百済考古遺跡
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百済考古遺跡(くだらこうこいせき)は古代朝鮮百済王国の考古学的な遺跡を紹介する。
漢江流域
- 都城遺跡
- 夢村土城(ソウル特別市江東区芳夷洞)
- 風納洞土城(ソウル特別市江東区風納洞)
清州
ファイル:BaekjeMuseum.jpg
百済古墳群資料館
- 上党山城(상당산성:Sangdangsanseong)
清州市街に隣接する山の頂上に築かれた周囲長約4kmの城壁に囲まれた広さ約180万m²の山城。正確な築城時期は不明であるが、「三国史記」に記述あり。500年以上の歴史があると考えられる。城壁の内部は集落があり、食堂、土産物屋等もある。車、路線バスで行くこともできるが、環状道路沿いに有る国立清洲博物館近くの登山道入り口より約90分で城壁まで登頂することもできる。
新鳳洞地区にある百済時代の古墳群と資料館
公州
- 王宮跡
- 熊津王宮址(公州市公山城史跡公園)
- 寺院跡
- 大通寺(公州市班竹洞)
- 水源寺(公州市玉龍洞、水原谷)
扶余
- 王宮跡
- 泗沘王宮址(扶余邑官北里、双北里一帯と推定)
- 扶蘇山城(扶余邑扶蘇山、推定王宮址の後背地)
- 寺院跡
- 定林寺址(扶余邑内)五層石塔(百済塔)が残る-中国南朝の梁は541年に仏典や画家などを百済に送ったとの記録があり、梁からの技術者が新しい都にふさわしい施設として造ったと考えられている
- 軍守里寺址(扶余邑内)
- 王興寺址(忠清南道窮岩面新里の蔚城山山腹)