仙川

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テンプレート:Infobox 河川 仙川(せんかわ)は、東京都を流れる一級河川多摩川水系野川の支流である。「せんがわ」と称されることが多いが正式名称は「せんかわ」。

地理

上流側(人工河川部)

現在の上流部は人工的に作られたもので、狭い幅・浅い深さ・枯れ川に等しい水量・曲がり角が蛇行でなく直角であるなどにその証拠を残す。

東京都小金井市貫井北町三丁目の新小金井街道直下が「上端」と定められ、東京都による立札が設置されている。これより上流は新小金井街道より西が暗渠のため見られないが、サレジオ学園~情報通信研究機構本部(旧・通信総合研究所、さらに古くは電波研究所)に及んでいるとされる。暗渠化される以前は、畑と薮の中を延々と続く小渓谷を形成していた。サレジオ学園東側の分譲地あたりの道路がまだ舗装されていない昭和30年代後半から40年代前半には、周囲に湧き水を見ることができた。現在は道路も舗装され確認することができない。いずれにせよ21世紀の現在、仙川の源流は消滅している。コンクリート垂直三面張りの改修が施された流路の大半も、すでに20年以上にわたって常時水のない状態が続いており、半ば郷土の遺跡と化している(それ以前の水があった時代でも、流れているのはおもに生活排水であった)。

小金井団地東端、稲穂神社付近に「築樋(つきどい)」と呼ばれる、江戸時代に作られた水路同士の立体交差箇所があり、昭和初期のある期間、小金井用水(砂川用水〜深大寺用水の分水路)から仙川へ水を一定量落としていた。これは、当時「死の水」と称されるほど劣悪となっていた仙川の水質を少しでも緩和するためだったといわれる。小金井用水も水は流れていないが、築樋の立体交差は見ることができ、説明板も立てられている。

源流域からおおむね東に向かい、公務員住宅の横を流れ、市街地(北大通り北側歩道と重複する箇所は暗渠)を曲がりながら武蔵野市に入る。亜細亜大学桜堤団地の近くを流れ、南に向きを変え、武蔵境駅の少し東でJR中央本線の下をくぐり、市街地(一部暗渠)を曲がりながら抜けてゆく。このあたりでもふだん水のない状態は変わらない。やがて三鷹市に入る。

下流側(天然河川部)

三鷹市をしばらく行くと野川宿橋の所から川幅が広がり、流れも自然な蛇行となる。ここで地下から汲み上げた水を放流する。ここが21世紀現在確立された最初の水源である(正確には地下水汲み上げ場所である新川天神山青少年広場付近にある樋口取水場)。少しずつ蛇行しながらおおむね南東方向に流れてゆき、調布市に入る。

少し下流で再び三鷹市の境界に触れるが、そこで三鷹市東部下水処理場の高度処理水が放流される。水量もある程度のものになったところで、住宅地の広がる緑ヶ丘や仙川町を抜け、国道20号旧甲州街道と交差し、世田谷区に入る。

京王電鉄京王線と交差し、両岸に祖師谷公園を見て通り抜け、成城に達して成城学園の横を流れる。小田急小田原線をくぐり、成城の東を流れ、世田谷通りと交差して大蔵住宅の横を流れ東名高速と交差する。世田谷区鎌田で北西から流れ来る野川合流する。

世田谷区岡本三丁目には堰があり、水浄化施設へと水が送り込まれる。ここで浄化された水はそのまま仙川下流に流されるほか、地下導水管により谷戸川と谷沢川に送水している。

名称の由来

現在の三鷹市新川丸池公園にかつて丸池という湧水池があった(現在の丸池は2000年に復元されたもの)。たくさん水が湧いていたことから千釜と呼ばれていた。この千釜という言葉が仙川の由来といわれている。また、流域に仙人が住んでいた伝説からという説もある。

支流

支流には河川法上の河川はない。遊歩道に名前と姿を残すものでは、世田谷区北烏山地区から流れる中川が存在する。

流域の自治体

東京都
小金井市武蔵野市三鷹市調布市世田谷区

橋梁

ファイル:Senkawa start 2009.jpg
新小金井街道の上流端表記(小金井市貫井北町)
ファイル:Nogawa sengawa2008.jpg
野川に合流する仙川(世田谷区鎌田)

ほとんどの橋は1992年(平成4年)に完成した仙川改修工事によって架け替えられている。

関連項目

  • 仙川駅 - 東京都調布市にある京王電鉄京王線の駅。
  • 仙川町 - 東京都調布市にある仙川流域の地名。
  • 仙川 - 仙川駅を中心とした仙川町およびその周辺。中心部については仙川駅#駅周辺を参照。

外部リンク

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