葉栗郡

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葉栗郡(はぐりぐん)は、かつて愛知県西北部にあった。人口31,684人、面積9.51 km²。(2003年:最終)

2005年平成17年)3月31日の時点では、木曽川町(きそがわちょう)が属していたが、2005年(平成17年)4月1日、同町が尾西市と共に一宮市に編入されたため消滅した。

過去、大正郡制廃止時に郡役所は葉栗村(昭和戦前に一宮市に合併)におかれていた。また戦後は北方村浅井町宮田町草井村などが属していたが宮田町と草井村は1954年昭和29年)6月1日丹羽郡2町と合併して江南市の一部となり、北方村、浅井町などは一宮市と合併した。

由来

郡名は字画のとおりの木が多数自生していた状態から名付けられたという説や、「ハグ(剥ぐ)・リ(古代の接尾語)」で「浸食されやすい自然堤防」を意味したという説などがある。

沿革

  • 1889年明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、葉栗郡に下記の村が成立。(13村)
    • 村久野村宮田村里小牧村玉ノ井村が成立。
    • 草井村・小杁(おいり)村・鹿子島村が合併し、小草鹿(おそしか)村となる。
    • 前飛保村・後飛保村・松竹村が合併し、飛保(ひぼ)村となる。
    • 東浅井村・西浅井村・江森村・西海戸村・大日比野村・小日比野村・河端村が合併し、浅井(あざい)村となる。
    • 黒岩村・大野村・極楽寺村・尾関村・河田村・前野村が合併し、瑞穂村となる。
    • 大毛村・高田村・島村・杉山村が合併し、大田島村となる。
    • 光明寺村・田所村・更屋敷村・笹野村が合併し、光明寺村となる。
    • 佐千原村・富塚村が合併し、佐千原村となる。
    • 北方村・中島村が合併し、北方村となる。
    • 曽根村・黒田村・門間村・内割田村・外割田村・三ツ法寺村が合併し、黒田村となる。
  • 1894年(明治27年)12月27日 - 黒田村が町制施行し、黒田町となる。(1町12村)
  • 1895年(明治28年)9月30日 - 小草鹿村が分割され、一部(草井)が草井村、残部(小杁・鹿子島)が小鹿(おしか)村となる。(1町13村)
  • 1900年(明治33年)7月9日 - 浅井村が町制施行し、浅井町となる。(2町12村)
  • 1906年(明治39年)
    • 5月1日 - (2町6村)
      • 大田島村、光明寺村、佐千原村が合併し、葉栗村が発足。
      • 飛保村・宮田村が合併し、宮田村が発足。
      • 草井村・小鹿村・村久野村が合併し、草井村が発足。
      • 浅井町・瑞穂村が合併し、浅井町が発足。
    • 5月10日 - (2町4村)
      • 黒田町の一部(曽根)を北方村に編入(境界変更)。
      • 黒田町の残部(黒田・門間・内割田・外割田・三法寺)・里小牧村・玉ノ井村が合併し、黒田町が発足。
  • 1910年(明治43年)2月10日 - 黒田町が改称し、木曽川町となる。
  • 1924年大正13年)2月15日 - 宮田村が町制施行し、宮田町となる。(3町3村)
  • 1940年昭和15年)8月1日 - 葉栗村が一宮市に編入し、郡を離脱。(3町2村)
  • 1954年(昭和29年)6月1日 - 宮田町・草井村・丹羽郡古知野町・丹羽郡布袋町が合併し、江南市が発足。郡より離脱。(2町1村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月1日 - 浅井町が一宮市に編入し、郡を離脱。(1町1村)
    • 4月1日 - 北方村が一宮市に編入し、郡を離脱。(1町)
  • 2005年平成17年)4月1日 - 木曽川町が一宮市に編入。同日葉栗郡消滅。
明治22年以前 明治22年10月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
草井村 小草鹿村 明治28年9月30日
分立 草井村
明治39年5月1日
合併 草井村
草井村 昭和29年6月1日
合併 江南市(一部)
江南市
(一部)
江南市
小杁村 明治28年9月30日
分立 小鹿村
鹿子島村
村久野村 村久野村 村久野村
宮田村 宮田村 宮田村 明治39年5月1日
合併 宮田村
大正13年2月15日
町制 宮田町
前飛保村 飛保村 飛保村
後飛保村
松竹村
大毛村 大田島村 大田島村 明治39年5月1日
合併 葉栗村
葉栗村 昭和15年8月1日
一宮市に編入
一宮市
(一部)
一宮市
高田村
島村
杉山村
光明寺村 光明寺村 光明寺村
笹野村
更屋敷村
田所村
佐千原村 佐千原村 佐千原村
富塚村
西浅井村 浅井村 明治33年7月9日
町制 浅井町
明治39年5月1日
合併 浅井町
浅井町 昭和30年1月1日
一宮市に編入
東浅井村
河端村
西海戸村
江森村
大日比野村
小日比野村
前野村 瑞穂村 瑞穂村
小関村
黒岩村
河田村
大野村
極楽寺村
北方村 北方村 北方村 北方村 北方村 昭和30年4月1日
一宮市に編入
中島村
曽根村 黒田村 明治27年12月27日
町制 黒田町
明治39年5月10日
境界変更
北方村に編入
黒田村 明治39年5月10日
合併 黒田町
明治43年2月10日
改称 木曽川町
木曽川町 木曽川町 平成17年4月1日
一宮市に編入
門間村
内割田村
外割田村
三法寺村
里小牧村 里小牧村 里小牧村
玉ノ井村 玉ノ井村 玉ノ井村

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葉栗郡(はぐりのこおり)は尾張国の郡。

安土桃山時代まで郡域は広かったが、1586年天正14年)の木曽川の大洪水により、美濃国との境に流れていた木曽川が葉栗郡内のほぼ中央を流れるようになった。この為、豊臣秀吉の命により、新しい木曽川を尾張国美濃国の境とし、美濃国側を羽栗郡に改称した。

この天正年間の木曽川の大洪水により、尾張国と美濃国の境が変更された地域は多く、尾張国葉栗郡中島郡海西郡(現海部郡)にて一部が美濃国羽栗郡(現各務原市南西部、羽島郡羽島市北部、岐阜市南部)、中島郡(現羽島市南部)、海西郡(後の海津郡、現海津市)に変更された。

テンプレート:尾張国の郡