都営地下鉄三田線
|} 三田線(みたせん)は、東京都品川区の目黒駅から板橋区の西高島平駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)。『鉄道要覧』には6号線三田線と記載されている[1]。開業当初は「都営6号線」と称した(後述)。
路線名の由来は名称制定時の終着駅である三田から。車体・路線図・乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ブルー」(青): 、路線記号はI [2]。I
目次
概要
東京特別区部の南部から都心部の日比谷・大手町を経由し、北西部の板橋区まで、おおむね南北を弓なりに(西に向いた逆C字型)走る路線である。目黒駅で東急目黒線と相互直通運転を行っている(詳細は#運転を参照)。
この路線は高島平駅側より開業したが、起点は目黒駅(2000年9月26日 - )である。ワンマン運転を実施しており、保安装置として日立製作所製のホームゲートシステム[3]を全駅に装備する(#駅設備を参照)。
収支状況は、2004年度決算で純損益が約16億2,131万6,000円の赤字[4]、2005年度決算で約14億8,247万4,000円の黒字[5]、2006年度決算で約21億6,957万6,000円の黒字[6]で、着実に改善している。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):26.5km
- 目黒 - 白金高輪間2.3km(第二種)、白金高輪 - 西高島平間24.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:27駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線(直流1500V架空電車線方式)
- 地上区間:志村坂上 - 西高島平間
- 閉塞方式:車内信号閉塞式
- 保安装置:CS-ATC
- 列車無線方式:空間波無線 (SR) 方式
- 漏洩同軸ケーブル (LCX) を使用したものである。
- 最高運転速度:75km/h
- 表定速度:31.1km/h
- 全線所要時分:52分10秒
- 車両基地:志村車両検修場
目黒 - 白金高輪間 (2.3km) は東京地下鉄(東京メトロ)南北線と線路(施設)を共用しており、東京地下鉄が第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者となっている。このため、運賃計算方式に特例がある。東京メトロ南北線#運賃計算の特例を参照のこと。
沿革
- 1962年(昭和37年)6月8日 都市交通審議会答申6号において答申される。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)12月11日 都営6号線の建設工事を開始
- 1968年(昭和43年)12月27日 都営6号線として巣鴨 - 志村(現・高島平駅)間 (10.4km) 開業。6000形電車営業運転開始。当時同電車の帯色は「赤」だった
- 1969年(昭和44年)8月1日 志村駅を高島平駅に改称
- 1970年(昭和45年)7月 ラインカラーを導入(三田線は青)。この後6000形電車の帯色を「赤」から「青」へ変更
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年)5月6日 高島平 - 西高島平間 (1.5km) 開業
- 1978年(昭和53年)7月1日 都営6号線から都営三田線に改称
- 1985年(昭和60年)7月11日 運輸政策審議会答申第7号において都営6号線の目黒延伸が確定する
- 1986年(昭和61年)12月31日 三田線の大晦日 - 元日の終夜運転を再開
- 1989年(平成元年)
- 1992年(平成4年)7月17日 三田 - 清正公前間の建設工事に着手
- 1993年(平成5年)6月23日 6300形電車営業運転開始
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2004年(平成16年)12月23日 臨時列車として「みなとみらい号」が6300形電車を使用して東急東横線経由横浜高速鉄道みなとみらい21線の元町・中華街駅までの乗り入れを開始
