碁聖
碁聖(ごせい)は
碁聖と呼ばれた人物
平安時代の寛蓮が最も早い時期に碁聖と呼ばれた人物とされる[1]。
江戸時代には本因坊道策と本因坊丈和が碁聖と呼ばれ、道策は「前聖」、丈和は「後聖」と呼ばれたが、明治37年の『座隠談叢』に「秀策ハ聖棋神手」と書かれ、同年の『秀策口訣棋譜』に「先師碁聖秀策」と書かれて本因坊秀策も碁聖と呼ばれるようになり、秀策が後聖と呼ばれるようになった[2][3]。
また、本因坊道知は、囲碁の名人であるだけでなく、将棋も上手(七段)並みで中将棋も抜群の強さであったため、争碁の相手だった安井仙角からも「盤上の聖」と呼ばれたと伝えられている。[4]。
なお、囲碁の最高段位は名人の九段で、囲碁九品の「入神」にあたるとされ、タイトル戦の前の名人は「棋聖」や「碁聖」と称される場合があった[5]。
中国出身で日本で活躍した呉清源は「昭和の碁聖」と呼ばれている[6][7]。
碁聖戦
- 主催 新聞囲碁連盟(加盟12社:河北新報、新潟日報、信濃毎日新聞、静岡新聞、北國新聞、京都新聞、中国新聞、四国新聞、高知新聞、熊本日日新聞、南日本新聞、沖縄タイムス)、日本棋院、関西棋院
- 協賛 (第17-30期)日本IBM、第31期-レノボ
第4期までは5人のリーグ戦によって挑戦者を決定し、タイトル保持者と挑戦手合五番勝負で優勝者を決定。第1期は全日本第一位の大竹英雄と決勝五番勝負。第6期からは、トーナメント戦勝ち抜き者とタイトル保持者と挑戦手合五番勝負。トーナメント決勝は、第5-7期は三番勝負、8期以降は一番勝負。
長年七大タイトル戦の中で唯一、出場資格に制限があった。(日本棋院では37期まで五段以上、関西棋院では31期まで五段以上)。 碁聖を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、60歳以降に名誉碁聖を名乗る権利を得る。2012年現在名誉碁聖は2名おり、 大竹英雄が6連覇を達成し2002年より、小林光一も6連覇達成により2012年より、名乗っている。 なお大竹は前身の日本棋院第一位決定戦、全日本第一位決定戦でもこのタイトルに強く、全日本のタイトルは一度も大竹以外の手に渡ったことはなかった。
戴冠者は13名いるが、4名以外は2期以上獲得しており、大竹英雄(7期)・小林光一(9期)・依田紀基(6期)・張栩(4期)の4人だけで通算26期獲得している。
歴代碁聖位と挑戦手合
◯●は勝者から見た勝敗、網掛けはタイトル保持者。(第1期は全日本第一位に挑戦)
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脚注
- ↑ 『囲碁の文化史』108頁。同著に依れば、寛蓮が碁聖と呼ばれたことは一条兼良の『花鳥余情』に書かれている。
- ↑ 『丈和』245頁
- ↑ 『秀策』275頁
- ↑ 『道知』249頁
- ↑ 『秀栄』274頁
- ↑ 中山典之『昭和囲碁風雲録(下)』(岩波書店)
- ↑ 『囲碁の文化史』188頁
参考文献
- 石田芳雄・田村孝雄・林裕『秀策』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1976年、275頁。
- 坂田英男・藤三男・林裕『道知』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1975年、249頁。
- 高川格・村上明・林裕『秀栄』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1976年、274頁。
- 林裕『囲碁百科辞典』金園社、1975年、60頁。
- 藤沢秀行・相場一宏・林裕『丈和』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1976年、245頁。
- 水口藤雄『囲碁の文化史』日本棋院〈碁スーパーブックス〉、2001年、108、144、160、188頁。