熟女 (アダルトビデオ)
テンプレート:性的 熟女(じゅくじょ)とは、アダルトビデオにおいては、おおむね30歳以上の女性を表す言葉(年齢上限は定かではない)。
熟女に相当する年齢層の女性は男性より性に対して積極的かつ大胆になったり、経験により男性によりやさしく接することができるというイメージにより、作品のテーマも人妻と若い男性といった物が多い。
熟女を扱ったビデオや写真集は、若い男性から熟年男性まで幅広いファンがいるが、若い男性がこれらの愛好者であることが知られた場合、「マザコン」などと揶揄されたりすることもある。このような嗜好はフロイト学派の精神分析では 幼児期に母親の愛情を十分受けられたかった、もしくは逆に愛情過多に起因する精神的病理 (性的倒錯) [1]として理解されることもある。
歴史
もともとは無名女優主演作品しかなかったが、1998年に牧原れい子、1999年に川奈まり子がデビュー、2003年にはマドンナ、2006年には溜池ゴローといった熟女作品に特化したメーカーも誕生した。
2009年にはジャズシンガーの真梨邑ケイが53歳でAVデビューして話題を呼んだ[2]。
2012年現在、単体作品に出演している熟女AV女優はおよそ150人で1000本を越えるとヒット作とされる。動画配信やレンタルを除いた売り上げは50億円市場となっており、AV市場の1割に迫る勢いとなっている[3]。またここ3年ほど、60歳以上のAV女優も増えている[4]。
AV界では1999年に第1次熟女ブームが、2005年に第2次熟女ブームがあり、2012年現在、第3次熟女ブームの最中だといわれている[5]。
特徴
アダルトビデオでの特徴は次のとおり。女優に対しては、まともな女性ならば当然わきまえているであろう羞恥心や社会的常識の欠如した特異な人格の持ち主としての役割を演じることが強いられることがある(後述)。
視聴者より年上のAV女優が性行為で乱れる様子を、視聴者自身の周囲に居る女性に重ね合わせて観賞することが多い。性の快感を貪欲に貪る姿には圧倒的な迫力がある
- 学校の先生に重ね合わせたものが「教師物」、母や姉に重ね合わせたものが「近親相姦物」となる。社会的・文化的に規定される役割や倫理を逸脱したパーソナリティとしての演技が求められる例。特に近親相姦はインセスト・タブーという最大限の倫理への挑戦であり強いインパクトを視聴者に与えることになる。
年齢的に十分性経験があるものとみなされ、また羞恥心などに鈍感であることが前提とされ一般に若いAV女優よりハードな性行為を要求される。
- 公衆の面前での脱衣・歩行、野外での排尿や脱糞など、正常な女性に対しては到底要求出来ない公序良俗に反する人格破綻者としての役割を強いられる例。(場合によっては公然わいせつ罪で捕まる危険性を含む)
- 年齢と性経験のギャップを狙った作品(作品例:30歳処女喪失)もある
真性中出しも普通に行われ、閉経以降の熟女ではピルなしでの中出しも行われる(性病への危険性の無視。逆に男優がコンドームを使う場合、女優が性病に罹患していると判断している有徴となる)。
SMのビデオでは、S側では「熟女」、M側では「オバサン」(「おばはん」)と呼び名が変わる。Mの「オバサン」は人間として扱われない演出を徹底する(作品例:犬とおばさん)(家畜並みの処遇)
豊富な経験に基づいて優しく性行為の手ほどきをすることから、男性に初めての性交をさせる童貞喪失ものでも人気が高い。
近年のAVでは、年齢の逆サバ読みという現象もおきている
熟女AVの社会的布置
アダルト作品を含めたポルノがメディアに登場して40年位経つが、熟女ビデオが登場する以前、演じ手のほとんどは10~20歳代初期の妙齢の女性であった[6](2002年に創刊された週刊特報(洋泉社)でカメラマンの松田耕造は、三十路の女性を撮りたいと編集部に提案したが、当時10代、20代前半がグラビアの主流であり、商品価値がないと判断されたという[7]。)。
一般に女性の思春期のAVへの出演[8]はある種の「若気の至り」として総括され、AV嬢のライフステージは、その後の人生においては相応の偏見やスティグマを負いながらもそれを乗り越える主体的努力で人間的に成長し、やがて主婦や母親として社会に受け入れられていくという正常化の物語としてイメージされていた。
