笑福亭小松
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笑福亭 小松(しょうふくてい こまつ、1957年2月22日 - 2014年8月2日)は元落語家。本名は夏 東雁(하동안 / か とうがん、ハ トンアン)で、韓国籍。滋賀県草津市出身[1]。別名 夏川鴈二郎。
来歴・人物
兄弟弟子の笑福亭鶴瓶にかわいがられた。師匠から破門された際、他の弟子のように罵詈雑言を並べて怒鳴られることなく、逆に頭を下げられ「頼むから辞めておくんなはれ」と懇願される。1998年2月から130日かけて、鹿児島から北海道まで徒歩で全国縦断を達成。これが雑誌、新聞、テレビで取り上げられ、映画『勇気の3000キロ』のモデルにもなった。各地で「がん克服落語会」のチャリティー高座を開催した。
後述する略歴のとおり、落語家を廃業した現状が明らかとなっている。2009年4月の時点では、自費出版のCDを製作・発売しながら歌手活動を行っていることが、近況として伝えられていた[2]。2013年12月、快楽亭ブラックと大須演芸場で二人会を開き、満員札止め(140名超え)で復活をはたす。[3]。
2014年8月2日、急性心筋梗塞のため滋賀県草津市の自宅で死去[4][1]。57歳没。
略歴
- 1972年4月 草津市立草津中学校卒業後6代目笑福亭松鶴に10番弟子として入門。
- 1977年 破門され、東京進出。コロムビアトップに師事。青空一門の漫才師として青空ピン児と漫才コンビ「青空ピン児・ポン児」を結成。
- 1979年 NHK新人漫才コンクールで最優秀賞を受賞。
- 1982年 漫才コンビを解散。島田洋七の弟分となり、コアラと改名(現在「ハッピハッピー。」を名乗るタレントとは無関係)。大阪に戻り、上方落語界に復帰。笑福亭枝雁を名乗る。
- 1984年 芸名を笑福亭枝鴈に改名。
- 1986年 芸名を笑福亭小松に戻す。
- 1996年 覚せい剤取締法違反(使用)容疑で1度目の逮捕。
- 1997年 進行性胃がんで余命半年と告知され、胃・脾臓の全てと膵臓の半分を摘出。
- 2000年 「小松のらくだ」で文化庁芸術祭演芸部門優秀賞を受賞。
- 2006年 所属事務所の松竹芸能との契約を解除。上方落語協会により笑福亭一門の系図から外されて、落語家を廃業。
- 2007年 覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕(2度目)され、執行猶予付きの有罪判決。
- 2009年 執行猶予期間中の6月に覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕(3度目)された。[5]。9月、京都地裁で懲役1年6月の実刑判決を受けた[6]。
- 2014年8月2日、急性心筋梗塞のため死去。
著書
- 『日本列島徒歩縦断!がん克服落語会』(講談社、1998年)ISBN 4-06-209392-8
- 『吾輩はがんである』(講談社、2002年)ISBN 4-06-211561-1
- 『前略がん患者さま:ベテラン患者より、元気の出る噺を一席』(PHP研究所、2005年)ISBN 4-569-64196-2
脚注
- ↑ 1.0 1.1 元落語家の夏川雁二郎さん死去 朝日新聞 2014年8月03日閲覧
- ↑ 【あの人は今こうしている】 夏川鴈二郎さん(元落語家・笑福亭小松)(日刊ゲンダイ 2009年4月23日掲載)
- ↑ 胃がん、肺がん…波乱の元落語家、命の限り高座へ
- ↑ 悲しいお知らせ 消費税反対! 行政書士プラスワン中島マサヒコのブログ 2014年8月2日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite newsこの逮捕の報道をきっかけに、2006年の落語家廃業などの事実が明るみに出た。
- ↑ 覚醒剤使用の笑福亭小松に実刑判決 京都地裁、産経新聞 2009年9月11日