池田元助
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池田 元助(いけだ もとすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。池田恒興の嫡男で輝政の兄。諱は之助(ゆきすけ)ともいう(崩した字が「元」とも「之」ともつかないため)。ただ、元助の嫡男は由之と称しており、実際の名前は「之助」であった可能性が高い。
生涯
幼少時から織田信長に仕え、天正8年(1580年)の荒木村重討伐では父や弟の輝政と共に活躍し(花隈城の戦い)、信長からその功績を賞賛された。同年11月、羽柴秀吉と共に淡路に侵攻して岩屋城を攻略し、秀吉撤退後も駐屯した[1]。天正10年(1582年)、信長が本能寺の変で横死すると、父と共に秀吉に従い山崎の戦いで明智光秀を破り秀吉の家臣となった。天正11年(1583年)、父が美濃大垣城主となると岐阜城主となった。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで三河奇襲部隊の一翼を担ったが、徳川家康率いる徳川軍の逆襲を受けて父や義兄弟の森長可と共に討死した。享年26とされる(『寛永諸家系図伝』)が、『信長公記』では、天正8年(1580年)時点の記述で「元助、照政(輝政)兄弟、共に年齢15、16」とあり、兄弟の年齢差はあまり開いておらず(輝政は1565年生で小牧・長久手の1584年時には19歳)、元助の没年は実際には20代前半であった可能性もある。
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池田元助戦死の地とされる庄九郎塚(愛知県長久手市)
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池田元助の墓(岐阜県揖斐郡池田町本郷)
脚注
参考文献
- 尾下成敏「羽柴秀吉勢の淡路・阿波出兵」(収録『ヒストリア 第214号』2009年3月)