谷沢川
テンプレート:Infobox 河川 谷沢川(やざわがわ)は、東京都世田谷区を流れる多摩川水系の一級河川である。
地理
武蔵野台地の南端部に位置する東京都世田谷区桜丘四丁目・五丁目付近の湧水と桜丘三丁目の旧品川用水の吐水の跡を源にし、上用賀地内の複数の湧水を合わせ、世田谷区中町を経由する。世田谷区等々力付近の国分寺崖線を切れ込むように侵食してできた等々力渓谷を流れ、この渓谷からは多量の湧水がみられる。世田谷区野毛付近で丸子川(六郷用水)と交差し、世田谷区玉堤で多摩川に合流する。
上流部のほとんどはコンクリート蓋による暗渠で、首都高速3号線下の田中橋付近から多摩川への合流口までが開渠となっている(上流の世田谷区桜丘三丁目付近にはわずかだが開渠が残っている)。
清流復活事業として仙川の水を同区岡本三丁目で取水し、生物濾過した上で用賀まで送り、谷沢川に導入する施設が造られたが、 冬季の渇水期にはほとんど水が導かれていないために現在も湧水を主にした流れができている。
歴史
かつて豊かな森林であった武蔵野台地に沿って流下する谷沢川も、近年の急速な宅地化に伴い水源の森は姿を消し、さらに生活排水が混入するなど、水量の減少と汚染が課題になっていた。
一方、下流部には等々力渓谷があり、周囲は急斜面になっているために宅地開発を免れ、かつての豊かな森の面影が残るこの周囲には比較的豊かな生態系が残されていた。東京都区部では唯一の渓谷として、1999年(平成11年)には東京都名勝に指定され、その環境が保全されるとともに、渓谷沿いに散策道が整備された。
また、中町より上流の流路は、大正〜昭和初期の玉川全円耕地整理によって人為的に変更され、直線化された。
中町より下流の谷沢川の流路は、上野毛付近を過ぎて東急大井町線の線路をくぐった後、現在のように等々力渓谷を流れることなく等々力駅東側で東急大井町線の線路を再びくぐり、逆川・九品仏川を経由して呑川に合流していたことが、地形・地質構造上明らかになっている。その成因には下記の2つの説がある。
前者の河川争奪説が一般的となっているが、両説とも決定的な証拠がなく、今後の調査が待たれる。
等々力渓谷
谷沢川が等々力付近の国分寺崖線を流下する際に削り形成した渓谷で、等々力駅付近から渓谷の佇まいを見え始める。台地面との標高差は 10m ほどである。周辺で宅地化が進んだ今もなお森林が残り、斜面の各所より湧水が見られる。渓谷沿いに歩道が造られ、等々力駅付近より多摩川合流点付近までの約1kmを散策できるようになっている。夏は周囲より涼しく、近隣住民に憩いの場を提供している。
1933年に多摩川風致地区に指定され、護岸整備と遊歩道の整備に着手し1936年に完成。1974年に横穴式古墳、等々力不動尊を含めた世田谷区立等々力公園として開園する。東京23区唯一の渓谷として東京都指定名勝となっている。
等々力渓谷の自然
急斜面に比較的豊かな森林が残っており、下記の野鳥を含めた動植物の生態系を支えている。なお、全域が鳥獣保護区に指定されている。
また、川では以下の魚が確認されている。
名所・旧跡・施設
- ゴルフ橋
- 玉沢橋(環八通り)
- 等々力渓谷横穴古墳 - 古墳時代末期から奈良時代にかけて形成された野毛地域の有力な農家の墓と推定されている古墳。完全な形で残っていた3号墳が発掘調査され、人骨とともに耳環や土器などが出土した。
- 稚児大師堂
- 稲荷堂
- 不動の滝
- 等々力不動尊
- 等々力児童遊園
- 弁天堂明王台
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等々力不動尊(2006年6月27日撮影)
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第3号横穴古墳
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稲荷堂
- Todoroki Keikoku Fudo no Taki.JPG
不動の滝
公共交通
東急大井町線等々力駅よりゴルフ橋まで徒歩数分。ゴルフ橋より下流方面に多摩川までの約1kmにわたり、散策路が整備されている。
脚注
- ↑ 貝塚爽平 『東京の自然史』 紀伊国屋書店、1964年
- ↑ 多摩川誌編集委員会 『多摩川誌』 財団法人 河川環境管理財団、第3編-第2章-第2節-2.3「谷沢川の付替え」、1986年