さいたま市立浦和南高等学校
さいたま市立浦和南高等学校(さいたましりつ うらわみなみこうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市南区辻六丁目にある公立高等学校。
概要
1963年4月、浦和市立常盤中学校(現・さいたま市立常盤中学校)内の仮校舎で開校。2013年に創立50周年を迎えた。
2年次に行われる海外研修旅行(修学旅行)は、全員がオーストラリアへ行く。
2012年から、ニュージーランド・エレスメアカレッジと姉妹校提携。
2013年度入学生から「進学重視型単位制高校」に移行し、55分6時間授業を採用している。1年次の英語・数学などで少人数授業が行われ、2年次から文系・理系の2類型に分かれる。
名称
元々は「浦和市立南高等学校」の名称であったが、2001年(平成13年)に浦和市・大宮市・与野市の合併に伴い現在の校名に変更された。地元では浦和南や南高と略称で呼ばれることが多い。
部活動
サッカー部
- 全国高等学校サッカー選手権大会 出場11回・優勝3回
- 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ) 出場10回・優勝1回
など高校サッカー界における古豪である。松本暁司監督の下で昭和44年度に全国高等学校サッカー選手権大会・全国高等学校総合体育大会・国民体育大会(当時は単独チームで出場)の高校サッカーの3大タイトルを制覇した(国体は現在、都道府県選抜チームによる競技となっている)。この頃の活躍が漫画『赤き血のイレブン』のモデルとなった[1]。
1980年代中頃を境に県予選での敗退が続いており、高校選手権は2001年の第80回大会、インターハイは1990年に宮城県で開催された第26回大会への出場を最後に大会から遠ざかっている。2013年、埼玉県立浦和東高等学校を率いていたOBの野崎正治が監督に就任し[2]、2014年の新人戦では25年ぶりに準優勝に導いた[3]。
ユニフォームは永井良和らを擁して三冠を獲得した当時は赤色のものを着用し、2014年の時点でも同様のユニフォームを着用しているが[3]、田嶋幸三や水沼貴史らを擁して高校選手権連覇(第54回大会、第55回大会)を達成した当時はクリーム色のものを着用していた[4]。
軟式野球
浦和南高校は硬式野球がなく、軟式野球しか野球部はない。しかも校庭はほとんどサッカー部に使われ、残り少ない練習場所をソフトボール部と分け合って使っている。だが県内ではかなりの強豪校で関東大会にも出場している。
進路
例年、約85%は現役で大学に進学し、国公立大学へは数名が進学している。
アクセス
著名人
サッカー
- 永井良和 - 元サッカー選手(古河電工所属)、指導者、元サッカー日本代表
- 斉藤和夫 - 元サッカー選手(三菱重工所属)、指導者、元サッカー日本代表
- 福家三男 - 元サッカー選手(富士通所属)、指導者、川崎フロンターレ強化本部長
- 関口久雄 - 元サッカー選手(三菱重工所属)、解説者、元サッカー日本代表
- 奥田卓良 - 元サッカー選手(読売クラブ所属)、指導者
- 田嶋幸三 - 元サッカー選手(古河電工所属)、指導者、日本サッカー協会専務理事・前技術委員長、元サッカー日本代表
- 菅又哲男 - 元サッカー選手(日立製作所所属)、指導者、元サッカー日本代表、柏レイソルチーム統括部長
- 野崎正治 - 元サッカー選手(埼玉教員所属)、指導者、本校サッカー部監督。元サッカー日本代表候補
- 河崎淳一 - 元サッカー選手(住友金属所属)、指導者
- 加瀬仁 - 元サッカー選手(日立製作所所属)
- 水沼貴史 - 元サッカー選手(日産自動車所属)、指導者、元サッカー日本代表
- 田中真二 - 元サッカー選手(日産自動車所属)、指導者、元サッカー日本代表
- 田橋勝秀 - 元サッカー選手(日立製作所所属)
- 大熊清 - 元サッカー選手(東京ガス所属)、指導者、大宮アルディージャ監督
- 山崎茂雄 - サッカー指導者、大宮アルディージャユース監督
- 田口禎則 - 元サッカー選手(浦和レッドダイヤモンズ他所属)、指導者、元政治家、なでしこリーグ実行委員長兼総務主事
- 林容史 - サッカー選手、栃木ウーヴァFC所属
- 大橋良隆 - サッカー選手、AC長野パルセイロ所属
- 永田拓也 - サッカー選手、浦和レッズ所属。在学時は同校サッカー部ではなく浦和レッズユースに所属