権藤恒夫

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テンプレート:政治家 権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年3月23日 - 2001年5月29日)は、日本政治家福岡県出身。元衆議院議員(7期)。

経歴

1985年公明党国会対策委員長大久保直彦の公明党副書記長就任にともない、後任の公明党国会対策委員長に就任する。

1986年12月、竹入義勝公明党委員長を退任することにともない、公明党国会対策委員長を退任する。

1989年5月、明電工事件により、矢野絢也が公明党委員長を退任することにともない、後任の公明党委員長に就任した石田幸四郎の下で、公明党副書記長に就任する。

1992年、公明党副委員長に就任する。

1993年8月9日細川内閣が発足し、公明党は与党入りする。公明党委員長の石田幸四郎の入閣により、公明党書記長市川雄一を中心に、近江巳記夫黒柳明、公明党副委員長の大久保直彦らと共に、公明党を支える。

1994年12月5日公明新党の結成に参加する。1994年12月10日、公明新党は新進党に合流し、それに参加する。

1997年12月31日、新進党が解散する。1998年1月6日、元公明党委員長の竹入義勝の側近であった権藤は、竹入バッシングに抗議して自由党に参加(元新進党の旧公明党系代議士からは、二見伸明東祥三西博義、久保哲司、谷口隆義佐藤茂樹石垣一夫が参加。西・久保・谷口・佐藤・石垣が公明党再結成で離党の1年後1999年秋には前代議士山田英介も参加)する。

2000年、政界を引退する。

2001年5月29日、肝不全のため死去。享年71。

役職歴

  • 公明党国会対策委員長
  • 公明党副書記長
  • 公明党副委員長


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