田野畑村
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田野畑村(たのはたむら)は、日本の岩手県下閉伊郡にある、太平洋に面した村である。
目次
地理
自然
隣接する市町村
- cf. 岩手県の市町村全図 :≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
歴史
- 貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日) :三陸沖で貞観地震が発生し、これに伴う津波によって大きな被害が出た。
- 慶長16年10月28日(1611年12月2日) :三陸沖で慶長三陸地震が発生し、これに伴う津波によって大きな被害が出た。
- テンプレート:Anchors1896年(明治29年)6月15日 :三陸沖で明治三陸地震が発生し、これに伴って起こった津波(明治三陸大津波)に襲われた三陸海岸一帯(田野畑村を含む)は甚大な被害を受けた。
- 1933年(昭和8年)3月3日 :三陸沖で昭和三陸地震が発生し、これに伴って起こった大津波による被害甚大。
- 1955年(昭和30年)5月2日 :北山崎と鵜ノ巣断崖が陸中海岸国立公園(現・三陸復興国立公園)の指定地域の一つとなる。
- 1997年(平成9年)2月 :当時の埼玉県川本町(現・深谷市)と友好町村提携。
- 2002年(平成14年)10月14日 :鉄道の日、田野畑駅が「東北の駅百選」に選定される。
- 2006年(平成18年)2月17日 :机浜漁村番屋群が、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選定される。
- 2011年(平成23年)3月11日 :マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。震度4にとどまった田野畑村(観測地点:田野畑村役場、田野畑村田野畑)であったが[2]、この地震が引き起こした大津波によって被災し、死者・行方不明者40人を出した[3][4]。 cf. 東日本大震災。
- 村域にある島越駅(三陸鉄道北リアス線)は高さ約10mの鉄筋コンクリート製橋梁の上に設けられた高架駅であったが、津波に呑み込まれて駅舎・プラットホーム・線路が全て流失。橋脚の一部の残骸を残すのみとなった[5]。
- 人口約4,200人の1割にあたる約400人が漁業関係の就労者で、漁師180人のうち60歳以上が約80人という田野畑村であるが、漁船565隻中の512隻、漁協事務所、魚市場、養殖施設などが流失し、漁業関係の被害額だけで村の財政規模の約2倍にあたる76億円と推算されることから、自力での復興は困難と考えられる(4月21日の取材)[6]。
- 明治三陸大津波で打ち上げられたと言い伝えられる羅賀地区の「津波石」に、津波が再び到達した。岩が動くことはなかったが、羅賀の住宅約150棟のほぼ半数が全壊し、地区住民約450人のうち9人が行方不明となった(取材は4月13日)[1]。
- 4月9日 :この時点で田野畑村は、住宅約200棟全壊。死者14人、行方不明者25人、避難者347人。[7]
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
- 1889年(明治22年)4月1日 :村制が施行され、旧・田野畑村、浜岩泉村、沼袋村が合併し、北閉伊郡田野畑村が成立。[8]
- 1896年(明治29年)3月29日 :北閉伊郡・中閉伊郡・東閉伊郡が合併して下閉伊郡となったことに伴い、田野畑村は下閉伊郡所属となる。
行政
姉妹都市・友好都市
テンプレート:Flagicon深谷市(埼玉県) :1997年(平成9年)2月、旧・川本町と友好町村提携。
地域
人口
教育
- 田野畑村立田野畑小学校
- 田野畑村立田野畑中学校
産業
水産業
郵便局
- 田野畑郵便局(集配局)
- 沼袋郵便局
- 島越郵便局(津波被災閉鎖中)
- 平井賀郵便局(津波被災閉鎖中・近くの旧羅賀小学校に臨時窓口を設置)
交通
鉄道
バス
道路
地域高規格道路
一般国道
道の駅
県道
主要地方道
一般県道
名所・旧跡・観光
その他の関連事象
脚注・出典
関連項目
参考文献
外部リンク
- テンプレート:Cite web
- 国土地理院、地形図閲覧システム
- テンプレート:Cite web岩手県の市町村全図。