禅宗様
禅宗様(ぜんしゅうよう)は、日本の伝統的な寺院建築の様式の一つ。唐様とも言う。
鎌倉時代初期から禅宗寺院で取り入れられ始め、武士の帰依を受けたことで13世紀後半から盛んになった様式で、当時の中国建築の直写が目指された。従来の寺院建築様式である和様、また鎌倉時代初期にもたらされた大仏様に対する言葉。大仏様とは共通する部分も多く、あわせて鎌倉新様式または宋様式と総称される。
概要
飛鳥・天平時代に中国から伝えられた建築様式は、平安時代を通じて日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間が好まれるようになった。平安時代以降、日本化した建築様式を和様と呼ぶ。
平安時代後期になると、平清盛の大輪田泊対外開港など中国(宋)との交易が活発になったことで、再び中国の建築様式が伝えられた。まず入ってきたのは東大寺再興の際に用いられた様式で、大仏様と呼ぶ。
その後、禅僧が活発に往来し、中国の寺院建築様式が伝えられた。これは禅宗寺院の仏堂に多く用いられ、禅宗様と呼ぶ。
用語
大工の伝承では、寺院建築に和様・天竺様・唐様という区別が行われ、明治時代以降の建築史でも使用してきた。第二次世界大戦後、建築史家太田博太郎が「天竺様ではインドの建築様式と誤解される。大仏殿の復興に使われたので大仏様と呼ぶべき」「唐様は禅宗寺院に使われたので、禅宗様と呼ぶべき」と提唱し、現在の建築史では一般的に和様・大仏様・禅宗様が使われている。歴史教科書などでは、天竺様・唐様という呼び方も残る。
禅宗様の特徴
一部は大仏様の特徴にも通じる。
- 南北を基本軸とした東西対称の伽藍配置(例外あり)
- 仏殿は平面正方形で、間仕切りのない一室堂
- 屋根に強い反り。ただし裳階屋根の反りは小さい
- 放射状に垂木を置く扇垂木。ただし裳階は平行垂木が一般的
- 柱と柱の間にも組物を入れる詰組(つめぐみ)
- 和様では用いられなくなった三手先の使用(例外多し)
- 貫(ぬき)を使い構造を強化(長押は用いられず)
- 柱は丸柱で上下端をすぼませる粽
- 柱の下にそろばんの玉を大きくしたような形の礎盤を置く
- 柱の上部同士をつなぐ頭貫の上に水平材の台輪を置く
- '瓶子形の大瓶束(たいへいづか)の下部には結綿(ゆいわた)とよばれる彫刻がある。
- 木鼻(貫の先端)には繰り型といわれる装飾(渦巻、若草)を付けている
- 欄間は弓欄間(波欄間、火炎欄間とも)で連子子が弓型となっている
- 窓は上部に複雑な曲線の付いた火灯窓(花頭窓)
- 扉は四周の框と縦横の数本の桟を組み、桟と框の間に入子板を嵌め込んだ桟唐戸
- 壁は竪板壁で土壁は殆どない
- 床は土間床で、瓦の四半敷(目地が縦横の線に対し45度になる敷き方)で仕上げる
- 建物の外部には彩色をしない素木造りだが、内部はその限りではない
代表的な建造物
本格的な禅宗様建築は残っていないが、建築様式は忠実に継承された。
- 功山寺仏殿 - 国宝、鎌倉時代(1320年)建立、現存日本最古の禅宗様建築
- 善福院釈迦堂 - 国宝、鎌倉時代(1327年)建立
- 安楽寺八角三重塔 - 国宝、鎌倉時代末期建立
- 正福寺地蔵堂 - 国宝、室町時代建立(1407年)
- 清白寺仏殿- 国宝、室町時代(1415年)建立
- 円覚寺舎利殿 - 国宝、南北朝時代(15世紀中頃)建立
- 不動院本堂 - 国宝、戦国時代(1540年)建立
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善福院釈迦堂</span> - Anrakuji Hakkakusanjyuunotou BessyoOnsen.jpg
安楽寺八角三重塔</span> - Shofukuji Jizo Hall Left Front.JPG
正福寺地蔵堂</span> - SeihakujiiP9150350.jpg
清白寺仏殿</span>
書道における禅宗様
テンプレート:Main 書道史上においても、入宋留学僧や来朝僧らが伝えた、当時の中国で流行していた書風を禅宗様と呼んでいる。蘭渓道隆や一山一寧らの墨蹟が、その代表である。明朝の成立以後は、往来が途絶しがちになり、禅宗様に和様が混入し始め、折衷的な書風としての五山様が成立する。義堂周信や絶海中津らがその代表である。