- 2006年(平成18年)9月25日 東急目黒線で急行列車の運転を開始。目黒線直通の急行列車は三田線内は各駅に停車
- 2008年(平成20年)6月22日 東急目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業に伴って、相互直通運転を日吉まで延長
- 2013年(平成25年)2月2日 駅自動放送が変更。
建設経緯
直接のルーツとしては、1957年(昭和32年)の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線(現在の東京メトロ東西線)の分岐線として示された大手町 - 下板橋間の計画が元となっている。1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において分岐線は6号線として切り離され、その後5号線を営団が、6号線を東京都が建設することになった。なお、本答申では6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田駅)・日比谷・春日町・巣鴨および大和町(後の板橋本町駅付近)の各方面を経て上板橋および志村(現:高島平駅)付近の各方面へ至る路線として示された。軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込 - 泉岳寺間と馬込検車場(現・馬込車両検修場)は浅草線と共用する予定であった。
しかし、路線計画については1964年(昭和39年)の答申により大和町(やまとちょう・板橋区) - 上板橋間を取りやめて志村から東武東上線の大和町(やまとまち、現・和光市)まで延伸すること、並びに泉岳寺 - 西馬込間は1号線(浅草線)の分岐線とし、6号線は泉岳寺から別線(東急泉岳寺線の路線名)で桐ヶ谷へ延伸し、池上線を経由して田園都市線(当時。現在の大井町線)と接続するように改訂された。また、これに伴い軌間も1067mm(狭軌)に変更された。その後、東武から「上板橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れがあり、東武が志村駅 - 大和町駅間の連絡線(東上本線支線)を建設して接続する計画に改められた。また馬込検車場の共用ができなくなったため、三田線には専用の車両基地が必要になり、新たに志村検車場を計画に加えた。
上記の経緯から、当初、路線や車両の規格を決定する際、三田線は車体寸法や保安装置などの面で東武鉄道の規格が踏襲された。
ところが、その翌1965年(昭和40年)に東武東上線は8号有楽町線に、東急田園都市線も距離的にも時間的にも乗客の利便増進に資するとの東急の判断により、11号半蔵門線(ただし当時は東急玉川線の規格を踏襲して銀座線程度の小型車で計画)への乗り入れを目指す計画に変更され(池上線の計画は実現せず)、三田線の直通計画は宙に浮いてしまった。この件では、両社に対し都は抗議を行ったが、結局東急・東武の意向に押し切られた。これ以降、三田駅以南の計画は未定のまま高島平駅 - 三田駅間のみを着工することになった。高島平駅 - 西高島平駅間は上記の東武の連絡線の区間であるが、都が免許を譲り受けて着工することになった。
当時の案ダイヤ中で想定された列車については、乗り入れ区間は東武側の折り返しは上福岡駅で折り返す列車を多数設定する(一部川越市方向も)つもりであった(志木駅でも折り返し可能ではあったが案ダイヤでは上福岡折り返しを中心としていた)。また、泉岳寺以南は五反田駅まで1号浅草線と併走し、東急側が戦時中に廃止していた桐ヶ谷駅(大崎広小路駅と戸越銀座駅の中間に位置していた)を大崎広小路駅の代替として復活し、池上線と接続、旗の台駅で大井町線に接続し、そのまま田園都市線に直通する構想であった(既存線の桐ヶ谷 - 五反田間は廃止が計画されていた)。その場合の折り返し駅は長津田駅(あるいは中央林間駅)で計画されていた。まとめると、昼間時は長津田 - 泉岳寺 - (三田線) - 和光市 - 上福岡で直通列車を運転する予定であった。
