大仏様

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大仏様(だいぶつよう)は、日本の伝統的な寺院建築様式の一つ。天竺様とも言う。

平重衡らによる南都焼討で焼け落ちた東大寺の再建の際、入宋経験のある僧重源によってもたらされた建築様式。従来の寺院建築様式である和様、また鎌倉時代後期から禅宗寺院に採用された禅宗様に対する言葉。禅宗様とは共通する部分も多く、あわせて鎌倉新様式または宋様式と総称される。

概要

治承4年(1180年平氏政権による南都焼き討ちによって東大寺は灰燼に帰した。後白河法皇は直ちに復興の意思を表し、勧進聖らに東大寺再建のための勧進活動への協力を求め、養和元年(1181年)、その責任者として重源を大勧進職(だいかんじんしょく)に任命した。

入宋経験があり建築事業にも詳しかった重源は、大陸式の新しい建築様式を導入し、大仏殿(焼失)・南大門などを再建した。その建築様式は非常に独特であり[1]、当時の中国(宋)の福建省周辺の建築様式に通じるといわれている。

重源没後、大仏様は急速に廃れたが、大仏殿再建に関わった職人は各地へ移り、大仏様の影響を受けた和様建築が生まれた。これは折衷様と呼ばれる。

大仏様・禅宗様で採用された貫(ぬき)は和様建築でも積極的に使われるようになり[2]、修理の際にも貫を入れ補強されることもあった。例えば法隆寺中門平等院鳳凰堂の翼廊部分は鎌倉時代の修理で付け加えられたもので、この補強があったために現在まで建物が残った可能性がある。

大仏様の特徴

一部は禅宗様の特徴にも通じる。

  • 野屋根がなく化粧垂木勾配が屋根勾配となる
  • 天井もない化粧屋根裏で垂木など屋根裏が見える
  • 屋根は本瓦葺
  • 角地垂木で一軒(ひとのき)
  • 四隅だけを放射状にする隅扇垂木
  • 貫(ぬき)を使い構造を強化
  • 柱に肘木を挿し込む挿肘木
  • 木鼻(貫の先端)には繰り型といわれる装飾を付けている
  • 尾垂木が組物から離れる遊離尾垂木
  • 扉は四周の框と縦横の数本の桟を組み、桟と框の間に入子板を嵌め込んだ桟唐戸。扉の軸を大仏様藁座が受ける
  • 柱は上辺3分の1から上へ少しずつ細くなっている
  • 窓は開口部に棒状の木などを縦または横に並べた連子窓
  • 床は板敷の場合縁を張り、土間床の場合縁は設けない。縁は敷居と平行に板をはる榑縁(くれえん)
  • 木部は丹塗、壁は土壁と板壁があり共に白塗

呼称

大工の伝承では、和様・天竺様・唐様の区別がなされ、明治時代以降の建築史で使用されてきており大仏様の呼称は存在しなかった。

第二次世界大戦後、日本建築史家の太田博太郎が天竺様という名称は「インドの建築様式と誤解されてしまう」と批判し、大仏様という名称を提案した。現在の建築史では一般的に大仏様が使われている。

しかし、大仏様という呼び方も創建当時(奈良時代)の大仏殿の様式と誤解される、また大仏様(だいぶつさま)という旧来からある言葉と衝突するという問題点も存在する。

代表的な建造物

日本本土

大仏様建築
  • 東大寺南大門 - 入母屋根(破風)や軒反りに和様化が見られるが構造に大仏様の特徴が見られる。
  • 東大寺開山堂 - 大仏様の影響が見られる。
  • 浄土寺浄土堂 - 大仏様の基準作。左右対称で無いなど和様化の片鱗が伺われる。
  • 醍醐寺経蔵 - 1939年焼失。屋根に瓦を葺かないなど大仏様の豪快さを押さえ周囲の伽藍に調和させる工夫がなされていた。
大仏様の影響が見られる建築
  • 元興寺禅室 - 奈良時代以前の古材を構造材の多くに再利用しているが、建築様式としては鎌倉時代の大仏様が見られる。
  • 唐招提寺鼓楼 - 和様を基調とするが、頭貫等細部に大仏様が見られる。仁治元年(1240年)建立。
  • 東大寺鐘楼 - 栄西による鎌倉時代の復興建築。純粋な大仏様ではないが大仏様の影響が見られる。
  • 東大寺法華堂礼堂 - 重源による鎌倉時代の復興建築。大仏様の影響が見られる。
  • 東大寺転害門 - 組物などに鎌倉復興期の修理で大仏様に改変された部分が見られる。
  • 吉備津神社本殿 - 岡山県にある比翼入母屋造の神社建築。室町時代建築であるが組み物に大仏様を用いる。
  • 東大寺大仏殿 - 江戸時代の再建であるが、大仏様の雰囲気を伝えている

沖縄諸島

  • 首里城守礼門 - 1945年沖縄戦で焼失。1958年再建。組物に大仏様を用いることでも著名で、天竺様式の建築として昭和8年、旧国宝指定された。

朝鮮半島

  • 浮石寺無量寿殿 - 高麗時代の建築で、中国南部や日本との交流をしのばせる。

中国大陸

  • 石松寺 - 福建省の寺院で、大仏様の様式を残す。

脚注

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  1. 建築面から再建過程を、詳細に著した『大厦成る 重源-東大寺再建物語』(広瀬鎌二、彰国社、1999年)がある、※大厦とは大建築をさす)
  2. 貫の技術自体は弥生から縄文まで遡る可能性がある古いものだが、従来の和様建築では用いられなかった。