横山隆一
テンプレート:Sidebar with collapsible lists 横山 隆一(よこやま りゅういち、男性、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は高知県高知市出身の漫画家、アニメーション作家である。代表作は早稲田大学のマスコットキャラクターとしても有名な『フクちゃん』。
『朝日新聞』に連載された1コマ漫画『社会戯評』を代表作とする漫画家の横山泰三は実弟、画家の横山ふさ子は三女、漫画家近藤日出造は義弟(妹の夫)である。
概要
高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)卒業。はじめ彫刻家を目指し美術学校の受験するが失敗、同郷の彫刻家本山白雲の門をたたき弟子となる。その後、次第に漫画家を目指すようになる。
漫画家である傍ら、アニメ制作会社おとぎプロの主宰も務め、1957年に制作した『ふくすけ』ではブルーリボン賞、毎日映画コンクール教育文化映画賞を受賞。1961年には日本初のテレビアニメシリーズ『インスタントヒストリー』を制作した。この作品は1分程度の放送であったために、後発のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の陰に隠れた存在となってしまっている。
弟・泰三が原作した映画『プーサン』に弟とともに出演している。
1974年、紫綬褒章。1979年、『百馬鹿』で日本漫画家協会賞大賞。1982年、勲四等旭日小綬章、1992年、 日本漫画家協会賞文部大臣賞。1994年、漫画家としては初の文化功労者。1999年に早稲田大学卒業式で「芸術功労者」として表彰された。
太平洋戦争中、『フクちゃん』は日本のプロパガンダ映画になった他、敵国である米軍の宣伝ビラ『落下傘ニュース』にも(当然)無断で使用されたりした。戦後50年となり、横山が米軍の『フクちゃん』無断使用に対する原稿料をアメリカ大使館に請求したところ、大使館側もアメリカ合衆国として原稿料180円(請求金額180円)を快く支払ったエピソードがある。この原稿料180円は当時の横山に支払われていた原稿料の相場である為、旧円180円であり、現在の通貨価値とは当然異なるが隆一自身一流のシャレとして額面180円としていた。アメリカ大使館は現在流通する日本円180円で支払った。この際、大使館側は隆一に領収書を書いてもらった。
鉄道ファンとしても有名で、自宅に鉄道模型の大規模なレイアウトを所有していた。
訪問客を楽しませるためにガマガエルとセミを用意して、「ガマの目白黒ショー」と称してガマガエルにセミを飲み込ませて、腹の中で鳴かせていた(「クイズダービー」第599回(1987年7月18日放送分)の7問目より)。
2001年11月8日、脳梗塞の為に神奈川県鎌倉市の自宅で死去。翌年に「横山隆一記念まんが館」が高知県に開館することが決定しており、開館を待たずに旅立っていったことは当時の地元新聞でも悔やまれていた。また、亡くなった際の新聞取材に対し隆一の娘は「現代ではおどろおどろしい絵や話のものが漫画と呼ばれてしまっている。本当の意味での『漫画』は終わった」と語っている。
かつての邸宅は現在スターバックスコーヒー鎌倉御成町店となっている。桜、藤棚、プール等が残されているほか、『フクちゃん』の原画が展示されている。[1]
主な作品
漫画
アニメ
- フクちゃんの奇襲(1942年)
- フクちゃんの潜水艦(1944年)
- おんぶおばけ(1955年)
- ふくすけ(1957年)
- ひょうたんすずめ(1959年)
- インスタントヒストリー(1961年)
- おとぎマンガカレンダー(1962年)
- おとぎの世界旅行(1962年)
- 動物村ものがたり(1970年)
- 隆一まんが劇場 おんぶおばけ(1972年) - エイケン製作
- フクちゃん(1982年) - シンエイ動画製作
その他
- ヒュー・ロフティング原作の絵本『もりのおばあさん』挿絵(岩波書店、1954年)
- 崎陽軒『ひょうちゃん』(陶器製醤油入れ)デザイン(1955年)
- ブリヂストンタイヤ『どこまでも行こう』アニメCM「タイヤくん」のキャラクターデザイン(1968年)
随筆
- フクちゃん随筆 講談社 1967
- わが遊戯的人生 日本経済新聞社 1972 のち「人間の記録」日本図書センター
- 隆一コーナー 六興出版 1982.6
- 私の履歴書 文化人 7 坂本繁二郎.熊谷守一.横山隆一.奥村土牛.谷口吉郎.浜田庄司.棟方志功 日本経済新聞社 1984.1
- 大衆酒場 かまくら春秋社 1985.7
- 鎌倉通信 高知新聞社 1995.10
- 鎌倉通信 其の2 高知新聞社 1999.11
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