豊原市
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テンプレート:Infobox 豊原市(とよはらし)は、日本の領有下において樺太(南樺太)に存在した唯一の市である。
樺太庁及び豊原支庁が置かれ、日本領有下における政治・経済・文化の中心であった。市街地は、札幌市と同様、駅を中心とした「碁盤の目」状の都市計画によって建設され、市内には運動場を併設した公園や競馬場を有していた。住居表示は東西が「条」、南北が「丁目」となっていた。
人口の増加に伴い、空港の建設等を含む更に大規模な都市整備が計画されていたが、太平洋戦争の勃発により実現しなかった。1937年の市制施行により豊原市は旭川市に代わって日本最北の市となり、樺太が内地に編入された1943年以後を含めて、日本最北端の行政中核都市として機能していた。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太を、現状に関してはサハリン州またはユジノサハリンスクを参照。
目次
地理
沿革
- 1905年(明治38年)
- 1908年(明治41年)
- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、豊原町、豊南村、大富村、西久保村が行政区画として発足。豊原郡に所属し、豊原支庁が管轄。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 豊南村・大富村・西久保村が豊原町に合併。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により豊原町(一級町村)が発足。
- 1937年(昭和12年)7月1日
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 2月2日 - ソビエト、南サハリン州を設置して自国による領有を宣言。
- 6月 - ソビエト、豊原(トヨハラ)をユジノサハリンスクに改称。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日豊原市廃止。
経済
産業
地域
官公署
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[1]。
国民学校
- 樺太公立豊原第一国民学校
- 樺太公立豊原第二国民学校
- 樺太公立豊原第三国民学校
- 樺太公立豊原第四国民学校
- 大沢分教場
- 樺太公立唐松国民学校
- 樺太公立並川国民学校
- 樺太公立清川国民学校
- 樺太公立大富国民学校
- 樺太公立下並川国民学校
- 樺太公立軍川国民学校
- 樺太公立緑川国民学校
- 樺太師範学校附属国民学校
中等学校
- 樺太庁豊原中学校
- 樺太庁豊原高等女学校
- 樺太公立豊原市高等女学校
- 樺太公立豊原商業学校
高等教育機関
報道機関
金融機関
商業施設
- 大江戸百貨店豊原本店
- ウラジロミフカ百貨店豊原本店 - 創業者はロシア(白系ロシア人)系日本人。
- 三越百貨店旧豊原店(同建物は現在、サハリンデパートユジノサハリンスク本店)
- 丸井今井百貨店旧豊原店
その他
交通
空港
鉄道路線
道路
著名な出身者
脚注
- ↑ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1677、p. 1692 - 93