1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、6号線は、桐ヶ谷方面 - 大和町方面が、大宮市西部…浦和市西部 - 清正公前(現・白金高輪駅)…港北ニュータウン(横浜市)間に改められた。1971年の港北ニュータウン計画当初には、計画の中に都営地下鉄6号線を西馬込から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画が盛り込まれていた。当時の港北ニュータウン計画では横浜市営4号線とともに東京6号線が鉄道計画の根幹をなしており、かなり具体的な駅の設置場所とともに東京6号線の延伸が必須であるという書き方がなされている[7]。しかし、1985年(昭和60年)7月11日の運輸政策審議会答申第7号で、この計画は目黒止まりとなり、東急目蒲線(仮称・東急都心線、現在の目黒線)と相互乗り入れすることが確定し、それと共に三田線の港北ニュータウン延伸計画は撤回となった(なお西馬込以南の延伸については、同答申において1号浅草線の計画として答申されているが、2000年1月27日の運輸政策審議会答申第18号で削除されている)。この結果、東急との乗り入れは当初計画の泉岳寺線・池上線・田園都市線から目黒線へと路線は変わったものの実現することになり、最終的に東京6号線は西高島平駅 - 目黒駅という路線を形成することになった。その港北ニュータウン地区への鉄道建設についても、2008年6月22日に乗り入れ先の東急目黒線が武蔵小杉駅から日吉駅まで延伸し、連絡する横浜市営地下鉄グリーンラインが同駅から港北ニュータウンを抜けて中山駅までを結ぶという形で実現される運びになった。
一方北側については新たな延伸計画が立てられ、西高島平から北進し、荒川を橋梁で渡り[8][9]、新大宮バイパスの上下線間にあった当時未開通の自動車専用道路予定地を活用して北上し[10]、西浦和を通り[11]、大宮市西部(現在のさいたま市西区)まで延伸するというものがかつて存在していた。しかし埼京線開業の影響もあり、1985年7月11日の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は削除され、1990年以降、同ルートには首都高速5号池袋線の延伸区間と首都高速埼玉大宮線が順次開通した。
なお、2000年9月26日まで東京都の公式文書では三田線の正式な起点は上記の理由から泉岳寺となっており、そのため、関係官庁に届け出る文書では未成線である泉岳寺 - 三田間を加えた実キロ数が記入していたものもあった。そして、目黒開業以降は名実ともに正式起点を目黒に改め、実キロ数も正式に泉岳寺起点を目黒起点のものに書き換えられた。
地上区間
志村坂上駅より北西側の西高島平駅までの区間は、地下鉄でありながら地上区間となっている。志村坂上駅 - 志村三丁目駅 - 蓮根駅 - 西台駅の間ではS字カーブが連続するが、これは当路線の計画段階で志村方面のルートが幾度も変更された名残である。当初都市交通審議会の答申で示された北側の終端「志村」へ至るルートは、従前の都電志村線のルートを踏襲する形で、現在の志村坂上駅からそのまま中山道直下を北上し新河岸川に架かる志村橋の手前へ至るものであった[12]。ところがその後埼玉方面への延伸を検討した際、志村坂上から北上して地下方式のまま河川をくぐり抜けるためには勾配が急になりすぎることと、河川下の工事が地質上困難で莫大な費用がかかることが判明した[12]。このため志村坂上以北は地上に出て、河川を橋梁で越えるよう計画変更を目論んだが、中山道沿いには支障物件が多かったため西側にルートを変更することにし、現在の志村三丁目駅 - 蓮根駅のルートを通りそのまま北上して蓮根橋手前へ至るルートが検討された[12]。そんな折、今度は板橋土地区画整理事業により西側にある高島平団地の開発が本格化した[12]。このため住民のアクセスの便を考慮し、蓮根駅の西側に建設予定であった車庫(蓮根団地西側)へ向かう引込線用地の一部を本線に転用して、西台駅 - 高島平駅に至る現在のルートを形成することになった[12][13]。以上の結果、地上区間に連続する急カーブが設けられることになった。
地上区間の長さは都営地下鉄最長の5.2kmで、S字カーブ区間の最小曲線半径は、志村坂上 - 志村三丁目間が298メートル(制限速度60km/h)[14]、志村三丁目 - 蓮根間が211メートル(制限速度50km/h)[14]、蓮根 - 西台間が162メートル(制限速度40km/h)[14]となっている。また1976年(昭和51年)5月6日開業の高島平 - 西高島平駅間は一部をのぞきスラブ軌道となっている。
