は2007年以降、表舞台に立ってはいない。

著書

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. ハッスル | ハッスルNOW | 2006年

外部リンク