田中駅
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テンプレート:Otheruseslist テンプレート:駅情報 田中駅(たなかえき)は、長野県東御市田中にあるしなの鉄道線の駅である。
歴史
田中駅は信越線沿線の住民および事業者のみならず、諏訪地域の蚕糸業者も利用した。
彼らは、信越線開業までは甲州街道を利用して甲武鉄道の八王子駅まで輸送していたが、当駅の開業後は和田峠を越えて当駅まで陸送するようになったことにより、当駅から生糸の輸出を行う横浜まで鉄道による直送が可能となった。しかし、諏訪地域から当駅まではなお距離が遠く不便であったことからより近い場所に駅を設置するための陳情が行われた。1896年(明治29年)1月に同駅と上田駅との間に大家駅[1]が設置されたことにより、以降は同駅を利用するようになった[2]。
年表
- 1888年(明治21年)12月1日 - 官設鉄道信越線の駅として開業(一般駅)する。
- 1982年(昭和57年)9月10日 - 専用線発着を除く車扱貨物の取扱いを廃止する。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱いを廃止する。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 長野新幹線開業に伴う経営分離により、JR東日本の駅をしなの鉄道が継承する。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 貨物列車の設定が廃止される。
- 2002年(平成14年)4月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱が終了する。
- 2009年(平成21年)11月16日 - 駅南口ロータリーおよび南北自由通路の供用を開始する[3]。
駅構造
単式ホーム1面1線(上り本線)と島式ホーム(下り本線と中線)を有する地上駅で、社員配置駅である。駅舎は単式ホーム側(北側)にある。ホームの嵩上げや南口および連絡橋が設置され、利便性が向上した。
かつては、駅南側にあったコスモ石油の油槽所へ至る専用線が駅から分岐しており、当駅では四日市駅から到着する石油の取扱いがあった。また、特急「あさま」の一部が停車する駅でもあった。
利用状況
- 2001年度 528,315人 : 1,447人/日
- 2002年度 523,626人 : 1,435人/日
- 2003年度 497,877人 : 1,360人/日
- 2004年度 482,513人 : 1,322人/日
- 2005年度 475,788人 : 1,304人/日
- 2006年度 474,969人 : 1,301人/日
- 2007年度 467,354人 : 1,277人/日
- 2008年度 456,385人 : 1,250人/日
- 2009年度 453,572人 : 1,243人/日
駅周辺
- エフエムとうみ
- 海野宿
- 国道18号
- ゆうふるtanaka
- 長野県東御清翔高等学校
- 東御郵便局
- 東御市役所
- 東御市役所バス停(国道18号線沿い、徒歩約7分)
- 千曲バス/近鉄バス 千曲川ライナー 大阪(あべの橋バスステーション)行
- 千曲バス/西武高原バス 池袋 - 軽井沢・佐久・小諸・上田線 池袋・新宿行
- 佐久上田線 上田駅 - 小諸駅 - 佐久平駅 - 臼田勝間
- 東御市役所バス停(国道18号線沿い、徒歩約7分)
- 田中商店街
- 東部湯の丸サービスエリア(車で約5分)
路線バス
- 千曲バス
- 田中駅 - 市民病院 - 祢津小学校 - 新張 - 奈良原(土曜・休日運休)
- 田中駅 - 市民病院 - 和小学校 - 東田沢 - 東入(土曜・休日運休)
- 東信観光バス
- 田中駅 - 北御牧総合支所前 - 畔田 - 望月(土曜・休日運休)
エピソード
2011年(平成23年)12月4日、当駅名と同じ姓をもつテレビ番組制作会社の田中匡史が駅構内にて結婚式を執り行った。また、このさい新婦が西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線に所在する駅名と同じ姓であったことから、当該駅にて「嫁入り」セレモニーをあわせて執り行っている[6]。
隣の駅
- しなの鉄道
- テンプレート:Colorしなの鉄道線
- テンプレート:Color快速(「しなのサンライズ」除く。)
- 小諸駅 - 田中駅 - 大屋駅
- テンプレート:Color快速「しなのサンライズ」(下りのみ運転)・テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速(「しなのサンライズ」除く。)