ところが熟女AVに出演する女性の多くは思慮分別が求められて然るべき年代に突如女優としてデビューし、あられもない痴態をカメラの前に晒すことになる。公表されるその属性や経歴については主婦、事務員、看護師とかいった一般的な女性(ときには医師とか教師といった専門職の場合もある)であるとされている[9]。男性の視聴者は彼女たちの言辞の虚偽を承知しつつも自分たちが実際の社会生活で出会う女性にイメージを重ね合わせ非日常性の世界で展開される痴態に妄想を膨らますのである。それと同時に彼らは女優たちの演技の「自然さ」や「わざとらしさのなさ」に戸惑いを感じながらも、表情・立ち振る舞い・言葉遣いなどの場面々々で示される微妙な身体技法の違いから貞淑で身持ちが固いと信じている自分の妻や恋人との違いを感じとろうとし、それに成功すると安堵することになる。
熟女AV女優にとって中年期でのAVへの出演は20代の女性たちとは比べることの出来ない大きなリスクを伴うことになる。20歳でのAV出演の場合、街中のスカウトの巧言を見抜けなかった幼さ・無知さに対する同情により責任の一部は免責されるが、熟女AV女優の場合、全ての責任を一身で負わなければならない。彼女たちは自らを女優として認識し[10]、行う性行為をあくまでも演技として合理化しようとするが、世間からは特異なパーソナリティの発露としか理解されない。特に同性の女性たちの評価は厳しく、もはや地域社会のコミュニティやPTA・自治会・同窓会への参加は彼女たちの冷たい視線に耐えなければならなくなる。ここにはラディカル・フェミニスト達が指摘してきた女性に対する抑圧の主体は常に男性であるというテーゼそのものが成立しない。特に子持ちの場合[11]、子供たちが受けなければならないであろう代償の大きさは計り知れない。この一方、熟女女優のなかには自らブログを立ち上げ、自分のパーソナリティや経歴を積極的に公開し、ファンとの交流の機会を設けることで逆にスティグマを押し返そうとする剛の者もいる。
中年でのAV出演とはそれまで築き上げてきた人生の信用・評価・人格判断の全てと引き換えにする挑戦であり、男性陣はそれに見合う代償があまりに少ないであろうことを推測し同情するのである。
これまでこれら熟女AV女優が現実にどのような状況にあり、いかに人生を歩んでAVに出演するまでに至ったか解明する試みは社会学的に殆どなされてこなかった。人生の一時期AVに出演するという意味は上記のようなステレオタイプされた逸脱から正常へ向かう社会化の過程のみでは捉えることは出来なくなっている。彼女達が作品中で自分の半生を語るナラティブにおいてどのように自己をアイデンティファイし、自我の形成過程を理解しているか、エスノグラフィとして貴重な資料を提供しているといえよう。
なおAV女優を基準で見れば「27歳を過ぎれば熟女」が不文律とされる[12]。
参考図書
- ポルノ・買春問題研究会編 2003年 『キャサリン・マッキノンと語る』 不磨書房 ISBN 978-4797290646
- 1999年 『フェミニズム理論辞典』 (明石書店)ISBN 4750311723
- 吉沢夏 1997年 『女であることの希望 ラディカル・フェミニズムの向こう側』(勁草書房)ISBN 9784326651993
- 2007年 『ポルノグラフィ防衛論』(ポット出版)ISBN 9784780801057
- アンドレア・ドゥウォーキン 1991年 『ポルノグラフィ―女を所有する男達』 (青土社) ISBN 9784791751280
- Nadine Strossen Defending Pornography: Free Speech, Sex and the Fight for Women's Rights (ISBN 0-8147-8149-7)
- Nadine Strossen Speaking of Race, Speaking of Sex: Hate Speech, Civil Rights, and Civil Liberties (ISBN 0-8147-3090-6).
- Ulrich Beck 1998年 Risikogesellschaft auf dem Weg in eine andere Moderne. Suhrkamp.
脚注
関連項目
外部リンク
- 根村直美2001「ポルノグラフィに関する一試論――哲学・倫理学における議論を中心に」 『ジェンダー研究』第4号(インターネットに公開されているポルノグラフィに対する学術研究論文)