藤田紀子
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テンプレート:ActorActress 藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年(昭和22年)9月7日 - )は、大分県大分市出身の女優、タレント。本名・旧芸名、藤田 憲子(ふじた のりこ)。
来歴・人物
松竹時代は、映画やドラマでどこに出ているか確認困難な端役専門の女優であったが、1967年(昭和42年)に『雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり』に出演してからは、一部で注目され短いセリフのある端役を演じるようになった。
1970年(昭和45年)10月、当時屈指の人気幕内力士だった貴ノ花と結婚し、芸能界を引退。二児をもうけたが、2001年(平成13年)、不倫疑惑が報道される中で別居、後に離婚。芸能界に復帰した。
現在は女優、タレント、コメンテーターとしてメディア出演するほか、子育て、ライフスタイルをテーマに講演活動を行うなど、活動の場を広げている。相撲部屋の元おかみにして横綱の母親という経歴から、ワイドショーにおいて大相撲に関するコメントを求められることも多い。
2008年(平成20年)12月27日、芸名を本名の藤田憲子から藤田紀子に改名したことを公式ブログにて発表した[1]。
近年は、10代に始めたクラシックバレエのレッスンを再開。その他、ヨガやバランスボールなどで汗を流し、常にアンチエイジングと身体のメンテナンスに余念がない。
略歴
- 1967年(昭和42年) - 松竹入社。女優デビュー。
- 1970年(昭和45年 - 当時幕内だった貴ノ花と結婚する。芸能界を引退する。
- 1971年(昭和46年)- 長男の・勝(第66代横綱三代目若乃花、花田虎上)を出産する。
- 1972年(昭和47年) - 次男の光司(第65代横綱貴乃花、貴乃花親方)を出産する。
- 1982年(昭和57年) - 藤島親方(元・貴ノ花、後に二子山を襲名)が藤島部屋(後に二子山部屋)を興し、部屋のおかみとなる。
- 2001年(平成13年)- 離婚する。芸能活動を再開する。
- 2008年(平成20年)12月 - 芸名を本名の藤田憲子から藤田紀子に改名する。
- 2010年(平成22年)1月 - スペクター・コミュニケーションズ(代表取締役:デーブ・スペクター)に移籍する。
所属事務所
アクターズプロモーション倒産後、有限会社クレールを経て、2012年現在はスペクター・コミュニケーションズ(代表取締役:デーブ・スペクター)に所属。
エピソード
- 同郷(大分県出身)の歌手であるにしきのあきらが「自分の初恋の人」と藤田のことをテレビ番組で語ったことがあった。
- 30年間も50人~60人もの力士たちの料理を毎日作り続けていたため、離婚して部屋を離れてからは料理が大嫌いになってしまい、スーパーの出来合いのものを買ってくるという食生活をしていた。
- また、2005年(平成20年)愛のエプロンでキッチンを公開したのだが、3年間料理をしていないことも、食器乾燥機も取り付けただけで一度も使っていないことを明らかにした。
- 1995年頃から長男の若乃花と次男の貴乃花が異父兄弟であるという疑惑が語られており、『ノンストップ!』2014年1月17日放送分ではその疑惑についての詳細を語り、貴乃花がその疑惑を未だに真に受けていることも明かした。藤田は大沢樹生と喜多嶋舞の間に生まれた1長男が、大沢の実子ではないと報じられた話題が大きく上がっているのを目の当たりにしてDNA鑑定を行う構えも見せ、日刊スポーツの取材にも「疎遠になっている弟(貴乃花)が望めばすぐにでも」と話した。一方で疑惑に対する立場としては「わが家のデマはいつまでたっても消えない。私の子だし、父親は同じ。100%以上の自信がある」と答えている。[2]
主な出演作品
映画
- 雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり(1967年)
- みな殺しの霊歌(1968年)
- 進め!ジャガーズ 敵前上陸(1968年)
- 極道社員遊侠伝(1968年)
- 新宿育ち(1968年)
- 喜劇 大安旅行(1968年)
- 女の手配師 池袋の夜(1969年)
- 夜をひらく 女の市場(1969年)
テレビドラマ
舞台
著書
脚注
- ↑ 藤田憲子 心機一転?藤田紀子に改名テンプレート:リンク切れ スポーツニッポン 2008年12月28日
- ↑ 藤田紀子、若貴“異父兄弟説”を否定 nikkansports.com 2014年1月18日7時52分 紙面から