運転
目黒駅から東急目黒線の日吉駅まで相互直通運転を実施している。白金高輪を起・終点とする列車の大部分は同駅で埼玉高速鉄道線・南北線からの目黒方面発着の列車との接続がとられている。ラッシュ時には高島平始発・終着(出・入庫)がある。2008年6月22日のダイヤ改正までは御成門駅折り返しもあった。
ATOを装備しており、基本的にATOを使用して自動運転を行っている。
2004年12月23日から臨時列車「みなとみらい号」が6300形により高島平 - 横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅間で運行を開始した以後、2009年まで行楽シーズンに1 - 2か月に1回の割合で設定されていた。この列車には特製のヘッドマークを取り付けている。2006年8月運転分までは三田線と東急目黒線内が各駅停車、東横線と横浜高速みなとみらい線内が急行運転で、目黒線から東横線への転線も武蔵小杉駅で行っていたが、同年12月の運転からは三田線内が各駅停車、東急目黒線・東横線と横浜高速みなとみらい線内が急行運転で、目黒線から東横線への転線も田園調布駅で行う体系に変更された。
大晦日の終夜運転を開業から1972年までと1986年以降実施している。この時のみ目黒行が運転されている。また、8月に行われるいたばし花火大会ではこの時しか運転されない巣鴨行が臨時運転される。
なお、2006年9月25日より東急目黒線直通列車の一部が同線内にて急行列車としての運行を開始した。同線で急行運転が開始された後も、三田線内は全列車が各駅停車での運転となっている。また、三田線内では各駅停車の種別表示を行わない。
また、新線建設予定の相模鉄道との相互直通運転も2019年度を目途に東急を通して検討されている。
日中は30分サイクルのパターンダイヤであり、三田線内(西高島平 - 白金高輪)は6分間隔である。30分に東急線日吉発着が3本(うち1本は東急線内急行)、白金高輪発着が2本運転される。このうち、東急線内急行運転の列車は白金高輪での南北線・埼玉高速線内発着の列車との接続を行わない。
2008年6月22日のダイヤ改正までは、日中は西高島平 - 白金高輪間と西高島平 - 武蔵小杉間が交互に運転されていた。
車両
自局車両
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6300形
西台駅にて
過去の自局車両
- 6000形
- 10-000形(試作車)
- 10-000形の試作車は本来使用される都営新宿線開業に先行し1971年に落成され、試運転も兼ね三田線にて運用された。三田線は新宿線と軌間が異なるため6000形と同じ軌間 1,067 mm の台車を装着したほか、新宿線にて採用する計画があったATOを搭載するなど様々な新技術の試験がなされた。詳細は「東京都交通局10-000形電車#試作車」を参照。
- Toei6121 2.jpg
6000形
新高島平駅にて
乗り入れ車両
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東急3000系
東急目黒線多摩川駅にて - Tokyu-Kuha5686-Nishidai.jpg
東急5080系
西台駅にて
共用区間走行車両
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東京地下鉄9000系
東急目黒線多摩川駅にて - Saitama-Railway-2807 2006.jpg
埼玉高速鉄道2000系
東急目黒線不動前駅にて
列車番号と車両運用
どの列車がどの車両で運転されるかは列車番号の末尾アルファベットで区別されており、「T」が都交車両(31T以降の奇数番号)、「K」が東急車両(01K - 29K)となっている(「S」は東京地下鉄車両で30S - 78Sの偶数番号、「M」は埼玉高速車両で80M - 98Mの偶数番号)。列車番号は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)にも掲載されている。
