浅井慎平
テンプレート:Infobox 人物 浅井 慎平(あさい しんぺい、本名: 浅井 愼平、1937年7月1日 - )は、日本の写真家、俳人である。海岸美術館館長、大阪芸術大学大学院教授。芸能事務所三桂所属。
目次
人物
愛知県瀬戸市出身。愛知県立旭丘高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科中退。
写真家としては、三和酒類の麦焼酎、いいちこの広告写真などで知られるほか、ビートルズの来日時には行動に密着、写真集「ビートルズ東京 100時間のロマン」として出版した。また、浅井はコメンテーターとしてしばしばテレビ出演するほか、俳人として数冊の句集を発表している。
「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている[1]。またサンデーモーニングでは政治的発言も多い。
経歴
4歳から名古屋市中区大須育ち[2]。大学進学に伴い東京に移るも、大学は1960年(昭和35年)に中退した。
1984年(昭和59年)から1994年(平成6年)までテレビのクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』(テレビ朝日)に。男性軍キャプテンとしてレギュラー出演。同番組のメインである「16分割クイズ」においては、わずか1枚開いただけで正解に導くことが多々あり、「16分割の鬼」と番組内で言われた。
1991年(平成3年)5月には千葉県安房郡千倉町に美術館 「海岸美術館」を設立、同館長に就任している。
2012年(平成24年)1月には中京都の中京独立戦略本部本部員に就任。
趣味・特技
雲を見ること、風に吹かれること。少年時代は化石に取りつかれたという。化石が出ることで有名な岐阜県の山を訪ね、恐竜時代の化石ウミユリに出会った。土の中に渦を巻いた骨のようなものを発見し、「なんだこれは ? 」と驚愕したという。ウミユリの後ろにある何億年という時間があると子供なりに理解し、それを自分が発見したという喜びは、現実の自分に考えられないようなそれまで持っていなかった感覚が誕生したようで、ロマンがあったと回顧している。
著書
- 九月の珊瑚礁 (1979年)
- 浅井慎平・人と作品 (1979年)
- キッドナップ・ブルース (1982年)
- Winds collection (サンリオ出版、1983年)
- カメラはスポーツだ―フットワークの写真術 (1977年)
- 気分はビートルズ (1976年)
- 風の中の少女たち―When I was young (1983年)
- 84ブラザーカップ新体操写真集 浅井 慎平 (1984年)
- FOODS [食物] (1985年)
- 原色スポーツ図鑑 (1985年)
- SHADOW―壜のなかの青い晩夏 (1986年)
- 遥かな青い水 (1990年)
- 二十世紀最終汽笛 (1993年)
- 城景―TIME‐MACHINE STATION (1995年)
- 猫たちよ! (1995年)
- 銀河鉄道「水族館」駅 浅井 慎平 (1997年)
- 銀河鉄道「植物園」駅 浅井 慎平 (1997年)
- HOBO―SHIMPEI’S GEOGRAPHIC (1997年)
- Hobo (1997年)
- セントラルアパート物語 (1997年)
- 銀河鉄道「動物園」駅 浅井 慎平 (1998年)
- 早稲田界隈 (2000年)
- 通り過ぎた町 (2001年)
- 原宿セントラルアパート物語 (2002年)
- 写文集・風の中の島々 (2004年)
- 巴里の仏像 (2007年)
- 反・鈍感力 (朝日新聞社、2007年)
ほか
写真・翻訳
- The Beatles in Tokyo 1966 (ジャパン・タイムズ、1995年)
映画
- 『キッドナップ・ブルース』(ATG、1982年)監督・脚本・撮影・照明
入選・受賞
- 日本広告写真家協会APA賞 (1965年)
- ADC賞及びADC最高賞 (1977年、1978年、1981年)
- ACC特別賞 (1980年)
- 千葉県文化功労賞受賞 (1994年)
- 千葉県建築文化賞受賞 (海岸美術館に対して、1995年)
他多数
出演番組
テレビ
- サンデーモーニング(TBS、日曜8:00-9:55)
- ムーブ!(朝日放送、金曜15:49-17:54 番組そのものは平日帯)
- スーパーサタデー(東海テレビ、土曜9:55-11:25)
- 象印クイズ ヒントでピント(テレビ朝日、日曜19:30-20:00)※1984年10月 - 1994年9月まで男性軍キャプテンを務めた。
- ぶらり途中下車の旅 『京成電鉄』編(1995年1月、日本テレビ)
- スポーツワイドショーNumber(サンテレビジョン、土曜22:00-22:54、1981年-1982年)
- 制作2部青春ドラマ班(テレビ朝日、1987年)
- 11PM (読売テレビ)
- 人生が変わる1分間の深イイ話 (日本テレビ、2011年11月28日) - バラエティ番組初出演
ラジオ
テレビCM
CD・レコード
- 波〜サーフ・ブレイク・フロム・ジャマイカ(1977年)
- 湘南哀歌(CBSソニー、1979年)
- 赤とんぼ イン・ニューヨーク(ビクター、1995年)※プロデュース
- 東京ノスタルジー(キング、1999年)
- ハワイアンコンピレーション『BLUE』(ポニー・キャニオン、2001年)※プロデュース
- Café Saudade(BACIO RECORDS、2002年)※監***
- 関口宏『アロハ・アゲイン』(アーティストハウス、2003年)※音楽プロデュース
- 赤とんぼノスタルジア(ソニー・ミュージック・ダイレクト、2006年)
- TOKYO HAWAIIAN STYLE 1960(BACIO RECORDS、2009年)
家族
息子は陶芸家、ミュージシャンの浅井竜介。息子・竜介とは2002年(平成14年)、「世代を越えて残る音楽を作り、伝えるチーム」としての音楽レーベルBACIO RECORDSをプロデュース。自身の作品の発表も行い「大人が創る新しいスタンダード」作りを行っている。
脚注・出典
- ↑ 「世田谷・9条の会」申し合わせ
- ↑ 週刊現代 2008年6月28日号 147頁