なお、三田線内では南行列車(目黒・日吉方面)の列車番号は偶数番号となっており、例えば「31T」運用では北行列車(西高島平方面)は「xx31T」、南行列車は「xx30T」となる。
また、目黒線内の列車番号は6桁の数字で表記され、上3桁が運用番号を表している。400番台が都交車両、200番台が東急車両となっており(300番台は東京地下鉄車両、500番台は埼玉高速車両)、例えば「31T」運用の場合は目黒線内では「431」となる。
なお、東急車両の運用は三田線運用と南北線・埼玉高速線運用とで別々に組まれ、奇数番号(目黒線内基準)が三田線運用、偶数番号(同)が南北線・埼玉高速線運用となっている。また各社局間の走行距離調整の関係上、東急車両は目黒線に乗り入れない列車(白金高輪折り返しなど)にも使用されている。
駅一覧
全駅東京都に所在。
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線 | 地上/地下 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|
I-01 | 目黒駅[* 1] | - | 0.0 | 東京急行電鉄:目黒線 (MG01)(日吉駅まで直通運転) 東京地下鉄:N 南北線 (N-01)(共用) 東日本旅客鉄道:山手線 |
地下区間 | 品川区 |
I-02 | 白金台駅[* 2] | 1.3 | 1.3 | 東京地下鉄:N 南北線 (N-02)(共用) | 港区 | |
I-03 | 白金高輪駅[* 2] | 1.0 | 2.3 | 東京地下鉄:N 南北線 (N-03)(共用) | ||
I-04 | 三田駅 | 1.7 | 4.0 | 都営地下鉄:A 浅草線 (A-08) 東日本旅客鉄道:山手線・京浜東北線(田町駅) | ||
I-05 | 芝公園駅 | 0.6 | 4.6 | |||
I-06 | 御成門駅 (東京タワー前) |
0.7 | 5.3 | |||
I-07 | 内幸町駅 (西新橋) |
1.1 | 6.4 | 千代田区 | ||
I-08 | 日比谷駅 | 0.9 | 7.3 | 東京地下鉄:H 日比谷線 (H-07)・C 千代田線 (C-09)・Y 有楽町線(有楽町駅:Y-18) 東日本旅客鉄道:山手線・京浜東北線(有楽町駅) 地下通路で銀座駅・東銀座駅に連絡[* 3] | ||
I-09 | 大手町駅 (読売新聞社前) |
0.9 | 8.2 | 東京地下鉄:M 丸ノ内線 (M-18) ・T 東西線 (T-09) ・C 千代田線 (C-11) ・Z 半蔵門線 (Z-08) 東海旅客鉄道:東海道新幹線(東京駅) 東日本旅客鉄道:東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線・上越新幹線・北陸新幹線(長野新幹線)・中央線・山手線・京浜東北線・東海道線・総武線(快速)・横須賀線・京葉線(東京駅)[* 4] | ||
I-10 | 神保町駅 | 1.4 | 9.6 | 都営地下鉄:S 新宿線 (S-06) 東京地下鉄:Z 半蔵門線 (Z-07) | ||
I-11 | 水道橋駅 | 1.0 | 10.6 | 東日本旅客鉄道:中央・総武線(各駅停車) | 文京区 | |
I-12 | 春日駅 (文京シビックセンター前) |
0.7 | 11.3 | 都営地下鉄:E 大江戸線 (E-07) 東京地下鉄:M 丸ノ内線(後楽園駅:M-22)・N 南北線(後楽園駅:N-11) | ||
I-13 | 白山駅 | 1.4 | 12.7 | |||
I-14 | 千石駅 | 1.0 | 13.7 | |||
I-15 | 巣鴨駅 | 0.9 | 14.6 | 東日本旅客鉄道:山手線 | 豊島区 | |
I-16 | 西巣鴨駅 | 1.4 | 16.0 | 東京都交通局:都電荒川線(新庚申塚) | ||
I-17 | 新板橋駅 | 1.0 | 17.0 | 東日本旅客鉄道:埼京線(板橋駅)[* 5] | 板橋区 | |
I-18 | 板橋区役所前駅 | 0.9 | 17.9 | |||
I-19 | 板橋本町駅 | 1.2 | 19.1 | |||
I-20 | 本蓮沼駅 | 0.9 | 20.0 | |||
I-21 | 志村坂上駅 | 1.1 | 21.1 | |||
I-22 | 志村三丁目駅 | 0.9 | 22.0 | 地上区間 | ||
I-23 | 蓮根駅 | 1.2 | 23.2 | |||
I-24 | 西台駅 | 0.8 | 24.0 | |||
I-25 | 高島平駅 | 1.0 | 25.0 | |||
I-26 | 新高島平駅 | 0.7 | 25.7 | |||
I-27 | 西高島平駅 | 0.8 | 26.5 |
駅設備
目黒は東京急行電鉄、白金台と白金高輪は東京地下鉄、それ以外の各駅(三田 - 西高島平間)は東京都交通局の管轄駅のため、駅設備は管轄している各事業者に準じたものが使用されている。東京地下鉄の管轄2駅ではガラス張りでホームを完全に覆うスクリーンタイプのホームドアを使用しており、それ以外の駅では1.2mほどの高さのホームゲートを使用している。
脚注
参考文献
- 「MY LINE 東京時刻表」各号(交通新聞社)
関連項目
- ↑ 「東京都交通局告示 東京都地下高速電車の路線の名称及び区間」では「三田線」と定められている。
- ↑ mIta。Mが丸ノ内線(Marunouchi)で使われたため。
- ↑ [1] 「ホームゲートシステム」は日立製作所および東京都交通局による公称。
- ↑ テンプレート:PDFlinkの5ページ目
- ↑ テンプレート:PDFlinkの7ページ目
- ↑ テンプレート:PDFlinkの7ページ目
- ↑ 出典は、財団法人日本都市計画学会「KOH NEW TOWN COMMUNICATION STUDIES 1971-1972」1971、25-27ページおよび211-213ページ。
- 同書25ページ「2-6-2 計画鉄道の広域ルート」には「港北ニュータウンに関連する新設鉄道計画の通過地点及び建設予定年次は下記のとおりである。」として、「3)東京からの鉄道新線」が掲げられている。同書同ページの内容では
- ルート (大宮西部 - 高島平 - 日比谷 - 三田 - 港北ニュータウン - 神奈川西部)
- 建設時期 昭和60年
- 答申 昭和47年3月1日都営地下鉄6号線(高島平 - 巣鴨間開通)の延伸として、大宮西部から港北ニュータウンまで答申された。
- (前掲書25ページより引用)
- と記載されている。さらに同書同ページ「2-6-3 計画鉄道のニュータウン内ルート」において、
- 停車駅 3号線 A.B.C.D.
- 4号線 E.B.C.
- 6号線 E.C.F
- (前掲書25ページより引用)
- という停車駅まで明記されている。なお、アルファベットと現在設置されている駅の対照は、A.中川、B.センター北、C.センター南、D.仲町台、E.北山田、F.都筑ふれあいの丘(本対照表は引用者の注記)である。
- 加えて、前掲書213ページでは、東京6号線のルートを目黒 - 都立大学 - 等々力 - 武蔵新城 - E - B - C - F - 中山と断定的に記している。
- 同書25ページ「2-6-2 計画鉄道の広域ルート」には「港北ニュータウンに関連する新設鉄道計画の通過地点及び建設予定年次は下記のとおりである。」として、「3)東京からの鉄道新線」が掲げられている。同書同ページの内容では
- ↑ 参議院建設委員会 - 2号 昭和45年12月3日 において、当時の運輸大臣橋本龍太郎は、河川を地下方式でくぐる場合の工事費用の増大を理由に、高架軌道により延伸する構想であることを明らかにしている。
- ↑ 鉄道ファン1976年8月号における東京都交通局の投稿でも、荒川を橋で渡ることになっている。
- ↑ 運輸大臣の諮問機関・都市交通審議会の委員で国鉄総裁でもある 磯崎叡 が、参議院予算委員会 - 4号 昭和48年3月16日 にて答弁。また自動車専用道路予定地の活用案については、磯崎をはじめ、運輸省鉄道監督局長 山口真弘 が衆議院予算委員会第五分科会 - 5号 昭和46年2月24日 にて同様のことを答弁している。
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 テンプレート:Cite journal
- ↑ 高島平方面を本線とすることが決定した段階で、蓮根橋方面へ至る計画は消滅している。
- ↑ 14.0 14.1 14.2 テンプレート:Cite journal
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